大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20130415-16 帰省2 ―キクちゃんの誕生日と大もりやさんと坂本くん―

2013-04-21 17:27:18 | 日記

 今回は新幹線→高速バス(仙台⇔石巻)のルートで帰省。自宅を15日11時過ぎに出発、小田急線で生田から新宿、JR中央線で新宿から東京、東京からはやて35号(12:56発)で仙台に14:38着、仙台駅の「萩」という立ち食いそば屋で「萩のそば」という野菜入りさつま揚げと玉子焼きと新鮮トロトロめかぶの入った立ち食いそばとしては相当に美味しいそば(たしか430円)を食べているうちに、14:07着の石巻行高速バス(ミヤコーという呼称ではなく「宮城交通」が私の古生代記憶には深く刻まれている)を目前に逃し、14:27の女川行きに乗車して三陸自動車に工事用ダンプの姿がたしかに多いと感じながら、鳴瀬川鉄橋のあたりで帰りはここで写真を撮ろうと思いつつ、曇天の石巻駅前に16:50頃到着したのである。

 駅前には以前「大もりや」が仮営業していたが(昔「まめや」があったところ)、このたび新ビルが完成しそちらで営業していたのであった。この大もりやでこの日の晩餐が行われたのであるが、実家に帰省の旨を告げた際、この日がキクちゃんの誕生日であることを告げられ、「なんだい忘れでだのが? しょーがねえー」と忠典くんにふだんの忘れやすさを棚に上げて電話で呆れられていたのだが、とにかく「大もりや」はなかなか立派に完成していたのである。

 いつものように四釜商店でこの日は日高見の純米吟醸(4合瓶)を購入し、立町の裏道、小柳町やマルシン質店のあたりからなぜかスケボー用の練習台が設置されている小路から寿通りへ抜けて大文字屋に到着した。

 大文字屋は店内の天井修復と仕切り板設置、シャッターの一部交換、また階段脇の小部屋の改修も済んでいて、だいぶ小奇麗になっていた。

 また店の前を見ると、阿部帽子屋さんとマルナオ薬局さんの建物が解体撤去されていて、かつてフジボウルがあった場所の松栄立体駐車場もなくなっていたので、大文字屋から川岸までが見通せる状態になっていた。キクちゃんによると風の吹きつけがきつくなったということで、なるほどこの日も川からの風がもろに当たっていた。近々信金も解体され店から漫画館が見えるようになるらしい。

 2階で憲ちゃんに線香をあげると、キクちゃんが坂本君の載った新聞をとっておいてくれて見せてくれた。彼がかつて赴任した船越小が雄勝小と統合し閉校するため、記念にと彼をはじめとする元職員らが冊子を作成、閉校式出席者にプレゼントしたことのこと。

 (クリックすると拡大)

自分が学んだり働いたりした場所がなくなるというのは寂しいものだ。9年間いた坂本君にとってはなおのこと思い出深いであろう。思い出をのこのように「形」にすることはとても意味のあることだと思う。因みにSくんによると坂本君は南三陸町の何とか小学校に転勤したとのことだが、Sくん詳しい学校名をできれば知らせてください。

 配達で外に出ている恵美ちゃん・忠典くんと6時半ごろ大もりやさんで合流し、キクちゃんの80歳の誕生日を祝う。近年血圧が少し高くなったことがある以外は元気に過ごしているキクちゃんに乾杯。今冬はインフルエンザにやられて病院に行ったそうだが、震災以来まともに休むこともなかったので良い養生になったとは本人の弁。いつも通りビール少々を飲みながら、大もりやの料理、石巻御膳や三陸御膳などの寿司・天ぷら・そば・刺身・酢の物など御膳ものに舌鼓を打った。私は、「寒の戻りでまだ取れるみたいですよ」(大もりやの奥さん談)という「牡蠣丼」も食す。牡蠣はあっさり炊いてあるが、土台の味がつんでいて、ジューシーでとても美味しかった。

 

 大もりやさんには小学校の時ぐらいに何度か食べに行った記憶があるが、それより配達で行った回数の方がはるかに多い気がする。先程HPを見ると準備中だったので、料理の写真を撮っておけばよかったかな。テナントビル形式にして大もりやさんの店舗は2Fにあるが、和風のゆったりして落ち着いた雰囲気の店内であった。

この日は帰宅後、私は日高見を少しやったが(墨廼江も旨いが日高見もやはりいいなあ)、珍しく10時半頃には就寝したのであった。特に理由はありません。

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くわしい写真はこちら ↓ (右下隅をクリックすると拡大できます。)

20130415-16 帰省2 ―キクちゃんの誕生日と大もりやさんと坂本くん―

 

付記1
 東北線と石巻線の130分待ちとかの接続の悪さに業を煮やし仙台⇔石巻は無難な高速バス利用である。

付記2
 仙台駅の立ち食いそば屋の「萩」では以前「黒石やきそば」を供していてちょくちょく利用していたが今は出していない。しかしおにぎり類は隣店の「てまり」の本格おにぎりを使用するなどかなりクオリティの高い立ち食いそば屋である。「萩」は仙台市の市花であるが伊達騒動に材をとった歌舞伎・人形浄瑠璃「伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」から市の代名詞的な花名となっているようだ。銘菓「萩の月」の名もそこに由来するのだろう。

 

追記(2013/04/22)

 S君より連絡があり、坂本君の転勤先は「南三陸町戸倉小学校」とのことです。

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