Yahoo! ニュース - 両丹日々新聞 雲原の山中に阪急電車が- 尼崎の男性のセカンドハウス
うはwwww
うらやましいな…。
写真と経歴、廃車時期を見ると、阪急の元京都線特急車2800形ですな。
2800形が、現在の京都線特急車の6300形に座を追われ、前者の3扉改造を終えたのが1979年なので、おいらは生憎と特急車時代の2800形の姿は知らない。
3扉に改造され、ローカル運用に就く2800形の姿は、宝塚時代に利用していた神戸線からよく眺めていたが、編成まるごとが2800形という列車には、多分乗ったことがないはずである。1987年頃になって、7連化で浮いた付随車が玉突きで神戸線にやってきて、今津線系統の編成にも2800形が挟まれていたのを見た時には、いたく感動したっけなあ。「なんで今津線に2800が入ってんねやろ」と。間にさりげなく2800が入っているのを見つけて、乗り換えが不便なのに、小林から西宮北口まで後ろから2両目あたりに乗り込んだこともあったっけなあ。後年3扉化改造を受けた時に、戸袋窓として付けられていた青いガラスが目を引いたっけ。
鉄分が濃いめの人たちにとっては、まさに廃車体は垂涎の的。
そりゃ事情が許すなら、電車を丸ごと1両貰ってきて家にしたいくらいである。
あくまで事情が許せば…ね。
そりゃあ、電車の車体をセカンドハウスにってーんじゃあ、まず車体を置く土地がないと。大都市近郊だと、それこそ土地代だけでン千万とかかるのは目に見えている。奥行きは最低でも20メートル以上は無いと入らないしね。
維持費もバカにならない。
家もそうだが、電車の車体は特に消耗が激しく、3年に1回くらいは大がかりな手入れをしてやらねばなるまい。電車だって1年半ごとに重要部検査、3年ごとに全般検査をして、塗装を塗り直している。
しかも、最近のJRの国鉄型電車なんかを見てもらえればよく分かるのだが、普通に使っていたって塗装は剥げるし、外板は歪んでくるのだ。手入れしなければなおのこと腐食は進行する。それも、素人が日曜大工で手を入れられるくらいならいいのだが…。電車の車体の手入れなんて分かるかっての。大工さんを呼んできたって無理だぞ。
維持費といえば、やはり阪急電車を買ってきたのなら、内装も阪急電車のあの独特のにほひを再現せねばなるまい。なんと表現すればいいのか伝わりづらいが、阪急電車に乗ったことがある人なら、「阪急電車の匂い」というだけで通じるはずである。あれは市販のワックスとか芳香剤とかじゃ絶対に出せない匂いだしなあ…。
どうせなら床下のコンプレッサーも使えるようにして、電車のドアはリアルに使えるようにしましょうかww 近所の子供達も羨望の眼差しだろうな。阪急電車の旧型車独特の「ひゅわわわわわわわわ」っていうコンプレッサーもぜひ再現したいな。そこまでやったら、岸田繁も脱帽するだろう。まあ、そこまで再現しなくても、まだまだ2300形で聞けるんだけどさ。
都市型の生活をしていたら、このような生活は絶対に出来ない。
これぞまさしく、「夢のセカンドハウス」。
金のことなど考えず(考えると思うけど)、男のロマンを実現させてしまう。
うらやましいなあ…。
俺もそうした漢と書いて男と読まれるようなオトコになりたいもんだなあ…。
しかし、元記事の両丹日々新聞なんて新聞社は、はじめて聞いたぞ。
なんでも昔から京都府福知山をテリトリーにした夕刊紙を発行しているとのこと。
朝刊紙ならともかく、夕刊紙じゃあ知らなくても無理はないよなあ…。
↑ ロマンを取りますか? 現実を選びますか?
