大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

新宿ボルガにて -帰省前、石中同窓生と旧交を温める-

2010-08-26 23:44:44 | 日記
8月7日に石巻中学校の同窓生の毛塚さん、トシュロの二人と飲んだ。

この話をここに書くのは、元はといえば、このブログのコメント欄に毛塚さんが投稿してくれたことがきっかけだからである。いわば憲ちゃんのくれた機縁である。

毛塚さんは「石巻・日和山」で検索したところこのブログにヒットしたのだと言う。詳しくは「12月5日帰省 2009-12-24 」のコメント欄をご覧いただきたい。

さて、8月7日夜7時の集合時刻より10分ほど前、新宿駅南口の小田急線改札を通り抜けた私の前に現れたのは、毛塚さんとトショロである。毛塚さんの顔を見て、私は一目でそれとわかった。

実は毛塚さんについては、メールをいただいた時点ではお名前と顔が一致せず(失礼!)、別の毛塚さん(毛塚かまぼこ店の毛塚君)と勘違いするところもあり、やや不安な状態で集合場所に向かったのであるが、一目見て小中学校時代の記憶にはっきりあった「彼」と分かった。たしかにあまり話したことはない。いや、ほとんど話したことがないのだが、存在自体ははっきり記憶に残っていた。

毛塚さんは少年時代の雰囲気がすごくよく残っている感じがした。

トショロはもうそのまま(失礼!)トシュロである。相変わらずホンワカした優男(やさおとこ)である。

この日はガンジも来る予定であったが、直前に自宅を離れられなくなったため参加を断念したとのこと。

三人は欠席のガンジご推奨という新宿駅西口の焼き鳥屋(ボルガという店で結構古くからある店である)に入った。

毛塚さんはご存知の方も多いと思うがプロのギタリストであり、東京で演奏活動をされるとともに石巻でもリサイタルを行っている。話をお聞きすると、若かりし頃いきなり先生に弟子入りしたとのこと。たたき上げの形でプロとしてデビューしたようである。話し方は温和だが、その奥に芯の強さを感じた。(CDの一枚も買わねば。)

トショロは現在グラフィック・デザイナーで、かなり前に独立して現在に至っているそうだ。「今のような不景気な時代だったら、独立は考えられなかったねえ。あの頃だからできたんだろうねえ。」というようなことを言っていた。

ところで、今回集まった名目は、『必殺からくり人 一九七五』の完成祝いである。

『必殺からくり人 一九七五』とは何か?

実は私も彼らに会うまで分かっていなかったのだが、ガンジが石中時代、3年1組の生徒をキャストに作った時代劇(音声のみ)なのだった。

おそらく『必殺仕置人』を下敷きにしているのだろう。(これについては私はあまり詳しくない。)

受け取ったCDはオリジナルの装丁が施され、キャストやスタッフが印刷されていた。本格的である。それを眺めていて驚いた。

私が出ているのである。

*   *   *   *   *

必殺からくり人 一九七五

Hissatsu Karakurinin 1975


配役

元締め  由利公美子
ボデヒ  鈴木秀幸
トンボ  阿部雪美
ダイモン 佐藤慶広
ガンジ  尾形佳宏

かわら版屋   鈴木政志
伊藤食堂主人  伊藤真理
伊藤食堂の客  阿部弘
  〃     秋葉修
蘭学者     小野寺幹士
蘭学者の弟子  日野浩子
  〃     斎藤雅彦
老中      新妻幹也
老中の家来   佐藤朝洋
飯藤組組長   飯藤啓二
飯藤組子分   菊地義信
旅籠とまと主人 大矢典子
阿部長     阿部長吉
阿部長の子分  毛塚功一
オータ     太田広子

原作・脚本:尾形佳宏
編集・製作:毛塚功一、佐藤朝洋
ナレーション:新妻幹也、高橋和彦

1975年、それぞれの出演者宅を訪問し収録した音声を使用し編集したものです。2010.8.1. STEREO TOTAL 43:16

*   *   *   *   * 

ということなのだ。

呆然としている私に毛塚さんとトシュロが、昔のテープ(35年前の!)を起こしてリマスターしたこと、上にもあるように、バラバラに収録したものを編集したので、出演している人も出演自体を知らない(覚えていない)人が結構いるのではないかとういうことだった。

実際私も全く覚えていない。とにかく家に帰って聴いてみるしかないと思った。

その後、中学時代を中心とした昔の話をした。

その逐一についてはここに記す暇がないので割愛するが、そこに登場する人物と話の一部について挙げておく。(私の脳裏をよぎっただけの人の名前も含む。)

