副社長「日勤教育は有益」 尼崎JR脱線・意見聴取会(神戸新聞) - goo ニュース
ほうほう。
余裕時分ゼロのダイヤを問題なしとおっしゃる?
何度もこのブログで述べているとおり、今となっては高見運転士がどのような心理状態で列車を運転していたのかは、分からない。
ただしかし、無線応答の状況もあっただろうし、オーバーランから日勤教育を恐れていた心理状況もあることだろう。
それにもまして高見運転士を追いつめたのは、余裕時分ゼロの要注意ダイヤが引き起こしたことに他ならぬ。
ここで「科学的な状況証拠を」と言われても立証しかねるので(笑)、そこまで求められても正直困るのだが、列車が1秒でも遅れればたちまち他線に波及するダイヤ構成が、高見運転士を追いつめた何よりの証拠ではないのか。残念なことに物的証拠ではないため、論理的に解析することは、心理行動学者でもない限り不可能だが。
試しに皆さんも、日々の生活の一場面、或いは仕事中の一場面でも良い。
余裕時分全くゼロの行程を作ってみよう。
その結果がどうなるか。
例えば通勤時に利用する列車ダイヤでもいい。乗り換え時分を全く無視して行程を考えてみれば、どれだけ達成困難な目標か、身をもって知ることが出来よう。
日々の行程から、利用する列車ダイヤを元に、家から会社や学校までの行程をきっちり厳密に秒刻みで管理するのだ。
朝いつも乗る列車は○時○分発、それに間に合うには、駅まで徒歩で△分△秒かかるから、家を出るのは×時×分×秒かな…といった具合に、途中の信号待ちの時間を一切抜きにして考えよう。
それが毎日毎日達成可能ですか? って話なんですよ。
こうした綱渡り的なダイヤは、ひとたびどこかでほころびが出れば、たちどころに崩壊する。ましてや余裕時分全くゼロのダイヤだから、道すがらの信号待ちでさえ許されない。そんなダイヤを顧客に提示して利用させるのが、本当に客のためなのかどうか。
じゃあそうしないために、信号は引っかかったら1分はロスするかな、利用する電車は毎日3分くらいは遅れる。じゃあ合計して余裕時分は4分だね…というのが、本来の作業ダイヤを決める正しい道筋ではないか。一切の余裕を省いたダイヤなど。言葉尻はとても甘く聞こえるが、実態は一切の猶予もない、地獄絵図そのものである。
かつて、寺山修司もこういった。
無駄のないということは、なんと無駄なことであることか。
心に、生活に、余裕がなければ、いつか心も生活も崩壊してしまう。
そんな商品を、顧客が選択したがるだろうか。
確かに一見甘美な響きである。余裕時分ゼロのスピードダイヤなのだから。
効率化を求める余り、効率化してはいけない部分まで効率化しているのが、JR西日本の現状ではないのだろうか。それは、あまりにも、最大の使命を愚弄する行為ではなかろうか。
JR西日本も株式が公開され、株主からは利益を追求される。
そのためには、切り下げられるものはどんどん切り捨てる。
それが会社として、商品を提供する側にとって、本当に正しい選択なのか。
商品は、あくまで安全であるのが第一である。
JR西日本を、「利益第一主義」とばっさり切ることは簡単だが、そんなにことは簡単なことではないのは、百も承知しているつもりである。
だがしかし、鉄道会社の主要商品である「列車ダイヤ」に、未だにそのような認識でいるままであるならば、いくらなんでも尊き乗客乗員の命は浮かばれまい。
そして何より訴えたい。
高見運転士もこの事故の被害者であるということを。
「忙しい」って、どういう字を書くんですか?
そうですね。
「心」を「亡くす」と書くんですよ。
鉄道会社が、そのような商品を売りつけていて、いいんですか?
