大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

お正月帰省 20101230~20110102 後編(年明け)

2011-02-08 04:16:20 | 日記
お正月帰省 20101230~20110102 後編(年明け)


2011年元日、午前11時起床。

仏壇に線香をあげて憲ちゃんに新年の挨拶をする。

元旦と言えば、新聞である。広告やら何やらで異常に厚くなった朝刊を見ると、ああ、正月なんだな、とちょっとは実感する。

そういうわけで朝刊をとりに表のシャッターまで行く。見当たらない。兄が既に持って行ったのかなと思いながら、応接間に戻る。母はまだ起きていない。前夜の話ではお昼過ぎに雑煮とあんこもちを作るという。テレビをつけ年賀状の整理をしながら時間をつぶす。

12時を過ぎると母がもぞもぞ起きてきた。

「なんか、マラソンかなんかやってんでねえの?」
「ん? 駅伝のこと?」

テレビのチャンネルを変えるとたしかに実業伝箱根駅伝をやっていた。よく知っていたな、というか、何でそんなの知ってんの?と思いながら視る。

母が1階で雑煮とあんころもちを作ってきた。食べる。雑煮はすまし汁に大根、人参、三つ葉にかまぼこである。餅がやや固めである。私は雑煮やあんころもちでは餅はトロトロぐらいに軟らかい方がいい。というか、母の方がその方が好きだろうと思っていたが、なぜかこの日は餅が硬めであった。

お節もつつきながら、テレビを見る。昨夜たくさん食べたので食は進まない。テレビでは元日恒例のサッカー全日本選手権決勝が始まる。見ている途中で兄が起きだしてきた。昨夜丸森に年越しに行った恵美子さんを迎えに行くとのことで外出。途中で用事(馬券?)もあるとのこと。

「おめ、いづ帰んのや?」
「明日だよ。」
「切符とったの?」
「いや、今回いづ帰れるかわがんねがったがら、切符は買ってねんだ。」
「仙台まで高速バスで行げば? 電車だど混んで座れねがら。」
「!?」
「高速バスだったら座れっし、中央3丁目がらも乗れっし、もちろん駅がらも乗れっし。料金も安いよ。」

あまり慣れないルートを使うのはどうかとも思ったが、ものは試しということで、

「あ、そう。んで、使ってみっかな。」
「んで、出かける時に時刻表見ておっがら。」

ということで、調べてくれることになり兄は外出。

テレビのサッカーは清水エスパルスvs鹿島アントラーズの対戦。退任する長谷川健太監督(ドーハ戦士)に有終の美を飾ってほしかったが、勝負強い鹿島の前にさしたる抵抗もできず終戦。んーっ、勝負弱いなぁ~、小野伸二は相変わらず空気読めないプレーしてるなぁ~、などとボヤキながら、気づくともう4時である。このまま暗くなっても腹も減らないし、つまらないなと思ったので、

「お母さん、初詣に行くべし。」
「ああ、行っか。元朝参り。」

出かける前に兄の携帯に連絡をとり、家を空けることを伝える。

ということでタクシーで日和山に向かったのである。母の話では、本当なら大文字屋の場合は、羽黒山の神社にお参りするのがきまりというか、そういう区割りが本来あるのだそうだ。その区域内の当番で昔は仕事もあって、どんと祭も本来なら羽黒山にいくのだそうである。私はどんと祭は住吉公園の方(大嶋神社というらしいが)にしか行ったことがない。たぶん近いからだろう。まあ、今日はどっちでもいいやということで日和山に行くことに。(来年は羽黒山にも行ってみようと思う。)

海門寺公園の方は車が混んでいるとタクシーのドライバーさんが言うので、旧市役所東側の急坂に回ってもらう。坂を登りきると、たしかに車が混んでいた。

降車して鹿島御児神社に向かう。なかなか人が出てるなと思いながら歩いていくと、本殿あたりに来てびっくり。ずいぶんな行列である。50m、いや、鳥居の外のあの長い石段の手前まだ続いているので100mはあろうか。しかも動きが感じられない。

「あらぁ、これ全部並んでのすかや?」
「んー、これは30分待ちは確実でね?」

などと言いながら、一応列の最後尾につき、様子を見る。途中、並んでいるカップルに写真撮影を頼んだりしていたが、やはりかなり時間がかかりそうで、

「前にちょっとだけ行って拝んで来るわげにはいがねよなわ」

と母が笑いながら言う。

「うーん、それはかなり顰蹙(ひんしゅく)だべね。」
「寒いがら、遥拝(ようはい)にすべし遥拝。」

というわけで速攻で行列を放棄。その辺で手を合わせてお参りを済ませたのである。

午後4時過ぎなので、人は少ないだろうと思っていたら、案に相違して混み混みなのであった。

さて、お参りも無事に済ませた(?)し、団子でも食べて帰ろうということで茶店に寄る。
私は帰省した日に食べられなかった石巻焼きそばを食べようと考えていたので、前回の帰省の際に食べたサトウ商店ではなく、隣の金兵衛茶屋を選ぶ。