*   *   *   *   *

おばらまさゆき
こうりゃん(こいたん、こいずみよしひろ)
おかざきけいぞう
あべパーマ屋
ひーろ(すずきひろゆき)
ふちがみこういち
せいの
うめず
おかよしと
あしはらみさお
しぶやとしこ
ひらつかたつや
さとうよういち
おとみさん(わたなべとみこ)
さいとうくみこ
ひらたあつこ
あかまけいこ
かめいとしみ
くま(くまがい)
かなもりこうたろう
ほし
すぎやまきょうこ
あべりょうこ
たしろ
なりた(はなやさん)
くろだ
むとう
つだきみお
すずきひでひこ
おだじま(柔道部)
おだじま(体操部)

↑双子です

おおぬま
ほしざわ
くぼ
にへい
ちよ(まめちよ、よしだひろし)
やまだひでお
しおのしげはる
さいじょう
たにむら
むらたのぶゆき
おおまさ(あべまさひろ)
こまさ(あべまさひろ)
こまつゆき
まつかわみのる
せいの
ほうじょうつとむ
いのまた
あべゆうじ
だいどうじ
さかもとただあつ
おいかわしょうご
さとうかずまる
あんとく
あべさとこせんせい
しばたせんせい
ささかん
おいかわよしのぶ
なやせんせい
きえっつぁん
しょぉんつぁん(しょんず、庄二?)
しょぉんつぁんの兄(庄一?)

(敬称略)

*   *   *   *   *

『必殺からくり』ではないが、中学時代はみんなラジオのDJ全盛(深夜放送)だったので、まねして自作のテープを作ったものだ。

また、ビートルズも流行った。私たちは必ずしもリアルタイム世代ではなく、私の記憶の明確なところでは、レット・イット・ビーを小5の時にどっかで耳にして「フェリピィー、フェリピィーィ」と口ずさんでいて、同級生の小松っちゃんに「『フェリピィ』でねえよ、『レリピィ』っていうんだよ」とバカにされたことがあるが、ビートルズの曲のほとんどはビートルズが解散してから聴いた。けれども、その影響力は凄まじかった。

ヒーロとは学校の便所で「アビー・ロードっていいな!」と感激して話したことがある。これはあのB面のメドレーの素晴らしさに気づいた時のことである。

おばらくんらとは、ほぼ毎日学校帰りに永厳寺の境内に座って、小一時間ほどダべっていくのが日課であり、そこでいろんな話をした。借りたレコードに傷をつけたことで諍(いさか)いになったこともある。その後おばらくんには本当に世話になった。

私は周りがそう呼んでいるように聞こえたのでゴデヒ、ゴデヒと言っていたが、実際には「ボデヒ」(「ヒデボ」の逆)であったことが判明。

私は小6の終わり頃に鈴木政志くんの紹介で新聞配達を始めた。私は石小で鈴木政志くんは山小だったが、私はリトル・リーグに入っていて、その練習で山小に行っていたので、それでおそらく知り合いになったのだろう。その新聞配達を中1ぐらいまで続けていたが、たまに寝坊して7時40分ぐらいにちょうど泉町付近の石中の辺りを配達するので、登校する生徒や先生とよく出くわしていた。(というか朝刊の配達時刻としては完全に遅配である。自分も学校に遅刻しそうである。この件ではきえっつぁんに一度呼び出されて説教された。)

そんなことがあった頃、毛塚さんが新聞配達をしようと思っていたら、学校から禁止令が出たとのこと。これは私の寝坊が原因なのか当時の児童福祉法の改正かなにかがあったのが原因なのか、真相は分からない。ちなみに毛塚さんが新聞配達をしようと思った目的は「あの当時、カセットテープ欲しくてなあ」とのことである。たしかに私もレコードやステレオや自転車がほしくてやっていたと思う。毎月決まったお小遣いはそこそこもらっていたが、大きな買物となるとなかなかむずかしかった。

ちなみに私と兄(忠典)は新聞配達で貯めたお金でステレオ(コロンビア(今のDenon)で4万円前後だったと思うが)を買ったが、父(憲ちゃん)がそれを見て、「何だ、お金出してやったのに。」と言ったので、「買う前に言わんかい!」とガックシきたことがあった。

こーりゃんは音信不通である。以前に同窓会名簿で「翻訳業」で「沖縄」在住とあるのを見たが、話によるとイラン・イラクにわたって二重通訳をやっていたが、その後音信不通になったという。ただし、これはいわば噂であるから、私は情報の一つとして受け止めている。

