「出されたネタは残さずに最後まで食べる」のがブロガーの宿命(笑)。
とゆーわけで、先日ご紹介した成田を走るボンネットバスに、実際に乗ってきました。
参照はこちら。
2008年11月12日付エントリ「成田でボンネットバスが走ってます」
ボンネットバスは、成田山門前と宗吾霊堂の間を、1日5往復運転。
詳細はリンクした過去ログに貼ってある、千葉交通のページをご覧いただくとして、午前中に3便、午後2便。休みだったのでなんとなく寝過ごして午後便を狙ってみることに(笑泣)。
京成が2年前のダイヤ変更で、特急が佐倉~成田間が各駅停車になったから、ボンネットバス自体に乗ろうと思えば、近いのは宗吾参道駅から10分ほど歩いた宗吾霊堂から乗るのが一番近いが、始発が成田山門前なのだから、こうしたバスには始発から乗るべし。
…ということで、成田山門前から攻め入ることに。
とはいえ、地元の駅から成田までの道は遠し。
成田までは20分ヘッドということは分かり切っていたのに、無駄に地元駅から各駅停車で勝田台、京急車の快速で佐倉、佐倉でようやく特急に。っつーか、勝田台で特急まで待とうと思ったら、やって来た快速が京急車だったから反射的に乗っちゃったのが真相orz
その特急も、佐倉以東が各駅停車になってからこの区間に乗るのは初めてだったので、特急の大佐倉停車もなにげに初体験(笑)。
京成沿線で多感な時代を送った人じゃないと、このネタは理解して貰いづらいだろうなあ…。
ちなみに関係エントリは↓こちら。
2006年11月18日付「いけいけ大佐倉探検隊」
ユーカリが丘や臼井、そして谷津は、大佐倉よりも劣るという事実が告げられた2006年でもありましたorz
とゆーわけで、成田から参道をそぞろ歩き。
成田自体には2年前、大佐倉駅周辺を歩いたついでに出かけているのだけれど、成田山方面に歩いてみたのはいつ以来か覚えがないくらい久しぶり。成田山自体には、2002年に初詣に出かけたりしているのだけれど、あの時はクルマで出かけたから、電車で成田に来て参道を歩いたってーと…、間違いなく世紀を一つまたいだ、1998年かそこいら以来かと。
今でこそゆったりと歩ける参道だが、お正月ともなればそりゃもう…。
参道を歩くのも、多分10年ぶりくらいにはなりそうなので、ゆっくり歩いてみる。
沿道には成田にほど近い八街特産のピーナッツ屋さん、特大の手焼きの煎餅を売る店、門前近くにはウナギの蒲焼きの煙が立ちこめて食欲をそそる。
しかしやはり、成田と来れば鉄砲漬。
え~。
不肖私め、鉄砲漬など食したことが御座いませんorz
そういえば、中学時代の塾の講師が、雑談ついでに、「俺が大学生の頃、鉄砲漬を食いたくて、京成電車に揺られて、東京からわざわざ成田まで買いにいったんだ」という話を聞かされたのを昨日のように覚えている。中学時代だからあれから20年、当ブログをご覧の皆さんでは、もしかすると20年前にはこの世に生を受けていらっしゃらなかった方もいることかと。当時の京成電車はまだ赤色だったなあ…。。。オグリキャップが現役で(以下略
いかんいかん、年寄りの回顧話は長すぎる。
成田山の入口も綺麗になった。
ボンネットバスが出る「成田山門前」は、この門の少し先を右に曲がった場所にある。
バス停には律儀に臨時バス停が設えられている。
「土日は混んでいる」という話をどこからか聞いていたので、一応発車20分くらい前にバス停に着くように歩くと、意外とボンネットバス目当てとおぼしき客はそう多くなくて少々拍子抜け。まあ、こんな時間にそれらしい雰囲気を醸し出した同業者さん(大きなお友達ともいうw)に取り囲まれたら、それはそれで乗る前にげんなりしちゃうところではあるが、どうやら昨年5月に八王子から夕焼小焼まで乗った時のような、古いマリーンズファンならご存知の男汁状態にならなくて済みそうなのはなにより(笑)。懐かしいね、男汁。あれを西武ドームの外野の芝生席に貼り出した奴の顔が見てみたい(笑)。
バスはやかましい音を立てながら、発車5分前に到着。
それなりにお客さんが多かったのと、雨がぽつりぽつりと降り出したので、出発前の写真は撮れず。
