なんだか今日は、地図も読めないバカ大泉洋さん入籍というニュースで夕方から騒然としていたと思ったら、夜中に悲しいニュースが飛び込んできました。。。
ロック歌手の忌野清志郎さん死去、58歳(読売新聞) - goo ニュース
ありゃあ…。
ガンを公表して、去年ライブを行っていたから…と思っていたら…。
ファンの方には邪道に思われるかもしれないけれど、おいらの中では、どうしても忌野清志郎といえば…というのが「FM東京のうた」。
今でこそ「夜のヒットスタジオ」でゲリラ的に演奏したこの歌の画像が、いくらどこかで削除されようと動画閲覧サイトにアップされていて、どこかしらでその映像をパソコンから見ることが出来るけれど、これを初めて映像として見たのは、事件が起きた1989年から6年以上経った1994年か1995年の、専門学校での授業。
講師が「夜のヒットスタジオ」における「事件」としてこの映像を初めて見て、脳天をかち割られた記憶が蘇る。
っつーか、俺は何で中坊の頃から「夜ヒット」など見ないような生活を送っていたのかと心底後悔した。
まあ、同じような歌番組が今あったとしても、たぶん見ないだろうけどね。ドラマでさえほとんど見ないおいらがだ。
そういう意味では、世間の話題についていくために、週ドラは見ておいた方がいいのかなあ、やっぱり…。秋口に相模大野のコミュニティFMの公開生放送の2人のDJのトークを見て思ったのだが、やはり広く浅くの人々の心を掴むには、身近な存在であるテレビ、それも広く誰もが見るであろう週ドラの話題はやはりトークには欠かせないということだろう。だいだい、電リクの番組で総合DJがマニアックな話題に走ったところで誰も聞かないのがオチだろうし、そんな話題は外回りのリポーターが役割を担えばいいわけで。ねえ、おさない先生。
話が外れたが、思えば、こうした映像をなぜ専門学校の講師は入手できたのだろう。まさか毎週ハプニング目的で録画していたなんてことはないだろうし…。
それを証明するかのように、映像自体は、とても番組それ自体を3倍で録画したテープとはとても思えず、おそらくはダビングにダビングを重ねたのだろうと思う映像の粗さだったと記憶する。動画閲覧サイトにアップされている映像も似たようなものだったし。
そうなんです。ダビングにダビングを重ねれば映像は劣化するんですよ。
おそらく今のナウいヤングである10代や20代前半の、当ブログにとってはごく少数派(と思われる)の読者の皆さんには、VHSとかベータとか3倍録画とか、たぶん理解してもらえないだろう。そうですよ、見ていたビデオテープを止めた位置が違ったら「誰がこのテープを見たんだ」と、兄弟や親子でケンカが起きるんですよ。たいてい野郎同士のケンカだけどね。何のテープかはご想像にお任せします。
しかし、あの独特の声は、もう、生では二度と聞けないんですね…。
「雨上がりの夜空に」は、これからも歌い続けます。
長らく日本のロック界をリードしてきた忌野清志郎さんのご冥福をお祈り致します…。
ロック歌手の忌野清志郎さん死去、58歳(読売新聞) - goo ニュース
ロックバンド「RCサクセション」やソロのボーカリストとして活躍した歌手の 忌野清志郎 ( いまわのきよしろう ) (本名・ 栗原清志 ( くりはらきよし ) )さんが2日午前0時51分、がん性リンパ管症のため、都内の病院で亡くなった。58歳。
告別式は9日午後1時、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所。喪主は妻、栗原景子さん。
忌野さんは、高校在学中の1968年に「RC」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。
フォークやブルース、ロックなど様々なジャンルの音楽を融合させた独自のスタイルが評価され、「ぼくの好きな先生」「雨あがりの夜空に」などの代表曲を生んだ。
その後、「RC」の活動を休止し、以降、ソロやバンドを率いての活動を行い、CMにも使われた「パパの歌」などをヒットさせた。
忌野さんは、派手ないでたちと絞り出すような歌声で知られ、「愛しあってるかい」など独特のセンスのフレーズを生み出した。
また反戦や反原発を歌った曲を収録したアルバムが、大手レコード会社によって発売中止になったこともあり、メッセージ性の強い作品も生み出してきた。
2006年7月に 喉頭 ( こうとう ) がんと診断され、治療のために活動を休止したが、08年2月に東京・日本武道館で復活コンサートを行った。
