先月発行の鉄道雑誌に単体で特集され、ファンの間では「日本海あやうし」とまことしやかに噂され去就が注目されていた寝台特急「日本海」も、ニーズの変化という波のうねりの前には太刀打ちできず…。
ブルートレイン・日本海、来春ダイヤ改正で引退(読売新聞) - goo ニュース
鉄道ネタといえばもはや朝日新聞の専売特許と化しており、同じ鉄道ネタでも、他紙が束になってかかっても1ある食材がせいぜい2か2.5くらいにしか料理できないところ、朝日新聞の鉄道記者(がいるのかどうかは分からないけれど、近年の傾向を見る限り相当な専門知識を持った記者さんがいるのは間違いない)の手にかかれば5にも10にも彩を添えて鮮やかに料理してしまうほどだったが、今回の「すっぱ抜き」は見事に読売新聞が一矢報いた感。
とはいえ、ファンとしてはこうした寂しい話題ですっぱ抜かれてファン騒然…という動きも実に複雑なところ。
記事中にもあるとおり、「日本海」が寝台特急として運行を開始したのは、「ヨンサントオ」と言われる1968(昭和43)年10月改正からだが、列車自体が受け継いでいる歴史は古く、ルーツを辿れば終戦の混乱期である1947年に、大阪と青森を結ぶ急行列車として設定されたのが大元である。
米原から北陸、信越、羽越、奥羽本線を経由するこの列車の重要度はよほど高かったようで、戦後の混乱期を脱しつつあった1950年11月に、現在の名称である「日本海」という列車名が名づけられた。
当時、日本の国鉄で名前を付された列車は、東京~大阪間の特急「つばめ」「はと」、夜行急行「銀河」と、いずれも東海道本線の東京~大阪間の列車だけで、大阪以西にも東北本線筋にも、北海道にも、いわゆるネームドトレインは存在しておらず、東京大阪間の列車を除いて、唯一列車名を付されたのが、大阪青森間の急行「日本海」であった。
沿線にとってはよほど重要な列車であったので、もともと日本海縦貫線の輸送力が当時からかなり逼迫していたということもあり、いつ乗っても混雑している列車と言われ、一時期は「日本一汚い列車」としてその名をはせていた時代もあったほど。
まあ、1950年代~60年代の長距離列車は、どの列車も大抵は混雑していたと言われてますがね…。
日本海の荒波を越えて走り続けて幾年月。
東北地方と関西地方を直結して走る唯一の列車だけに、修学旅行などの団体需要もそれなりにあるといえばあるのだが、車両自体の老朽化もあるだろうし、やがてやってくる北陸新幹線金沢開通時の、北陸本線の処遇を巡る問題もあるだろう。
そして寝台列車、夜行列車全般にいえる、時代の流れによるニーズの変化。
今や、寝台による夜行列車の移動はなかなか受け入れられず、より廉価で移動できるバスに役割は移りつつある。飛行機も格安航空券などの普及で廉価で移動できる手段の一つになり、目的地で朝から用事がある場合、夜行列車でその日の朝到着して用事をこなすより、前泊して朝から用事をこなすようになったりと、時代が変わって旅行客のニーズが変わってきたことは、夜行列車全体の衰退を語る上で外すことはできない要素になっている。
もちろん、それらを加味した上で、てこ入れもせずただ単に時代の流れに抗することなく夜行列車を安楽死に追いやっている鉄道会社の政策も、大いに語られるべき事柄ではあると思うのだが。
それに、少なくとも国鉄時代、国鉄華やかりし1970年代頃までは、何か一つの輸送障害が起きても、迂回するなりなどしてどうにか運転を確保していた夜行列車も、今やひとたび運行路線に輸送障害が発生すれば、簡単に運休になる御時勢でもあり、長距離の輸送手段として信頼されていない部分もたぶんにあるのではと思う。おそらくそれは夜行列車の存在意義としては枝葉末節の部分ではあると思うのだが、何かがあるとすぐに運休になってしまうのである。
たとえば「カシオペア」にしろ「北斗星」にしろ、旅心をくすぐる豪華長距離列車の優雅な旅を予約していたとはいえ、その実運行されるかどうかは当日蓋を開けてみないとわからないのでは、旅を前にして興味が削がれるのもいいところだと思うのだが。
こうした話題に触れるたびに、折に触れて書いているのだが、「夜行列車」「夜汽車」という旅の形態は、もう2、3年もしないうちに、昔語りになる日が来るのだろうと思うと、寂しくて仕方がない。
それが現実だとしても、それを「はいそうですか」と受け入れられるほど、あたしは大人になれない。
それもまた現実。
今じゃ「夜汽車」より「夜バス」「深夜バス」だもんなあ…。
ブルートレイン・日本海、来春ダイヤ改正で引退(読売新聞) - goo ニュース
客車が青色の「ブルートレイン」として親しまれてきた寝台特急「日本海」(大阪―青森)が、JRの来春のダイヤ改正を機に廃止されることが決まった。
利用客減少や車体の老朽化が理由で、旧国鉄時代から続く関西発着のブルートレインは全て姿を消す。
1968年10月に運行が開始され、88年の青函トンネル開業後は一時、北海道・函館を発着するなど、観光客やビジネス客の人気を集めた。現在は1日1往復しているが、片道約15時間かかることから、新幹線や空路の発達で利用客が減少していた。
ブルートレインは、2009年に東京駅発着の「はやぶさ」「富士」が相次いで廃止され、「日本海」のほか現在は、上野駅発着の「あけぼの」「北斗星」が残るだけ。
