大文字屋の憲ちゃん (当面は 石巻 地震) 

RIP 親父 けんちゃん 石巻 地震

20110604 石中同窓生と新宿で飲む - part3 to 石巻 地震がありましたが大文字系は無事です。(99)

2011-07-22 17:03:39 | 日記



6月4日、石中同窓生と飲んだ。この日も場所は新宿。小田急線新宿駅南口改札前で6時に待ち合わせ。

面子はガンジとガビゴとトッショロと毛塚、そしてこの日は紅一点でガンジが「ヒット」と呼ぶ仁美さん(東京在住)である。

3月5日に同じ新宿で飲み、その後の震災。およそ3か月ぶりの再会、情報交換をした。

お店は西口「思い出横丁」(わたしゃ「ションベン横丁」と呼んでますが)の「安兵衛」(だったと思う。)

ヒットは石中2年次のガンジたちのクラスメートで、この日の会合へのガンジの呼びかけに応じて参加である(中学時代はテニス部)。

ガンジは震災後真っ先に石巻入りしていたが、その後も支援活動で何度か訪れているとのこと。

ガビゴはGWに石巻に帰省。被害を自分の足と目で確認してきたそうだ。「日高見」で知られる平孝酒造の「震災復興酒」が従来とは異なる美味さなので飲むようにとのこと(機会を逸して飲めなかった。残念)。


毛塚は震災後間もなくに仕事で渡仏。震災前から決まっていた仕事だったが、時期的に行くかどうかかなり迷ったそうだ。熟考の末行くことを決断。二つのコンサートをこなし、さらに講習を受講。向こうでの活動はたいへん有意義だったとのこと。余談だが、向こうでの原発関連の報道はビジュアル的にもロジックの点でも明快で分かりやすかったそうだ。「講習」についても「良かった」と言っていたが、そういう整理された明快さのようなものが向こうのコミュニケーションにはしっかりあるように思われた。私自身は80年代にNHK-BSで見た、イギリス王立映画アカデミーによる「七人の侍」(黒澤明)のゼミナールを思い出した。

途中でガンジだったかドイベンと携帯で話し始め、私も10分ほど話をした。その時は福島のいわき市にいたそうで、仕事と被災地の親戚訪問で飛び回っていたそうだ。久しぶりのあの野太い声を聞いて本当に懐かしかった。

トッショロと話していて思わぬ報せを聞いた。平塚達也くんが亡くなったという話だ。実はこれを聞いて、ご実家に連絡を入れたところ、事実であることが確認できた。津波である。この話は後日くわしく書きたいと思う。

この日は12時近くまで楽しく飲み、久しぶりの再会に何か安堵の思いに浸りながら家路に就いた。






追記1 

実は前日の6月3日夜に、鰐陵(石高)同窓生と飲み会の予定があったのだが、私の勘違いで欠席してしまった(汗。三宅君、石原君、三浦君、遠藤君、大橋君、木村君、佐藤君、マサトシ君、谷村君、細川君、ピストン君、たいへん申し訳ない。というか、懲りずにまた誘ってください。



追記2

私は7月31~8月2日すなわち川開きに帰省予定です。今年は憲ちゃんの三回忌に当たるのですが、実家によると予定は立っていないとのこと。寺が被災し、おっさんも亡くなったためである。また川開きは31日前夜祭と1日の縮小開催で、花火は中瀬で打ち上げるとのこと。


追記3

やはり時間が経つと当日のことで思い出せないことが多いですね。参加の皆さん、何か付け加えることがありましたら、コメント欄にでもお願いします。


追記4

twitterでつぶやいた2曲+α。

若者のすべて(nikkanサイトで検索トップのサッカー元日本代表本田の離婚記事にアニー・ジラルドの死亡記事を見つけ出演したヴィスコンティの「若者のすべて」を検索したらフジファブリックの同名曲があったので聴いてみたら良い曲だったが主要メンバー志村正彦が2009年に急死していたと知りびっくりする。)

Bright Eyes

Art Garfunkel のおまけ

 

(20140608 追記 上記「若者のすべて」等を視聴できるようにしました。↓)
フジファブリック - 若者のすべて

Bright Eyes - Art Garfunkel

Art Garfunkel - 99 Miles To L A


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