♪ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニニンが三蔵
♪ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが悟空
西へ向かうぞ ニンニキニキニキニン
西にはあるんだ 夢のくにンニキニン♪
この歌を知っていたら年がばれちゃうorz
この曲が流れていた人形劇「飛べ!孫悟空」は、年代的においらが物心付くか付かないかの頃の、ギリギリの年頃なのだけれど、これを見ていた記憶がオンタイムだとすると、おいらが3歳か4歳の、幼稚園入学前の記憶が、何故か残っていることになる。もしかするとどこかの時間帯で再放送された物を見ていたのかもしれないし、年代的にはその可能性が遙かに高いのだが、この人形劇が後年、岡山地方で再放送されていたかどうかを知る術はもはや無い(笑)。
この頃のドリフターズは、毎週土曜夜8時の「8時だよ!全員集合」の生放送があって、月イチで「ドリフの大爆笑」があり、かつこの人形劇の収録もあったのだから、文字通り殺人的なスケジュールだったのだろう。ましてや「8時だよ!全員集合」は、全国各地を転々としていたのだから恐れ入る。今のように交通事情、ことに道路事情はそれほど良くない頃だし、この頃のドリフターズのスケジュールが、どれほどきつかったのかは想像しかねるほど。
余談はさておき。
既に発表されていて、段々と「Xデー」に向けて、大きいお友達の熱も高まってきた2つのイベント。
即ち、名鉄初代パノラマカー引退と、0系新幹線引退。
これだけでも、進路は西へ取るべきところへ、関西地方からまたもや気になる話題がいくつか入ってきている。
まずはおいらも2年3ヶ月ばかりお世話になった、阪急電車の話題。
これまで阪急京都線の都市間輸送を担っていた6300系が、リニューアルされた上で、桂~嵐山間の嵐山線に投入されることが正式にリリースされた。
京都線6300系車両がデザインを一新 来春嵐山線で再デビュー(PDFファイル)
ということは、アレですか。
6300系が都市間輸送から引退することもさることながら、これって方向幕未装備の2300系引退ってーことですかね?
2300系デビューから、ゆうに45年も経過しているわけで、そろそろ車両の取り替えの話が舞い込んでも全く不思議ではない。
現に、昨今の鉄道車両の情勢にあって、古い車両を比較的叩き直しながら使用している阪急でも、神宝線系統の3000系の廃車が既に始まっており、これは冷房試作車という運命もあるのだけれど、それよりも若い1970年デビューの冷房試作車5200系はとうの昔に廃車され、更にその5年後の1975年にデビューした、京阪間を疾走した6300系も既に廃車が始まっている。
2300系ねえ…。
あの独特のコンプレッサー音とブレーキ緩解音。甲高いモーター音。
それを聞きたいためだけに俺は京都に行きたいぞ。
この音はくるりの岸田繁も大好きなのかどうか、アルバム「図鑑」の中にも収録されている。さすが夕暮れ前の東向日駅梅田方面行きホームが好きな岸田だけある(笑)。
3000系までは(3300はどうだっけ?)、車掌のドアスイッチが、側面の乗務員扉上についていて、片腕を上げながらドア扱いするという、独特の形態なんだよねえ、あれ。
この20年で、京阪間の都市間輸送もガラリと一変した。
JRも阪急も京阪も、京阪間ノンストップの新快速(JR)や特急(私鉄)の運転はなくなり、時間の許す限り沿線の駅にこまめに止まり、客を拾うようになった。
だいたいが、ですよ。
阪急の6300系特急が、長岡天神辺りに止まって客を乗せる姿が未だに信じられん(笑泣)。
もう一度、阪急京都線の特急として、乗り納めに行きたいなあ…。
大阪市営地下鉄からは、谷町線に関して、こんなリリースも。
大阪市交通局:報道発表資料:平成21年春 30000系車両デビュー 地下鉄谷町線に新型車両を導入します
つまりはこれは、谷町線に残っている、30系車両の置き換えですな。
大阪に行くたびに、谷町線には何度も乗っているのだけれど、悔しいかな30系には全く当たって居らず、関西地方を離れた1988年以来、もう20年も乗っていない。