鉄道ネタといえばもはや朝日新聞の専売特許と化しており、同じ鉄道ネタでも、他紙が束になってかかっても1ある食材がせいぜい2か2.5くらいにしか料理できないところ、朝日新聞の鉄道記者(がいるのかどうかは分からないけれど、近年の傾向を見る限り相当な専門知識を持った記者さんがいるのは間違いない)の手にかかれば5にも10にも彩を添えて鮮やかに料理してしまうほどだったが、今回の「すっぱ抜き」は見事に読売新聞が一矢報いた感。
とはいえ、ファンとしてはこうした寂しい話題ですっぱ抜かれてファン騒然…という動きも実に複雑なところ。
記事中にもあるとおり、「日本海」が寝台特急として運行を開始したのは、「ヨンサントオ」と言われる1968(昭和43)年10月改正からだが、列車自体が受け継いでいる歴史は古く、ルーツを辿れば終戦の混乱期である1947年に、大阪と青森を結ぶ急行列車として設定されたのが大元である。
米原から北陸、信越、羽越、奥羽本線を経由するこの列車の重要度はよほど高かったようで、戦後の混乱期を脱しつつあった1950年11月に、現在の名称である「日本海」という列車名が名づけられた。
当時、日本の国鉄で名前を付された列車は、東京~大阪間の特急「つばめ」「はと」、夜行急行「銀河」と、いずれも東海道本線の東京~大阪間の列車だけで、大阪以西にも東北本線筋にも、北海道にも、いわゆるネームドトレインは存在しておらず、東京大阪間の列車を除いて、唯一列車名を付されたのが、大阪青森間の急行「日本海」であった。
沿線にとってはよほど重要な列車であったので、もともと日本海縦貫線の輸送力が当時からかなり逼迫していたということもあり、いつ乗っても混雑している列車と言われ、一時期は「日本一汚い列車」としてその名をはせていた時代もあったほど。
まあ、1950年代~60年代の長距離列車は、どの列車も大抵は混雑していたと言われてますがね…。
日本海の荒波を越えて走り続けて幾年月。
東北地方と関西地方を直結して走る唯一の列車だけに、修学旅行などの団体需要もそれなりにあるといえばあるのだが、車両自体の老朽化もあるだろうし、やがてやってくる北陸新幹線金沢開通時の、北陸本線の処遇を巡る問題もあるだろう。
そして寝台列車、夜行列車全般にいえる、時代の流れによるニーズの変化。
今や、寝台による夜行列車の移動はなかなか受け入れられず、より廉価で移動できるバスに役割は移りつつある。飛行機も格安航空券などの普及で廉価で移動できる手段の一つになり、目的地で朝から用事がある場合、夜行列車でその日の朝到着して用事をこなすより、前泊して朝から用事をこなすようになったりと、時代が変わって旅行客のニーズが変わってきたことは、夜行列車全体の衰退を語る上で外すことはできない要素になっている。
もちろん、それらを加味した上で、てこ入れもせずただ単に時代の流れに抗することなく夜行列車を安楽死に追いやっている鉄道会社の政策も、大いに語られるべき事柄ではあると思うのだが。
それに、少なくとも国鉄時代、国鉄華やかりし1970年代頃までは、何か一つの輸送障害が起きても、迂回するなりなどしてどうにか運転を確保していた夜行列車も、今やひとたび運行路線に輸送障害が発生すれば、簡単に運休になる御時勢でもあり、長距離の輸送手段として信頼されていない部分もたぶんにあるのではと思う。おそらくそれは夜行列車の存在意義としては枝葉末節の部分ではあると思うのだが、何かがあるとすぐに運休になってしまうのである。
たとえば「カシオペア」にしろ「北斗星」にしろ、旅心をくすぐる豪華長距離列車の優雅な旅を予約していたとはいえ、その実運行されるかどうかは当日蓋を開けてみないとわからないのでは、旅を前にして興味が削がれるのもいいところだと思うのだが。
こうした話題に触れるたびに、折に触れて書いているのだが、「夜行列車」「夜汽車」という旅の形態は、もう2、3年もしないうちに、昔語りになる日が来るのだろうと思うと、寂しくて仕方がない。
それが現実だとしても、それを「はいそうですか」と受け入れられるほど、あたしは大人になれない。
それもまた現実。
今じゃ「夜汽車」より「夜バス」「深夜バス」だもんなあ…。
彼女たちと同世代の自分にとって、青春は遠くなりにけり、です。
寂しい話ではあると思うんですが…。
夜行バスじゃ、仲間と酒を飲み交わしながら映る車窓を肴にして、寝たくなったらおやすみなさい…ってできませんからねえ…。
しかし、「日本海」は何も関西と東北を結んでいるだけではなく、新幹線が通じていない北陸を経由していて、例えば金沢・富山から秋田・青森へ行くともなれば充分過ぎる程のダイヤなので、ビジネスにも使えます。大阪の発車は時間が早すぎているが。
やはり北陸~東北間の需要はゼロではないので、それらの利用を見込んでいればまだまだ「日本海」は生かせる様に思いますが、あれほどビジネスに便利な「銀河」や「北陸」を廃止にしてしまったから、何のテコ入れもせずに車両の老朽化で片付けられてしまうのは何とも悲しすぎますよね!
老朽化や合理化の一面はあるでしょうが、それらの需要を放棄する…といっては語弊はあるかも分かりませんが、てこ入れせずに時期が来たら安楽死…という今のやり方では、安易に需要を放棄していると言われても仕方ないと思います。