バスは千葉交通100周年記念にちなみ、千葉交通の前身、成宗電気軌道の廃線跡の道路を走り、JR成田駅、京成成田駅と停車し、宗吾霊堂へとエンジンと車体を震わせながら走る。
成田と宗吾霊堂の間には、1990年代に造成された公津の杜があり、ニュータウンとボンネットバスの取り合わせも新鮮そのもの。
バスはおよそ16分で宗吾霊堂に到着。
宗吾霊堂には行ったことがなかったので、ここで降りてお参りしても良さそうにも思えたが、折からの雨でおっくうになってしまったのと、車内で記念の往復乗車券もついつい買ってしまったので、14分の滞在で折り返すことにする。
この14分間は、貴重な撮影タイムになっていたりして(笑)。
車掌さんが側面のサボ替え。
年代物のリアビューもどうぞご堪能下さい。
夜間はともかく、昼間なら、昨今流行りのLEDよりも、こちらの方が見やすいと思う。
バスの側面の形状をご覧になって、その筋の方は一発でお分かりになったかと思いますが、このバスはトップドアで、車掌窓がついておりません。
ってーことは、れっきとしたワンマン対応のバスなんです。
つまり、車内にはこのように、年代物のワンマン対応機器を積んでおります。
今回のイベントは、元千葉交通の車掌さんを乗務させているので、これらのワンマン機器は使われることはないけれど、こうした運賃箱や両替機(?)を見られるのも、こうしたイベントならでは。
運転席も無骨で、操舵にも力が要りそうな造り。
事実、昔のクルマにはパワーステアリングなんてーものはありませんから、車を運転するのも力業だったわけ。それが大型車なら尚更…。
バス車内に貼ってあったステッカーも、年代物でいい味を出している。
このステッカー、おいらが小さい頃に、両備バスか岡電バスで見たことがあるようなないような…。
このバスは、千葉交通のHPでは「神奈川県相模原市の個人所有のクルマを借りてきた」とあるのだけれど、その元をたどれば、岡山県の農村で、倉庫替わりに使われていたものをレストアした物なのだとか。屋内に保存されていたので状態が良く、レストアされて生き残った物の、年代物のクルマの宿命か、交換する部品が無いようなので、運転も慎重にならざるを得ない。ましてや先端が尖ったボンネットだから、運転のしにくさもあるだろう。
会社に呼ばれて40数年ぶりに現場復帰をした車掌さんも、当時を懐かしんで乗務初日には涙したとか。
さすがに往時のように、踏切通過のたびに車掌が真ん中に降り立ち、左右を確認する動作まではやらなかったが、踏切通過の衝撃を和らげるためか、慎重に踏切をゆっくり渡ったのが印象的。
交通機関が電車かバスしかなかった頃の姿は、おいらは知らないもんなあ…。
今や、当時の面影は、こうしたイベントで折に触れる以外に方法が無くなった。
バスはこの先、成田山門前まで行くが、おいらはJR成田駅前で下車、バスを見送ることにする。
ボンネットバスも、部品が無くては修理しようにも出来ず、老朽化も進んで、年々走らせる数が減っているのが現状。
それでも、創立100周年を機に、ボンネットバスの走りを後世に伝えるイベントを行っている千葉交通には、頭が下がる思いである。
このイベントは今月23日まで行われているので、一度ボンネットバスに乗ってみたいという方は、成田まで小さな旅をどうぞ。
とゆーわけで、先日ご紹介した成田を走るボンネットバスに、実際に乗ってきました。
参照はこちら。
2008年11月12日付エントリ「成田でボンネットバスが走ってます」
ボンネットバスは、成田山門前と宗吾霊堂の間を、1日5往復運転。
詳細はリンクした過去ログに貼ってある、千葉交通のページをご覧いただくとして、午前中に3便、午後2便。休みだったのでなんとなく寝過ごして午後便を狙ってみることに(笑泣)。
京成が2年前のダイヤ変更で、特急が佐倉~成田間が各駅停車になったから、ボンネットバス自体に乗ろうと思えば、近いのは宗吾参道駅から10分ほど歩いた宗吾霊堂から乗るのが一番近いが、始発が成田山門前なのだから、こうしたバスには始発から乗るべし。
…ということで、成田山門前から攻め入ることに。
とはいえ、地元の駅から成田までの道は遠し。