チヨは蛇田で「まめちよ」という飲み屋をやっている。国道45号線と大街道が交わったところから仙台方向に少し行ったところを右に曲がって100Mぐらいのところである。お二人からそれを聴いて私は今度の帰省の際に是非行こうと思った。

石巻の町並みや店の話。中央二丁目に羽前屋(うぜんや)という駄菓子屋があった。今の菅原紙屋さんの隣である。私はここで小学校低学年ぐらいの頃だと思うが一度万引きしたことがある。小さなアメか何かだったと思う。羽前屋のおばちゃんは気づいたようで、ちょっと待ちなさい、○□見せなさい、と声をかけられたが、何もしてないよとしらばっくれて逃げてきたと思う。今思うと完全にバレていただろう。自分が子供を見る立場にいるのでよく分かる。気づいていて見逃したのだ。そういう話をしていたら、同じように万引きしたとかしないとかいう話が…(以下省略)。

当時は「もーし」と言って店に入っていった。「もーし」の語源が「申す」であることは二人ともご存知だった。

毛塚さんの話ではこーりゃんの家に遊びに行った時に、近辺に焼きそばを食わせる「幻の店」があり、その存在をいつかつきとめたいとのこと。店名をうかがったがちょっと今は失念してしまった。

毛塚さんはまた、日和山の全部の登り口の踏査を構想しているそうで、聴いているとそれは「鰐山」や「羽黒山」も含めてのことらしい。たしかにあの一帯は登り口があちこちにあり、また小径が入り組んでいて、私も把握していないところがある。

中学時代に授業中にボーッとして斜め前に座っている女子生徒のブラジャーの線を見ていたが、中にその線が白ではなく柄ものだった者がいるが、あれは学校から許されていたのだろうかとか、また、それは親が選んで買い与えたのだろうか、それとも生徒が自分で選んで買ったのだろうかとか、また、そういう情報は当時の中3コースに載っていたとかいないとか、(私は「コース」でなく「時代」だったが)そのあたりについて熱く語り合ったのだった。

そうこうするうちに時刻も10時近くになり、焼き鳥屋を出て喫茶店でシメのコーヒーを飲むことになった。これも新宿西口の思い出横丁(私はションベン横丁と呼んでいるが)近くにある「但馬珈琲店」である。私は初めて入ったが、アイスコーヒーが美味しかった。珈琲専門店だから当たり前である。ここでは健康の話が出た。そうするとトショロが胃にポリープがあって検査するかどうか迷っているようなことを言ったので、今は早期発見早期治療でかなりいろんな病気が治るから早く検査した方がいいよという話をした。本人は「胃カメラつらそうじゃん」みたいなことを言っている。相変わらず暢気だ。

トシュロには名刺をもらい、毛塚さんにはメルアドを教えていただいた。

そういうわけで石中同窓生3人は夜10時過ぎ、新宿駅西口にて解散したのである。

*   *   *   *   *

帰宅後私は早速『必殺からくり人 一九七五』を聴いてみた。

江戸末期の乱れた世の中で、許せぬ悪と戦う闇の殺し屋たち、それが「必殺からくり人」である。

まずは自分の出演している部分を注意して聴いてみた。私は「からくり人」の一人で「海産物問屋ダイモンの息子。自慢の握力で相手の首や心臓を一ひねり」という役柄。海外渡航を夢見ているが物語の途中で敵の攻撃により命を落とす。それはいいのだが、私は台詞のしゃべり方がおざなりで、まじめさが感じられない。「それぞれの出演者の自宅を訪問し収録した」ものなので、仕方がない面はあるが、モソモソ、ダラダラしゃべっているので、とても聞き苦しい。恥ずかしいなあ。

ナレーションの新妻くんは大活躍である。(途中で何度かウヒャヒャと吹いてますが。)雪美さんは相変わらずかわいいキャラである。(っていうか当時か。…いや今もか。)長吉は棒読みがかえって迫力があった。オータはとても歯切れがよく、しかもニヒルだった。

しかし何といってもユリさんが凄かった。滑舌が良過ぎます。声優か! と思いました。演劇かなんかやってましたっけ?

