まず初めにこれを貼っておこう。
STVニュース 「ばん馬競馬」が廃止で馬がセリに
待 て や こ ら 。
要は、馬主がばんえい競馬存続のために、馬を肉にしてまで金を浮かせて寄付をするとのことだが、それって寄付って言うのか?
いわば人柱じゃないけれど、これら熊本に売られていった馬たちというのは、いわば「馬柱」(競馬新聞じゃないよ)となって売られていったわけで、果たしてそのような行為に及んでまで寄付金を作り上げることが、帯広市民、ひいては北海道民の支持を得ることが出来るのだろうか。しかも、いきなり極端に走るかね。
確かに、ばんえい競馬存続のためには、どうしようもない、のっぴきならない自体にまで発展しているのは、ばんえい競馬ニュースをご覧の皆さんなら、形だけでも十分お分かりのこととは思うのだが、いくらばんえい競馬の真実がそうであれ、「肉を切って骨を断つ」ではないけれど、そんな姿をいきなり道民の白日の元に晒すのが、果たして本当に得策なのかどうか。
さらに付け加えるならば、この段階でてめえら馬主はなんの傷も負ってねえじゃねえか。別に賞金がいきなり削減されたわけでもないし、賞典削減案が提示されて、確かに40%削減案は呑んだだろう、しかし実際にはまだ40%削減案は実行すらされていない状況で、寄付金を作り出す、いわば馬主のエゴで、まだばんえい開催があるというのに、調教師側の食い扶持が処分されていくという理不尽は、どう考えてもおかしいだろう。
更になにより問題なのは、我々のようなばんえい競馬存続派は、この話を美談に仕立て、「馬柱となって消えていった馬たちのためにも、ばんえい競馬存続を」と唱えるのである。
だったら馬主自らが腹かっさばけ。
そこまで調教師側、馬側に負担を強いてまで、ばんえい競馬を存続させることが、果たして本当に得策なのだろうか。馬と調教師は泣いた。
なんで馬主だけがのうのうと金のために馬を肉に出来る権利があるんだ?
本当にばんえい競馬を北海道の文化、遺産、誇りというのなら、まず馬主から腹かっさばいてみろ。そうでもなしに、いきなりばんえい競馬の真実を白日の下に晒して、誰がばんえい競馬存続に納得すると思うのか。ばんえい競馬を知らない帯広市民、北海道民の誰が納得すると思うのか。
確かに、廃止になろうとならなかろうと、どの馬もどうせ最後は肉になる。それはもとよりばんえい競馬のHPにも書かれていることである。
ただ、それをモロに見せつけることが、果たして得策かどうかということである。
これがばんえい競馬存続派にとって、モロに逆風にならなければよいのだが…。
↑ 馬柱となっていった馬たちを、生かすも殺すも俺たちだ。
STVニュース 「ばん馬競馬」が廃止で馬がセリに
事実上の廃止が決まったばんえい競馬。その影響が、こんな形で現れ始めました。一部の馬主たちが、現役のばん馬を売りに出しました。帯広市への寄付金の確保し、存続を促すのが目的です。
釧路市の家畜市場ではけさ、今年、最後の馬の取り引きが行われました。その中に、事実上の廃止が決まった「ばんえい競馬」の旭川と北見の現役の競走馬7頭も売りに出されました。
(村上記者)「競走馬が売りに出されました。ほとんどが食肉にされると言うことです」
馬が売られた背景には、唯一、廃止の最終決定をしていない帯広市に対して、売ったお金の寄付を表明し、来年度以降も単独でばんえい競馬を開催をしてもらいたいという馬主たちの思いがあります。
(馬主の依頼を受けた調教師)「なんて言ったらいいのか・・・みんなのために犠牲になってくれるんですね。めんこい馬だったのな・・・」「短期間で(廃止の)結論が出たのが悔しい。自分の育てたを売るのは大変悲しいこと・・・」
馬の売却代金は、馬主協会を通して、存続となった場合、帯広市に寄付をする予定です。一方、その帯広で明日から、ばんえい競馬が開催されるのを前に、市民の有志が存続を求める署名活動を行いました。帯広開催をPRするパレードが行われる中、多くの市民が署名に協力し、存続を訴えていました。
(2006年12月1日(金)「どさんこワイド180」)
待 て や こ ら 。
要は、馬主がばんえい競馬存続のために、馬を肉にしてまで金を浮かせて寄付をするとのことだが、それって寄付って言うのか?
いわば人柱じゃないけれど、これら熊本に売られていった馬たちというのは、いわば「馬柱」(競馬新聞じゃないよ)となって売られていったわけで、果たしてそのような行為に及んでまで寄付金を作り上げることが、帯広市民、ひいては北海道民の支持を得ることが出来るのだろうか。しかも、いきなり極端に走るかね。
確かに、ばんえい競馬存続のためには、どうしようもない、のっぴきならない自体にまで発展しているのは、ばんえい競馬ニュースをご覧の皆さんなら、形だけでも十分お分かりのこととは思うのだが、いくらばんえい競馬の真実がそうであれ、「肉を切って骨を断つ」ではないけれど、そんな姿をいきなり道民の白日の元に晒すのが、果たして本当に得策なのかどうか。
さらに付け加えるならば、この段階でてめえら馬主はなんの傷も負ってねえじゃねえか。別に賞金がいきなり削減されたわけでもないし、賞典削減案が提示されて、確かに40%削減案は呑んだだろう、しかし実際にはまだ40%削減案は実行すらされていない状況で、寄付金を作り出す、いわば馬主のエゴで、まだばんえい開催があるというのに、調教師側の食い扶持が処分されていくという理不尽は、どう考えてもおかしいだろう。
更になにより問題なのは、我々のようなばんえい競馬存続派は、この話を美談に仕立て、「馬柱となって消えていった馬たちのためにも、ばんえい競馬存続を」と唱えるのである。
だったら馬主自らが腹かっさばけ。
そこまで調教師側、馬側に負担を強いてまで、ばんえい競馬を存続させることが、果たして本当に得策なのだろうか。馬と調教師は泣いた。
なんで馬主だけがのうのうと金のために馬を肉に出来る権利があるんだ?
本当にばんえい競馬を北海道の文化、遺産、誇りというのなら、まず馬主から腹かっさばいてみろ。そうでもなしに、いきなりばんえい競馬の真実を白日の下に晒して、誰がばんえい競馬存続に納得すると思うのか。ばんえい競馬を知らない帯広市民、北海道民の誰が納得すると思うのか。
確かに、廃止になろうとならなかろうと、どの馬もどうせ最後は肉になる。それはもとよりばんえい競馬のHPにも書かれていることである。
ただ、それをモロに見せつけることが、果たして得策かどうかということである。
これがばんえい競馬存続派にとって、モロに逆風にならなければよいのだが…。
↑ 馬柱となっていった馬たちを、生かすも殺すも俺たちだ。
ましてや今は世論を味方につけなければいけない大事な時期。真実を見せるのも大事なことではありますが、あのニュースを見て、視聴者が果たしてどう思うのか…ということです。
馬を売って存続を計ろうとする馬主は、何を考えているのかなと思います。自分の財産を売って寄付するのならわかるけど、馬が唯一の財産なんていう馬主はいないでしょう。
それにしても世界唯一のばんえい競馬は残してほしいなあ。旭山動物園みたいに大逆転はないのだろうか。社台グループに支援を要請してみるとか・・・。