成田までは20分ヘッドということは分かり切っていたのに、無駄に地元駅から各駅停車で勝田台、京急車の快速で佐倉、佐倉でようやく特急に。っつーか、勝田台で特急まで待とうと思ったら、やって来た快速が京急車だったから反射的に乗っちゃったのが真相orz
その特急も、佐倉以東が各駅停車になってからこの区間に乗るのは初めてだったので、特急の大佐倉停車もなにげに初体験(笑)。
京成沿線で多感な時代を送った人じゃないと、このネタは理解して貰いづらいだろうなあ…。
ちなみに関係エントリは↓こちら。
2006年11月18日付「いけいけ大佐倉探検隊」
ユーカリが丘や臼井、そして谷津は、大佐倉よりも劣るという事実が告げられた2006年でもありましたorz
とゆーわけで、成田から参道をそぞろ歩き。
成田自体には2年前、大佐倉駅周辺を歩いたついでに出かけているのだけれど、成田山方面に歩いてみたのはいつ以来か覚えがないくらい久しぶり。成田山自体には、2002年に初詣に出かけたりしているのだけれど、あの時はクルマで出かけたから、電車で成田に来て参道を歩いたってーと…、間違いなく世紀を一つまたいだ、1998年かそこいら以来かと。
今でこそゆったりと歩ける参道だが、お正月ともなればそりゃもう…。
参道を歩くのも、多分10年ぶりくらいにはなりそうなので、ゆっくり歩いてみる。
沿道には成田にほど近い八街特産のピーナッツ屋さん、特大の手焼きの煎餅を売る店、門前近くにはウナギの蒲焼きの煙が立ちこめて食欲をそそる。
しかしやはり、成田と来れば鉄砲漬。
え~。
不肖私め、鉄砲漬など食したことが御座いませんorz
そういえば、中学時代の塾の講師が、雑談ついでに、「俺が大学生の頃、鉄砲漬を食いたくて、京成電車に揺られて、東京からわざわざ成田まで買いにいったんだ」という話を聞かされたのを昨日のように覚えている。中学時代だからあれから20年、当ブログをご覧の皆さんでは、もしかすると20年前にはこの世に生を受けていらっしゃらなかった方もいることかと。当時の京成電車はまだ赤色だったなあ…。。。オグリキャップが現役で(以下略
いかんいかん、年寄りの回顧話は長すぎる。
成田山の入口も綺麗になった。
ボンネットバスが出る「成田山門前」は、この門の少し先を右に曲がった場所にある。
バス停には律儀に臨時バス停が設えられている。
「土日は混んでいる」という話をどこからか聞いていたので、一応発車20分くらい前にバス停に着くように歩くと、意外とボンネットバス目当てとおぼしき客はそう多くなくて少々拍子抜け。まあ、こんな時間にそれらしい雰囲気を醸し出した同業者さん(大きなお友達ともいうw)に取り囲まれたら、それはそれで乗る前にげんなりしちゃうところではあるが、どうやら昨年5月に八王子から夕焼小焼まで乗った時のような、古いマリーンズファンならご存知の男汁状態にならなくて済みそうなのはなにより(笑)。懐かしいね、男汁。あれを西武ドームの外野の芝生席に貼り出した奴の顔が見てみたい(笑)。
バスはやかましい音を立てながら、発車5分前に到着。
それなりにお客さんが多かったのと、雨がぽつりぽつりと降り出したので、出発前の写真は撮れず。
バスは千葉交通100周年記念にちなみ、千葉交通の前身、成宗電気軌道の廃線跡の道路を走り、JR成田駅、京成成田駅と停車し、宗吾霊堂へとエンジンと車体を震わせながら走る。
成田と宗吾霊堂の間には、1990年代に造成された公津の杜があり、ニュータウンとボンネットバスの取り合わせも新鮮そのもの。
バスはおよそ16分で宗吾霊堂に到着。
宗吾霊堂には行ったことがなかったので、ここで降りてお参りしても良さそうにも思えたが、折からの雨でおっくうになってしまったのと、車内で記念の往復乗車券もついつい買ってしまったので、14分の滞在で折り返すことにする。
この14分間は、貴重な撮影タイムになっていたりして(笑)。
車掌さんが側面のサボ替え。
年代物のリアビューもどうぞご堪能下さい。
夜間はともかく、昼間なら、昨今流行りのLEDよりも、こちらの方が見やすいと思う。
バスの側面の形状をご覧になって、その筋の方は一発でお分かりになったかと思いますが、このバスはトップドアで、車掌窓がついておりません。
ってーことは、れっきとしたワンマン対応のバスなんです。