そして中学3年生の時点で、これを企画し、脚本を書き、作品として完成させたガンジはスゴイなと思った。

また、音声は非常にクリアーである。毛塚さんとトショロの手によるリマスターだそうである。このお二人の力は大きいことは言うまでもない。

毛塚さんは奥様から「何子供みたいなことやってんの?」みたいな視線で見られたそうですが、いやはや大変な作業だったと思いますよ。(後でメールで知ったのですが、毛塚さんの台詞は、足りなかったものを新たに録音して収録したものだそうだ。)

*   *   *   *   *

たいへんな有意義な再会の時を過ごしたことを実感しながらこの夜は床に就いた。



付記1
 ボルガでは私とトシュロはビール、毛塚さんはウーロン茶であった。話に夢中で気づかなかったが日本酒のメニューもかなりあるようなので、今度行った時は試してみたい。魚の南蛮漬け(いわし?)が美味しかった。

付記2
 この日出たお話はいろいろがあるが、私の記憶をたよりに書いているので、どうしても私寄りの話が多くなっていると思う。それ以外にもいろいろあったと思うので、思い出すものがあれば追って書くつもりである。
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23 コメント

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毛塚がら教えでもらったど (ごぶさた。尾形です)
2011-01-28 10:05:16
尾形が不参加になってしまった飲み会での話がダイモンのブログに載ってるよと毛塚から連絡がきました。いろいろとご紹介ありがとう。実は、毛塚やトッショロと相談し、またダイモンを誘って、今度こそ尾形登場、できれば5人目を誘って会合を開きたいなあと思っていたところです。んでも3人が会ってくれて、いろんな話をしてくれたようで、楽しい様子が目に浮かんできました。ちなみに、ダイモンのセリフにしても、学級会で公表する企画ではなかったので、あまり取り直しをするつもりもなく録音したものだから、ほかのみんなもたどたどしさが残っているのは、企画した尾形の側の手落ちみたいなものですから、気にしないでください。ともあれ、次回はせ参じる日程が決まったら連絡します。なお、毛塚にはやっかいなお願いをしたままで、申し訳ないのですが、そのうち毛塚んちにウルトラQのDVDを持って行きたいなと思っているところです。んでも、さすがダイモンだなや。いろいろ覚えていて、たいしたもんだど!
返信する
ガンジ、どうもです。 (佐藤慶広(管理人))
2011-01-29 17:29:30
昨年は再会できず残念でしたね。今年こそ飲みましょう。

「必殺からくり人 一九七五」のリマスターにはとっても感動したよ!
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日程の相談 (続けて尾形です)
2011-02-02 09:55:19
毛塚やトッショロと相談し始めますが、2011年の第1回飲み会について、大文にも相談です。3月5日(土)夕方はどうですか。設定するかぎりは尾形は必ず参加します。
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ガンジ、どうもです。2 (佐藤慶広(管理人))
2011-02-02 22:51:58
3月5日夕方OKですよ。連絡お待ちしております。
返信する
大文、3月5日夕方で決定 (さらに尾形です)
2011-02-03 13:30:49
毛塚とトッショロから3月5日OKの連絡がきました。集合時間は調整しますが、日程の確保をお願いします。楽しみにしてます。
返信する
大文は何時に来らいる? (尾形です)
2011-02-11 12:41:13
3月5日の件ですが、ダイモンが新宿に到着できる時間が集合時間になりそうです。仕事の関係や乗車時間などを考慮して、新宿・小田急線南口改札付近に到着できる時刻を教えてください。場所の押さえと第6番目の同級生を呼ぶべく連絡を始めたいので。よろしく。
返信する
ガンジ、連絡どうもです。 (佐藤慶広(管理人))
2011-02-11 16:34:49
午後3時以降、いつでもOKです。決まりましたら連絡よろしくです。

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時間ば決めだど (尾形です)
2011-02-22 10:17:56
連絡が遅くなり申し訳ない。5人目、6人目を求めていろいろ悪だくみをしています。場所は前回と同様、新宿駅・小田急線南口改札を出たところで、時間は午後6時にします。5人目の都合もあり、ありきたりの時間になってしまいましたが、よろしくお願いします。
返信する
いえいいえ連絡どうもです。 (佐藤慶広(管理人))
2011-02-22 14:16:50
了解です。何かサプライズありそうですね。楽しみにしております。

※ 私は現在仕事と確定申告準備に追われております(汗)。
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おもしぇがったなや (改めまして。尾形です)
2011-03-10 15:36:44
大文、5日はお疲れ様でした。トショロや毛塚に聞いたけど、午前3時っころまで頑張ったんだって?おどげでねえなや。尾形は何とか終電に間に合いました。先に出て申し訳ない。楽しいひとときで尾形は嬉しかったです。欲を言えば、せっかぐ大文と会えるんだがら、もう少し同級生を呼びたかったところです。ひとえに尾形の力不足でござる。二次会では尾形のことでつまらない話も聞かせてしまい、恐縮です。んで、まずは元気で。まだ、この次、みんなで会うべし。PS:毛塚がらいった里和会DVDゆっくり聞いでけろ。
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