おいらが定期的に谷町線を使っていたのは、1986年の春から冬にかけての半年間だけだが、あの頃は新型車両が中央線の20系。谷町線には4扉の「シルバーカー」30系の他に、3扉の50系が健在で、中間の2両には、元中央線開業当時の車両の5800形(旧800←6000形)、5900形(旧900←6100形)や、50系のプロトタイプとなった5700形(旧200←1200形)を組み込んだ編成があって、更に30系でも初期形では警笛が空気笛だけでやかましかったり、阪急のような電気笛を取り付けた車両もあり、系列は2つしかないのに車両によってはいろんなバリエーションがあり、「今日は何が来るのかな」という楽しみがあった。中でも1958年製の5700形は、足回りは新性能だったのに、デザインは旧型車を踏襲しつつ新機軸を盛り込むデザインだったためか、ただでさえ50系は古びて見えるのに、この車両に当たるとより古びて見えたものだが、この頃、千日前線には、同じようなデザインながら、1枚扉も重々しい、1957年製の100系電車が健在だったので、これに比べれば…という感じだった(笑)。
まあ、真夏なんかは当時の地下鉄は当然非冷房が当たり前だったから(冷房車は中央線の20系と近鉄7000系、御堂筋線の10系と北大阪急行の8000系しかなかった)、暑くて暑くて仕方なかったのだが(笑)。
30系ねえ…。
廃車にする前に、大阪市さんに是非ともお願いがあるんですが。
廃車にする前に是非とも座席はプラスチックに(以下略
構造がどんな形かは忘れてしまったけれど、あの30系といい、堺筋線用の60系といい、プラスチックにモケットを張っただけのシートは、東梅田から谷町九丁目まで乗るだけだったのに、小学生風情にも痛くて痛くてたまらなかったぞ、アレ。
さすがに今は普通のシートに取り替えられたようだけれど、あのシートに今の人が座らされたら、大阪市役所に誰か怒鳴り込みに行くかしら?
うーん。
どうやら進路は西に取れということらしい。
阪神競馬が12月にあるし、なんとなれば中京競馬にも行けるから、12月にでも行こうかしら。
今を逃すと、0系新幹線や名鉄パノラマカー以上に、なんだか悔やんでも悔やみきれなくなってくるような気がしてきた。
っつーか、大阪に行ったら飲みに付き合ってくれる人っているかしらん…?
♪ニンニキニキニキ ニンニキニキニキ ニシンが悟空
西へ向かうぞ ニンニキニキニキニン
西にはあるんだ 夢のくにンニキニン♪
この歌を知っていたら年がばれちゃうorz
この曲が流れていた人形劇「飛べ!孫悟空」は、年代的においらが物心付くか付かないかの頃の、ギリギリの年頃なのだけれど、これを見ていた記憶がオンタイムだとすると、おいらが3歳か4歳の、幼稚園入学前の記憶が、何故か残っていることになる。もしかするとどこかの時間帯で再放送された物を見ていたのかもしれないし、年代的にはその可能性が遙かに高いのだが、この人形劇が後年、岡山地方で再放送されていたかどうかを知る術はもはや無い(笑)。
この頃のドリフターズは、毎週土曜夜8時の「8時だよ!全員集合」の生放送があって、月イチで「ドリフの大爆笑」があり、かつこの人形劇の収録もあったのだから、文字通り殺人的なスケジュールだったのだろう。ましてや「8時だよ!全員集合」は、全国各地を転々としていたのだから恐れ入る。今のように交通事情、ことに道路事情はそれほど良くない頃だし、この頃のドリフターズのスケジュールが、どれほどきつかったのかは想像しかねるほど。
余談はさておき。
既に発表されていて、段々と「Xデー」に向けて、大きいお友達の熱も高まってきた2つのイベント。
即ち、名鉄初代パノラマカー引退と、0系新幹線引退。
これだけでも、進路は西へ取るべきところへ、関西地方からまたもや気になる話題がいくつか入ってきている。
まずはおいらも2年3ヶ月ばかりお世話になった、阪急電車の話題。
これまで阪急京都線の都市間輸送を担っていた6300系が、リニューアルされた上で、桂~嵐山間の嵐山線に投入されることが正式にリリースされた。
京都線6300系車両がデザインを一新 来春嵐山線で再デビュー(PDFファイル)
ということは、アレですか。
6300系が都市間輸送から引退することもさることながら、これって方向幕未装備の2300系引退ってーことですかね?