ありゃあ…。
ガンを公表して、去年ライブを行っていたから…と思っていたら…。
ファンの方には邪道に思われるかもしれないけれど、おいらの中では、どうしても忌野清志郎といえば…というのが「FM東京のうた」。
今でこそ「夜のヒットスタジオ」でゲリラ的に演奏したこの歌の画像が、いくらどこかで削除されようと動画閲覧サイトにアップされていて、どこかしらでその映像をパソコンから見ることが出来るけれど、これを初めて映像として見たのは、事件が起きた1989年から6年以上経った1994年か1995年の、専門学校での授業。
講師が「夜のヒットスタジオ」における「事件」としてこの映像を初めて見て、脳天をかち割られた記憶が蘇る。
っつーか、俺は何で中坊の頃から「夜ヒット」など見ないような生活を送っていたのかと心底後悔した。
まあ、同じような歌番組が今あったとしても、たぶん見ないだろうけどね。ドラマでさえほとんど見ないおいらがだ。
そういう意味では、世間の話題についていくために、週ドラは見ておいた方がいいのかなあ、やっぱり…。秋口に相模大野のコミュニティFMの公開生放送の2人のDJのトークを見て思ったのだが、やはり広く浅くの人々の心を掴むには、身近な存在であるテレビ、それも広く誰もが見るであろう週ドラの話題はやはりトークには欠かせないということだろう。だいだい、電リクの番組で総合DJがマニアックな話題に走ったところで誰も聞かないのがオチだろうし、そんな話題は外回りのリポーターが役割を担えばいいわけで。ねえ、おさない先生。
話が外れたが、思えば、こうした映像をなぜ専門学校の講師は入手できたのだろう。まさか毎週ハプニング目的で録画していたなんてことはないだろうし…。
それを証明するかのように、映像自体は、とても番組それ自体を3倍で録画したテープとはとても思えず、おそらくはダビングにダビングを重ねたのだろうと思う映像の粗さだったと記憶する。動画閲覧サイトにアップされている映像も似たようなものだったし。
そうなんです。ダビングにダビングを重ねれば映像は劣化するんですよ。
おそらく今のナウいヤングである10代や20代前半の、当ブログにとってはごく少数派(と思われる)の読者の皆さんには、VHSとかベータとか3倍録画とか、たぶん理解してもらえないだろう。そうですよ、見ていたビデオテープを止めた位置が違ったら「誰がこのテープを見たんだ」と、兄弟や親子でケンカが起きるんですよ。たいてい野郎同士のケンカだけどね。何のテープかはご想像にお任せします。
しかし、あの独特の声は、もう、生では二度と聞けないんですね…。
「雨上がりの夜空に」は、これからも歌い続けます。
長らく日本のロック界をリードしてきた忌野清志郎さんのご冥福をお祈り致します…。
今日の放送では早くもマー様達の新ステージ使用曲から何曲かかけてたりしてますがw、色々なところまで突き抜けてしまえば、逆に興味を引かれるという塩梅みたいですよw
そんな話はどーでもいいとして、忌野清志郎さんが無くなった話は本気でビックリしました。若すぎるとしか言いようがないわけで……。
とりあえず、サントワマミーのカバーでも聞きながら偲んでいこうと思います。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm99723
2:20あたりから「FM東京のうた」
雑誌ロッキング・オン・ジャパンで、編集者氏が「他の曲やることになってるけど本番であれをやっちゃいますから」と事前にこっそり打ち明けられていたと書いていたのを思い出しました。
そうと知ってりゃ観たものを、と後悔しきりでしたっけ。
新聞で細野さんと泉谷さんのコメントを見ましたが……仲井戸さん、どうしてるのかなあ……。
>おさない先生
なるほど。
そういえば「マニア話も突き抜けてしまえば…」というのは、実は当ブログの鉄ネタでも言えるらしいです。「書かれていることはわけわかんねーけど面白い」と、お褒めを頂くことがございまして…てへ。
まだ58歳、このご時世ならまだまだ突き抜けられるのですが…。
>しば氏
♪政治家の手先~
ご冥福をお祈り致します。
>青空百景さん
最近、お仕事の忙しさはどうですか?
あの歌には、そんな裏話があったのですか。それは初耳でした。
確かに「知っていれば見たのに」という話ですが、いくらなんでも生放送であれは…。
しかも当時忙しい受験生だったものですから…ねえ。
改めまして、忌野清志郎さんのご冥福をお祈り致します…。。。