神社は人出がかなりあったが、茶店の方は五分ほどの客入りである。でも回転が速そうで、団子を頼もうと思っていると、店頭販売の売り子さんの「団子、売り切れでーす」の声。アレーと思いつつ、焼きそば二つと味噌おでんを頼む。先にできた味噌おでんを食べながら店主にお話をうかがうと、

「いつもお昼過ぎから混むねぇ。ずっと人が途切れないがらねぇ。」

とのこと。どうやら、大晦日は宵っ張り、元旦は朝寝坊の人が多いようである。

さて、十分ほどして石巻焼きそば登場である。

見た目はいたってシンプルである。具というのは少量のもやしと紅ショウガぐらいで、まあ「具はない」と言ってもいいぐらいである。

食べてみた。味がほとんどついてない。「そうか」と思って例の「後がけソース」をかけてみる(石巻焼きそばは調理段階でソースをからめず、皿の上で食べる段階で後からソースをかけるのである)。少しかけてみて、変わりがない。もう少しかけてみて、もう少しかけてみて、ようやく味がした。そうして味わった「味」はまずまずのものであった。ちなみに隣のサトウ商店の焼きそばの方はもう少し胡椒が効いていて、具もしっかりあった。好き嫌いで言えばサトウ商店の石巻焼きそばの方が好きだが、「石巻焼きそば」の特徴をよく表しているという点では金兵衛茶屋かな? などと思った。(特に、あまり具を入れないシンプルさは麺食人種としては気に入った。)

団子は隣のサトウ商店でも売り切れだった。

帰ろうとタクシーを拾おうと思うが、車が非常に多い。タクシーが登って来られないぐらい道が混んでいるようだ。辺りは日が暮れて暗くなってきたが、車と人は減りそうにないので、徒歩で帰宅することに。

タクシーで登ってきた坂を下ってゆくと、二日前には見られなかったライトアップされた石森萬画館や内海橋が見えた。

前日と同じ坂を下ったが見える風景はちがっていた。



ぶらぶらと母と四方山話をしながら7時頃に帰宅。

店のシャッター前を通ると、新聞がその厚さからシャッターの隙間に入らず、路上に放置されるかたちになっていた。何だ、ここにあったのかと笑う。

その後母は年賀状のお返しを書き始め、私はざっと新聞を読み、デジカメで撮影したデータを整理しながらお節を食べ始める。もちろんお酒もである。そうこうしているうちに兄と恵美子さんが8時頃に帰還。恵美子さんは仕事(伝票関係?)を持って丸森の実家に行っていたようである。兄は、仙台までの高速バスの時刻表を調べて教えてくれた。中央3丁目からは午前中だったら10時35分、11時35分と、

「だいたい1時間に1本あっから」

とのこと。

ふざけ半分で母に日本酒の味見をさせたりしながら、お節と恵美子さんのお土産をつっつき11時頃まで飲んだ。恵美子さんのお土産とは、恵美子さんのお母さんの文子さんの手料理をタッパーに入れて持ってきてくれたものだ。(美味しかったです。御馳走様でした!! )

飲み過ぎ食べ過ぎなのか、この日は朝から肝臓のあたりが痛かったが、この調子では明日もそうなりそう。

母にとっては一年で唯一ゆっくりできる日。その一日がゆっくりと過ぎた。明日からはまた店が始まるのである。


*    *    *     *    *


2011年1月2日、午前8時起床。

前日比較的早めに床に就いたためか、少しは早めに目が覚めた。

母はもう起きていてクルミ豆腐を作り終えていた。

大文字屋はもういつもの大文字屋の時間に戻っている。

顔を洗って、例の如くヨーグルト、トマトジュース、コーヒーの朝食を済ませ、身支度を整えた。飲み残した岩の井の純米酒を4合瓶に移し替え、キャリーバックに押し込む。

前夜兄に教えてもらった10時35分の高速バスに乗れそうである。

10時前に出かける旨を母に伝え、出る前に母の近影を撮影、ついでに私も撮ってもらう。

「もらった米余ってっがら、精米したら少し送ってやっから。」

などと言いながら母は私を送ってくれた。

私は初売りのアイトピアのようすをデジカメに収めながら、宮交バスの中央3丁目のバス停に向かう。

昔河合楽器があった交差点の角に、「牡蠣の郷 いしのまき」という店を発見。どこでか知らないが、牡蠣料理のキャンペーンを開催中で、そのアンテナショップのようである。また来たい店が増えてしまった。