2300系デビューから、ゆうに45年も経過しているわけで、そろそろ車両の取り替えの話が舞い込んでも全く不思議ではない。
現に、昨今の鉄道車両の情勢にあって、古い車両を比較的叩き直しながら使用している阪急でも、神宝線系統の3000系の廃車が既に始まっており、これは冷房試作車という運命もあるのだけれど、それよりも若い1970年デビューの冷房試作車5200系はとうの昔に廃車され、更にその5年後の1975年にデビューした、京阪間を疾走した6300系も既に廃車が始まっている。
2300系ねえ…。
あの独特のコンプレッサー音とブレーキ緩解音。甲高いモーター音。
それを聞きたいためだけに俺は京都に行きたいぞ。
この音はくるりの岸田繁も大好きなのかどうか、アルバム「図鑑」の中にも収録されている。さすが夕暮れ前の東向日駅梅田方面行きホームが好きな岸田だけある(笑)。
3000系までは(3300はどうだっけ?)、車掌のドアスイッチが、側面の乗務員扉上についていて、片腕を上げながらドア扱いするという、独特の形態なんだよねえ、あれ。
この20年で、京阪間の都市間輸送もガラリと一変した。
JRも阪急も京阪も、京阪間ノンストップの新快速(JR)や特急(私鉄)の運転はなくなり、時間の許す限り沿線の駅にこまめに止まり、客を拾うようになった。
だいたいが、ですよ。
阪急の6300系特急が、長岡天神辺りに止まって客を乗せる姿が未だに信じられん(笑泣)。
もう一度、阪急京都線の特急として、乗り納めに行きたいなあ…。
大阪市営地下鉄からは、谷町線に関して、こんなリリースも。
大阪市交通局:報道発表資料:平成21年春 30000系車両デビュー 地下鉄谷町線に新型車両を導入します
つまりはこれは、谷町線に残っている、30系車両の置き換えですな。
大阪に行くたびに、谷町線には何度も乗っているのだけれど、悔しいかな30系には全く当たって居らず、関西地方を離れた1988年以来、もう20年も乗っていない。
おいらが定期的に谷町線を使っていたのは、1986年の春から冬にかけての半年間だけだが、あの頃は新型車両が中央線の20系。谷町線には4扉の「シルバーカー」30系の他に、3扉の50系が健在で、中間の2両には、元中央線開業当時の車両の5800形(旧800←6000形)、5900形(旧900←6100形)や、50系のプロトタイプとなった5700形(旧200←1200形)を組み込んだ編成があって、更に30系でも初期形では警笛が空気笛だけでやかましかったり、阪急のような電気笛を取り付けた車両もあり、系列は2つしかないのに車両によってはいろんなバリエーションがあり、「今日は何が来るのかな」という楽しみがあった。中でも1958年製の5700形は、足回りは新性能だったのに、デザインは旧型車を踏襲しつつ新機軸を盛り込むデザインだったためか、ただでさえ50系は古びて見えるのに、この車両に当たるとより古びて見えたものだが、この頃、千日前線には、同じようなデザインながら、1枚扉も重々しい、1957年製の100系電車が健在だったので、これに比べれば…という感じだった(笑)。
まあ、真夏なんかは当時の地下鉄は当然非冷房が当たり前だったから(冷房車は中央線の20系と近鉄7000系、御堂筋線の10系と北大阪急行の8000系しかなかった)、暑くて暑くて仕方なかったのだが(笑)。
30系ねえ…。
廃車にする前に、大阪市さんに是非ともお願いがあるんですが。
廃車にする前に是非とも座席はプラスチックに(以下略
構造がどんな形かは忘れてしまったけれど、あの30系といい、堺筋線用の60系といい、プラスチックにモケットを張っただけのシートは、東梅田から谷町九丁目まで乗るだけだったのに、小学生風情にも痛くて痛くてたまらなかったぞ、アレ。
さすがに今は普通のシートに取り替えられたようだけれど、あのシートに今の人が座らされたら、大阪市役所に誰か怒鳴り込みに行くかしら?