尼崎JR脱線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(事故調委)が昨年十二月に公表した事実関係報告書案への意見を聞く「意見聴取会」が一日午前、東京・霞が関の国交省で始まった。最初に公述したJR西日本の丸尾和明副社長兼鉄道本部長は、あらためて謝罪する一方、「日勤教育は意識改革を目的に適切に行っていた」と有用性を主張するなど、数項目で報告書案に反論。これに対し、事故調委の委員からは厳しい質問が相次いだ。
鉄道事故で意見聴取会が開かれるのは初めて。遺族二人と負傷者一人を含む十三人が意見を述べる。遺族が公述人となるのは、日航ジャンボ機墜落事故(一九八五年)、中華航空機墜落事故(九四年)の聴取会に続き三度目。遺族や負傷者ら百六十四人が傍聴した。
丸尾副社長は、日勤教育について、同社の運転士の自殺に関する訴訟を例に挙げ、「昨年十一月の大阪高裁判決でも有用性が認められた」などと主張。設置遅れが指摘された新型の列車自動停止装置(ATS-P)に関しては「図面等の精査を慎重にした結果、設置時期を見直した」とした。
さらに、運転士に心理的負担を与えていたとされる宝塚線のダイヤについても、「余裕時分がなくても若干の余裕はある」との見解を述べた。
事故調委の委員は、日勤教育について「訴訟を引用されたが、調査の趣旨とは筋が違う。奇異に感じる。取り消していただきたい」と発言。主張全般について、「社として事故原因をどう考えるのかもっと具体的に」「(JR西は)さまざまな部署の人がもっともな言い訳をされる。社会にこたえる鉄道員という精神が見られない」などと厳しい指摘が出された。
丸尾副社長のほか午前中、事故で大学生の長男を亡くした伊丹市の山中秀夫さん(51)らが公述し「JR西が余裕のないダイヤでの定時運行を強要したため、運転士の精神的負担が増していたことなどが事故原因」と指摘した。
報告書案は、高見隆二郎運転士=死亡当時(23)=が車掌と指令員の無線交信に気を取られたことが事故原因となった可能性を指摘している。事故調委は意見聴取会を踏まえ、今春に最終報告書をまとめる予定。
◆尼崎JR脱線事故◆ 2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線(福知山線)塚口-尼崎間の右カーブで快速電車(7両編成)が脱線。線路脇のマンションに衝突し、乗客と運転士の107人が死亡、550人以上が重軽傷を負うJR史上最悪の事故となった。兵庫県警は業務上過失致死傷容疑で捜査。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、事故から2年となる今年4月下旬を目標に最終報告書の取りまとめを進めている。
ほうほう。
余裕時分ゼロのダイヤを問題なしとおっしゃる?
何度もこのブログで述べているとおり、今となっては高見運転士がどのような心理状態で列車を運転していたのかは、分からない。
ただしかし、無線応答の状況もあっただろうし、オーバーランから日勤教育を恐れていた心理状況もあることだろう。
それにもまして高見運転士を追いつめたのは、余裕時分ゼロの要注意ダイヤが引き起こしたことに他ならぬ。
ここで「科学的な状況証拠を」と言われても立証しかねるので(笑)、そこまで求められても正直困るのだが、列車が1秒でも遅れればたちまち他線に波及するダイヤ構成が、高見運転士を追いつめた何よりの証拠ではないのか。残念なことに物的証拠ではないため、論理的に解析することは、心理行動学者でもない限り不可能だが。
試しに皆さんも、日々の生活の一場面、或いは仕事中の一場面でも良い。
余裕時分全くゼロの行程を作ってみよう。
その結果がどうなるか。
例えば通勤時に利用する列車ダイヤでもいい。乗り換え時分を全く無視して行程を考えてみれば、どれだけ達成困難な目標か、身をもって知ることが出来よう。
日々の行程から、利用する列車ダイヤを元に、家から会社や学校までの行程をきっちり厳密に秒刻みで管理するのだ。
朝いつも乗る列車は○時○分発、それに間に合うには、駅まで徒歩で△分△秒かかるから、家を出るのは×時×分×秒かな…といった具合に、途中の信号待ちの時間を一切抜きにして考えよう。
それが毎日毎日達成可能ですか? って話なんですよ。
こうした綱渡り的なダイヤは、ひとたびどこかでほころびが出れば、たちどころに崩壊する。ましてや余裕時分全くゼロのダイヤだから、道すがらの信号待ちでさえ許されない。そんなダイヤを顧客に提示して利用させるのが、本当に客のためなのかどうか。