景色に溶け込むアズキ色 車内を改装し居住空間に
福知山市雲原に、阪急電車の車体1両が置かれている。尼崎市に住む男性が、セカンドハウスとして持ち込んだもので、車内は床などを張り、生活できるように改造。おなじみのアズキ色の車体は山々に囲まれた周囲の風景に溶け込み、地域の「名物」にもなっている。
1両を3部屋に仕切り
持ち主は尼崎市武庫之荘在住の芳森澄男さん(71)。以前から電車が欲しくて、当初はJRの車体を望んでいたが、自宅近くの阪急電鉄・武庫之荘駅の駅員から、解体される阪急電車の車体を売ってもらえることを知り、阪神淡路大震災の翌年の1996年(平成8年)に購入。雲原に所有する土地に置くことにした。
冬の寒さは厳しいが住み心地は抜群
車体は64年(昭和39年)に製造されたもので、全長20m、幅2・8m、高さ3・7m、重さは38tある。京都線や嵐山線で走り、震災の年まで現役として活躍した。
購入費はレールと枕木がついて10万円と安かったが、福知山までの運搬・設置費が約300万円かかった。セカンドハウスとしての利用のため、車体内部は消毒したあと、生活できるように改装。床に板を敷き、その下には断熱材を入れて、1両をカーテンレールなどで3部屋に仕切った。座席は取りはずさないで、ソファ替わりにしている。つり革も一部はずしているものの、多くがそのまま。運転室は国道175号に面しており、見晴らしが良い。
玄関には表札も
運転室の後ろの部屋は家族が訪れた時に使う部屋。その後ろは芳森さんの寝室。最後尾は居間としてこたつなどを置き、くつろげるようにしている。車体の最後尾とくっつくような形で台所とトイレ、玄関などを備えた建物を造った。改装や建築はほとんどが自分の手で。大工経験を生かして、住みやすいように工夫している。電気や水道をひき、玄関には表札もかけた。
住居として使うようになったのは6年前から。建築のオペレーターの仕事をしながらも月の半分は雲原に戻り「電車」で暮らす。
「住み心地は抜群」と芳森さん。この地方は盛夏でも涼しく、扇風機も夕方に使うぐらいという。半面冬は、車体が鉄製のため、寒さがこたえるが、「こたつに入っていたら大丈夫」と話す。
国道に面していて、車の行き交う音は響くが、実家のある尼崎のほうが、飛行場が近いためジェット機の騒音でうるさく感じるという。最初のころは家族も来ていたが、今はほとんど芳森さんだけが訪れ、炊事や洗濯、掃除などをこなす。「こちらにいる時は草刈りやペンキ塗りなど、忙しく動き回っています」
車体はさびやすく、特に雪が当たることが多い右側面は腐食が激しい。このため3年に1回程度塗り直す。
ドライバーの注目の的 かつての車掌も訪れる
「なんでこんなところに阪急電車が…」と驚くドライバー。「珍しい」と車から降りて、記念写真を撮る人。偶然、車体番号「2861」を見て、家の近くを走っていた電車と分かり、じっくりと眺めに来た人がいた。この電車の車掌だったという人が、かつての仕事場だった車体を懐かしそうに見つめる姿もあった。
趣味は「ここ(雲原)で暮らしてのんびりすること」という芳森さん。「車体は塗装さえきっちりすれば何年も持つ。元気な間は補修していつまでも大切にして住みたい」と望む。
アズキ色の車体は雲原の四季の自然によく似合う。「この色で本当に良かった」と、つくづく思っている。
うはwwww
うらやましいな…。
写真と経歴、廃車時期を見ると、阪急の元京都線特急車2800形ですな。
2800形が、現在の京都線特急車の6300形に座を追われ、前者の3扉改造を終えたのが1979年なので、おいらは生憎と特急車時代の2800形の姿は知らない。
3扉に改造され、ローカル運用に就く2800形の姿は、宝塚時代に利用していた神戸線からよく眺めていたが、編成まるごとが2800形という列車には、多分乗ったことがないはずである。1987年頃になって、7連化で浮いた付随車が玉突きで神戸線にやってきて、今津線系統の編成にも2800形が挟まれていたのを見た時には、いたく感動したっけなあ。「なんで今津線に2800が入ってんねやろ」と。間にさりげなく2800が入っているのを見つけて、乗り換えが不便なのに、小林から西宮北口まで後ろから2両目あたりに乗り込んだこともあったっけなあ。後年3扉化改造を受けた時に、戸袋窓として付けられていた青いガラスが目を引いたっけ。