うーん。
どうやら進路は西に取れということらしい。
阪神競馬が12月にあるし、なんとなれば中京競馬にも行けるから、12月にでも行こうかしら。
今を逃すと、0系新幹線や名鉄パノラマカー以上に、なんだか悔やんでも悔やみきれなくなってくるような気がしてきた。
っつーか、大阪に行ったら飲みに付き合ってくれる人っているかしらん…?
また阪神は来年3月に、なんば線の開業もありますね。
8月に讀賣テレビ放送主催の「わおーん!ライブin大阪城ホール」で遠征した際、阪急3300系も5000系リニューアル車と同じ改造工事を施していましたよ。
http://www.ytv.co.jp/waon/
0系新幹線ファイナルに当たる30日は、モーニング娘。の梅田芸術劇場で行われるコンサートがある為、さゆみん(道重さゆみさん)推しや田中れいなちゃん推しが挙って来阪すると予想されます。
今年は東海より西の地方でいろいろと動きがありますね。
まとめて乗り倒しにいくのでは、2日の休みじゃ回りきりませんねえ…。
先日、大阪方面へ出掛ける用事がありましたんで…少々、早起きして~今や2往復しか新大阪駅に顔を出さなくなった“0系新幹線”を撮影しに新大阪駅へ行って来ましたよ。
ターゲットは、即!折り返し運転に入る「こだま639号」ですな。
日曜日という事もあり、、カメラを持った鉄男&鉄子やファミリーが異常発生しておりました。
当然!乗客も長蛇の列で指定席は満席~自由席も満席+立ち席客を数十人を乗せて出発して行きました。
やっぱ!元祖!新幹線!⇒0系。
可愛い~♪そして!格好良いッス(≧▽≦)。
続いて、関西線カラーの103系が走る⇒大阪東線にも乗って来ましたよ。
感想は、、車窓は下町風で少々~ゴミゴミした感じで…う~ん、、関西の武蔵野線ですな←そのまんまやんけ!(爆)。
で、もう一つ気になってるのが⇒南海電鉄の本線と高師浜線・多奈川線で活躍してた一枚扉の電車(形式は忘れました)が引退が近い?ていう話を聞いたんですが…。約十年来、南海電車には乗って無いもんで、、よく分からないんですが…カーブでツリカケ風の音を出して(低音ですが)走ってたのを覚えてます…。
まぁ、鉄話題は関西が多いですねぇ。
結果的に、10年前に名古屋から東京まで乗り通した0系こだまの2&2シートが、最後の経験になっちゃいそうです。
南海の一枚扉ってーと、6000系ですかね?
あれもかなりの古豪さんですからねえ…。
それでは西宮球場で車座になって昔のパリーグを語ったり、梅田の地下街の立ち飲み屋で(以下略ww
いろいろと行きたい場所がありすぎて困りますね、関西は。
http://www.asahi.com/national/update/1105/TKY200811050052.html
>陀羅尼助丸さん・小馬太郎兵衛さん
南海は8000系(別名JR東日本E231系タイプ)が増備されると、一枚扉の7000系・両開き扉の7100系が徐々に廃車されます。
また7100系の台車を6100系に振り替えて、6300系にリファインが完了します。
また6000系は、まだまだ現役で頑張っております。
この機関車は「ロイヤルエンジン」61と違って、表舞台に出てくることがなかなか無かったため、印象がどうしても薄くなっちゃうんですよねえ…。
南海本線の一枚扉は7000形でしたか、
あれで関空にも行けちゃうのですから、古い奴を叩き直しているなあ…と思ったのですが。