じゃあそうしないために、信号は引っかかったら1分はロスするかな、利用する電車は毎日3分くらいは遅れる。じゃあ合計して余裕時分は4分だね…というのが、本来の作業ダイヤを決める正しい道筋ではないか。一切の余裕を省いたダイヤなど。言葉尻はとても甘く聞こえるが、実態は一切の猶予もない、地獄絵図そのものである。
かつて、寺山修司もこういった。
無駄のないということは、なんと無駄なことであることか。
心に、生活に、余裕がなければ、いつか心も生活も崩壊してしまう。
そんな商品を、顧客が選択したがるだろうか。
確かに一見甘美な響きである。余裕時分ゼロのスピードダイヤなのだから。
効率化を求める余り、効率化してはいけない部分まで効率化しているのが、JR西日本の現状ではないのだろうか。それは、あまりにも、最大の使命を愚弄する行為ではなかろうか。
JR西日本も株式が公開され、株主からは利益を追求される。
そのためには、切り下げられるものはどんどん切り捨てる。
それが会社として、商品を提供する側にとって、本当に正しい選択なのか。
商品は、あくまで安全であるのが第一である。
JR西日本を、「利益第一主義」とばっさり切ることは簡単だが、そんなにことは簡単なことではないのは、百も承知しているつもりである。
だがしかし、鉄道会社の主要商品である「列車ダイヤ」に、未だにそのような認識でいるままであるならば、いくらなんでも尊き乗客乗員の命は浮かばれまい。
そして何より訴えたい。
高見運転士もこの事故の被害者であるということを。
「忙しい」って、どういう字を書くんですか?
そうですね。
「心」を「亡くす」と書くんですよ。
鉄道会社が、そのような商品を売りつけていて、いいんですか?
通りすがりのコメントをありがとうございます。
仰るとおり、たしかに当方の主張することは綺麗事かも知れません。
たしかに一番の責任者は、運転士本人でしょう。ましてや隠蔽は自己保全の何物でもありませんし、当方はその点を無視してまで高見運転士をかばった主張は一切しておりませんし、それは事故が起こった2年前から一貫して主張し続けているところですので。
では、運転士をそこまで異常な運転に追い詰めた背景は何が存在したのか…ということをいろいろ突き詰めていくと、使用者側の異常な労務管理と、無理を承知のダイヤ構成という提供商品に他ならないと思うからこその主張です。つまり、商品を提供する使用者側に無理があったと言わざるを得ないからこその主張です。通常の心理では、とうてい任務を全うできる状態にはなかった。そう至らしめた背景は…? と考えると、自ずと答えが出るものと思われます。
高見運転士に責任を負わせることは簡単ですし、この事故で被害に遭われた方には大変お気の毒かという気持ちをこれっぽっちも忘れたことはありません。
だからこそ、本当の責任の所在を明らかにすべきである…というのが、当方の事故当日からの一貫した主張です。「高見が悪い」だけで終わらせてしまっては、絶対にいけない事案だと考えます。
それはたとえ綺麗事と思われようが、そこまで追求しなければ、同じような事故はまた起きるでしょう。そうなって欲しくないから、例え綺麗事であっても2年前から当方が主張し続けたのに他なりません。
以上のような背景であることを、どうかご理解賜りたいと存じます。
ご意見ありがとうございました。
高見も被害者なんて理屈、あなたは事故犠牲者(特に大学生の子供さんを亡くされた方)の前で言えますか?どう考えても高見は本件の一番の責任者でしょ。直接的に多数のお客さんの命を預かり、そして自己保全の為に犠牲にさせたのですから。
そのスパイラルにもう突入してしまっているかもしれません。
目先の利益を優先するばかりに、最大の使命を見失っているとしか思えません。
株式を公開しているから、株主に利益を要求される…という言い訳は聞き飽きました。
電車が遅れるのは致し方ありません。
ならば遅れを最小限に抑えて、なるべく早く正常ダイヤに戻すことが、鉄道輸送の使命でしょう。
一応西日本も、輸送障害を考えたダイヤ編成に方針転換はしているんですが…。
以前、コメントさせて頂いた者です。
私鉄との競争で大変な事は分かりますが、『安全第一主義』が、結局はJR西の企業価値アップとなるにもかかわらず、目先の利益を優先させるのか理解に苦しみます。
これでは、被害に遭われた皆様はもとより高見運転手も浮かばれませんね。
過密ダイヤ⇒運転手の負担⇒事故⇒乗客減少・イメージ低下⇒売上減少⇒株価の低迷
こんな悪いスパイラルになると思うのですが。