10時35分の宮城交通バス仙台行きに乗車。定刻に出発。中央3丁目から3名の乗車であるが、石巻駅前で8割ほど席が埋まった。


*     *     *     *


仙台まで1時間少々、正午前に到着予定だったが、結局は12時10分頃に到着。少し時間がかかったが、バスの乗り心地はよかった。私はバスがあまり好きではなく、今回もどうかと思ったが、余裕をもって席に座れたし、バスのドライバーさんの対応も丁寧で行き届いていたし、すこぶる快適であったと言える。次回からも使おうかな、と思った。

仙台駅前で降車すると、バス停からすぐのところにエスカレーターがあり、駅のデッキに上がることができた。

みどりの窓口で新幹線はやての立席券を買う。今回は大宮まで新幹線に乗り、そこから在来線で新宿まで乗り継ぐことにした。湘南新宿ラインのグリーン車に乗ろう(座れるだろう)という算段である。

新幹線「はやて」12時50分の発車まで20分以上あったので、またつい寄り道。新幹線改札内に「牛タンカレー」の店を発見。カレーなら酔い醒ましにもいいのでは、と勝手な理屈をつけて650円の牛タンカレーを注文。この値段(の安さ)…が仇に。食した牛タンカレーは、不味くはなかったが…今度食べる時は「牛タン」のみ大盛りで頼もうと思った。

新幹線「はやて」に乗車。天気も良くなり、大宮までの立席1時間10分程度はすぐ過ぎた。大宮で湘南新宿ラインで乗り換え。と思ったら、埼京線との区別がつきにくく、乗り換えホームを探すのに一苦労。何とかホームにたどり着き、グリーン券を買って湘南新宿ラインの2階建てグリーン車に乗車して発車…。

えっ……

グリーン車なのに、満員どころか、階段・通路まで人が溢れ返っている。通ることも難しい。

あれれれれ…

と思いながら、考えてみれば、指定席ではないから、こういうこともありうるのか、それにしても…

と思っていたら、女性車掌が通りがかる。

「グリーン券買ってるのに、座ることもできないのは、どういうことですかね?」

と満杯でひしめく乗客の中をかき分ける車掌さんにクレームをつける。と、その車掌さん、すかさず、

「お座りになれないお客様には、ご希望でしたら、グリーン料金の払い戻しをしておりますが、いかがいたしますか。」

とのこと(少しすまなそうに)。この状況の対応には慣れているらしい。

「それなら、そうしてください。」

ということで、払い戻しの手続きをしてもらう。それならそれで私としてはいいのである。

「払い戻しの手続きをしましたので、最寄りのみどりの窓口にてお支払いを受けていただけますか。こちらが証明書です。」
「わかりました。それで、車両の移動は次の停車駅に着いてからでいいですね、この状況ですから。」
「はい、もちろん結構です。」

現金で即返しでないのは面倒だったが、まあ、対応が敏速だったのでいいでしょう。でも湘南新宿ラインのグリーン席は、たしか席の上部天井のセンサーにチケットをかざして着席するシステムだったと思うので、席数以上の発券しちゃいかんだろ、いや、あれは東海道線だったかな、などと思いながら、次の駅で列車を降りた。他の車両も満員だったので、埼京線に乗り換えることにしたのである。

10分ほど待って埼京線の列車が来た。こちらはガラガラである。各駅停車であったが新宿まで非常に快適に乗車することができた。うーん、さっきのは何だったんだろう、と思いながら、新宿駅で小田急線に乗り換え、生田の駅に到着したのは4時半過ぎであった。

おそらく湘南新宿ラインは運転区間が埼京線より長いので、それであれほど混んでいたのだろう。帰省の際の大宮乗り継ぎルートは少し注意しなければならないと思った。

最後にドタバタがあったが、こうして数十年ぶりの正月帰省は終わったのである。






付記1 

フォトチャンネルを更新しました。帰省の年明けのようすと、昨年のよしゆきさん宅訪問時の写真+αである。




付記2

「牡蠣の郷 いしのまき」のキャンペーンは、「いしのまき『牡蠣の郷』協議会」主催で、サイトも立ち上げられています。

>http://www.kakinosato.net/
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