つまり、車内にはこのように、年代物のワンマン対応機器を積んでおります。
今回のイベントは、元千葉交通の車掌さんを乗務させているので、これらのワンマン機器は使われることはないけれど、こうした運賃箱や両替機(?)を見られるのも、こうしたイベントならでは。
運転席も無骨で、操舵にも力が要りそうな造り。
事実、昔のクルマにはパワーステアリングなんてーものはありませんから、車を運転するのも力業だったわけ。それが大型車なら尚更…。
バス車内に貼ってあったステッカーも、年代物でいい味を出している。
このステッカー、おいらが小さい頃に、両備バスか岡電バスで見たことがあるようなないような…。
このバスは、千葉交通のHPでは「神奈川県相模原市の個人所有のクルマを借りてきた」とあるのだけれど、その元をたどれば、岡山県の農村で、倉庫替わりに使われていたものをレストアした物なのだとか。屋内に保存されていたので状態が良く、レストアされて生き残った物の、年代物のクルマの宿命か、交換する部品が無いようなので、運転も慎重にならざるを得ない。ましてや先端が尖ったボンネットだから、運転のしにくさもあるだろう。
会社に呼ばれて40数年ぶりに現場復帰をした車掌さんも、当時を懐かしんで乗務初日には涙したとか。
さすがに往時のように、踏切通過のたびに車掌が真ん中に降り立ち、左右を確認する動作まではやらなかったが、踏切通過の衝撃を和らげるためか、慎重に踏切をゆっくり渡ったのが印象的。
交通機関が電車かバスしかなかった頃の姿は、おいらは知らないもんなあ…。
今や、当時の面影は、こうしたイベントで折に触れる以外に方法が無くなった。
バスはこの先、成田山門前まで行くが、おいらはJR成田駅前で下車、バスを見送ることにする。
ボンネットバスも、部品が無くては修理しようにも出来ず、老朽化も進んで、年々走らせる数が減っているのが現状。
それでも、創立100周年を機に、ボンネットバスの走りを後世に伝えるイベントを行っている千葉交通には、頭が下がる思いである。
このイベントは今月23日まで行われているので、一度ボンネットバスに乗ってみたいという方は、成田まで小さな旅をどうぞ。
ちなみにこのバスの外装、塗装ではなくラッピング処理だそうですよ。
【参考】
オーナーのHP
http://bonnet.gooside.com/index.html
オーナーのblog
http://tsukuigarage.blog113.fc2.com/
なるほど、備北バスの廃車体ですか…。
道理で見覚えがあるステッカーだったわけですよね、同じ岡山県を走るバスだったのですから。
このオーナー様が所有してらっしゃる他の2台にも、機会があれば是非乗ってみたい物です。
あれがラッピング塗装とは…。
綺麗に処理してありますねえ…。
中央道を走っていて「相模原市」の看板が出てくることに、私も戸惑いを隠せません(笑)。
って!そんな細かい事を言っちゃあ~いけませんな(笑)ゞ。
鉄同様、乗り物ネタジャンルですから。
さて、私は…先月、岐阜の下呂方面へ“温泉めぐりのプチ旅行”をしてまいりました。
その時にボンネットバスに乗ったんですよvv。
子供ウケする様なキャラをペイントした車体。
でも、車内は昔のままの感じで硬くて窮屈な座席に床は木造…。ボンボンボンボン……てな感じのエンジン音。キター!!最高!濃飛バス!(≧▽≦)。
でも、木造の床のバスって‥消防法上、走っても良いのかぁ~??。こんな環境に悪そうなエンジン音を奏でるバスが飛騨の大自然の中を走っても良いのかぁ~??。
などと、細かい事を一瞬だけ気にしただけで…後は、紅葉の飛騨路を満喫して来ましたvv‥あいにく、バスガール(古っ!)は乗務してませんでしたが(爆)。
で、小馬さんが乗った~そのボンネットバスの床は木造でしたか?…良いっすよねぇ~木の床。良いっすよねぇ~昔のエンジンの音♪。
最高ッス!(≧▽≦)。
あの油のしみた匂いがまたたまらない味を醸し出しているんですわ。
当然、私の乗ったバスも床は木です。
濃飛バスですか…。
下呂温泉なんて、これからの季節は雪見で温泉だなんて、最高の贅沢ですね。
温泉に行きたい…。