鉄分が濃いめの人たちにとっては、まさに廃車体は垂涎の的。
そりゃ事情が許すなら、電車を丸ごと1両貰ってきて家にしたいくらいである。
あくまで事情が許せば…ね。
そりゃあ、電車の車体をセカンドハウスにってーんじゃあ、まず車体を置く土地がないと。大都市近郊だと、それこそ土地代だけでン千万とかかるのは目に見えている。奥行きは最低でも20メートル以上は無いと入らないしね。
維持費もバカにならない。
家もそうだが、電車の車体は特に消耗が激しく、3年に1回くらいは大がかりな手入れをしてやらねばなるまい。電車だって1年半ごとに重要部検査、3年ごとに全般検査をして、塗装を塗り直している。
しかも、最近のJRの国鉄型電車なんかを見てもらえればよく分かるのだが、普通に使っていたって塗装は剥げるし、外板は歪んでくるのだ。手入れしなければなおのこと腐食は進行する。それも、素人が日曜大工で手を入れられるくらいならいいのだが…。電車の車体の手入れなんて分かるかっての。大工さんを呼んできたって無理だぞ。
維持費といえば、やはり阪急電車を買ってきたのなら、内装も阪急電車のあの独特のにほひを再現せねばなるまい。なんと表現すればいいのか伝わりづらいが、阪急電車に乗ったことがある人なら、「阪急電車の匂い」というだけで通じるはずである。あれは市販のワックスとか芳香剤とかじゃ絶対に出せない匂いだしなあ…。
どうせなら床下のコンプレッサーも使えるようにして、電車のドアはリアルに使えるようにしましょうかww 近所の子供達も羨望の眼差しだろうな。阪急電車の旧型車独特の「ひゅわわわわわわわわ」っていうコンプレッサーもぜひ再現したいな。そこまでやったら、岸田繁も脱帽するだろう。まあ、そこまで再現しなくても、まだまだ2300形で聞けるんだけどさ。
都市型の生活をしていたら、このような生活は絶対に出来ない。
これぞまさしく、「夢のセカンドハウス」。
金のことなど考えず(考えると思うけど)、男のロマンを実現させてしまう。
うらやましいなあ…。
俺もそうした漢と書いて男と読まれるようなオトコになりたいもんだなあ…。
しかし、元記事の両丹日々新聞なんて新聞社は、はじめて聞いたぞ。
なんでも昔から京都府福知山をテリトリーにした夕刊紙を発行しているとのこと。
朝刊紙ならともかく、夕刊紙じゃあ知らなくても無理はないよなあ…。
↑ ロマンを取りますか? 現実を選びますか?
年収で夢を買うのか…。
そういえばこのセカンドハウス、ヒマなので鉄道ピクトリアル1998年12月号の阪急電鉄増刊号を読んでいたら、「レストランとしてオープンする予定」という記事がありました。
思えばその頃から名物だったのですね。
移動費用で100万・・・当たり前だな。
銚子電鉄も、方向幕が抜き取られたっていうニュースもありましたな。
しかし、夢を買うにはやはり相応のカネがいるわけですなあ…。いやはや。
例えば、餘部鉄橋や栗原田園鉄道に鹿島鉄道の廃線ニュースが飛び交う昨今。
マニアが殺到するのは分かるが、より良い写真を撮影しようとしてなのか…人家の庭に勝手に入ったり、畑の作物を荒らしたり、酷い例では撮影の邪魔だから!と言って墓石を倒したり移動させたり、農作業をしてる地元の人に対し「撮影の邪魔だからどっか行け!!」と暴言を発したりと…鉄マニアは私自身、理解出来ない事ばかりである。農作物も農作業者も墓石も昔からの風景の一部のハズ。
どうして!ありのままの風景を撮影してコレクションに出来ないのか…理解に苦しむばかりである。
それに引き替え、阪急電車を維持費のかかる住まいしたという話題は、何となく微笑ましい話だと思う。非常識な行為をしてまで、写真撮影や鉄道員用の旧型機器を盗んだりする位なら、車両を買い取って…住まいにする位の事をしてほしいモノですな。
↑ちなみに~上記の話は以前、栗原田園鉄道が廃止になるという話が発表になった後、宮城県の新聞に書かれてた内容です。静かに最後まで見送れない鉄マニアなんて…実に!!悲しい+怒りを通り越して呆れてしまいますな(-_-#)。