前夜早めに就寝したのはおそらく大もりやさんで美味しいものをたくさん食べたからであろう。翌朝は体調が良すぎるのか2時半に目覚め、新聞・雑誌などを読みながら4時半には外出して市内を散策した。
はじめに千石町に向かったのは最も近いコンビニがそこしかなかったからである。寿通りでセブン・イレブンをやっていたA商店さんは建物を解体中でお店再開の予定は立っていないらしい。サンクスでコーヒー、野菜ジュースなどを買い求め、その後、住吉→門脇→雲雀野と歩いた。
住吉には神社の裏に小山があるが、かつてはそこに白い円筒状の監視塔のようなものが立っていた。今はもうなくなっているが、何時まで立っていたのか。子供の頃には内部に入って階段を登ったりしていたが、今の時代では危なくて問題になるであろう。千石町からその小山の裏側に着くと石段があり、これは昔はその存在を知っていたのかもしれないが、何かこの日初めて存在を知ったかのように驚きながら登ると、頂には小さな祠があり、そこからは日和大橋までが眺望できた。
中央の川岸沿いを歩くと、広小路あたりからは大文字屋が見通せる場所があった。再建されたところ、そうでないところ、いろいろあるが、以前修復中だった笠屋さんの建物が竣工していたのが印象に残った。
今回は門脇・南浜だけでなく、雲雀野まで足を延ばした。たいした距離ではなく、称法寺から数百メートルなのだが、これまでなぜか足を踏み入れなかった。雲雀野海岸といえば、鰐山の現在市民体育館になっているところや水押辺りの空地と並んで、小学生時代によく野球をやったところだ。雲雀野海岸沿いには公園があり、高校時代には自主トレのランニングに行ったりもしていた。
雲雀野海岸はかつては渡波・長浜など比べて製紙工場の廃液の泡が波打ち際に打ち寄せていたし、岸に近い海底も不規則に浸食していてとにかく危ないと聞かされていたので泳いだことはないが、今回見てみると海が汚れているところはなく波も穏かであった。
これまで足が向かなかったのはおそらく膨大な量の瓦礫ゆえであろう。
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20130415-16 帰省3 ―早朝の石巻 千石町から雲雀野海岸―
付記
この朝の気温は5度程度だったが、ユニクロのウルトラライトダウンが活躍してくれた。
これからも空き地が目立つ石巻になるのでしょうか?寂しい限りでございます。何とかしないといけません。
また情報ありがとうございます。
宮城県沖地震は私が高3の時で昭和53年ですね。
あれがきっかけで解体でしたか。
懐かしいですね。
もともと空地は増えていたのでしょうが、震災で加速化したでしょうね。ただ平成の大合併で広域化した今の石巻は昔の石巻とは都市としての有り方がだいぶ変わっていると思います。
それにしてもコンビニが少ない、というか、ない! ですね。車のない人には非常に暮らしにくいです。