今週は、、、一日しかなかったような、、、、??
え~~~もう?土曜日?
人生は歳をとるほど、、年齢の階乗ほど、時間の速さがすっ飛びますね。
子供時代、
和歌山県で過ごした
13年間が、、、
私の人生の
7割のような気がします。
天地が与えてくれた四季の自然の中で
季節とともにある時間の感覚は
どんな親友にも代替えができない
自然の移ろいが、、、
無言の
友と居るという感動と
偉大なる、、、何かに守られながら
目から、、耳から、皮膚から、、、全ての五感から
育てられた13年間だったと思いますね~~~

その後、
人間界で
はぐれ鳥にならないために
戦後の東京の
アメリカの意志の入った教育を受ける事と代償に
父が55歳で、、過労死という、、
もっとも失いたくなかった、、、人。
人間界を生きる後ろ盾を亡くした時
冬枯れの菊の枯れた姿が
来年の若芽を守っているのに気が付き、、、
死んでしまったという54歳の父は
歳をとらない、、、冬枯れの茎となって
私を人生の雪から守ってくれているのだと
父は姿が消えても、、、
生きているのだと信じるようになりました。
父のお父さん、、、つまり祖父にあたる人は
オソレオオクモ、、、宮内庁に勤務していて
剣道は5段でした、
囲碁が強くて、父も囲碁をする姿が
診療の終った深夜まで、、、はじめるという事もあり
母は、、身体を心配していました。
父に、、なんで?、、外科医になったの?。。と聞いたことがありました。
父の生まれた明治時代は、、、富国強兵という
国を挙げての戦争モードだった時代だったと言っていました。
東大に入学して、公務を通して、、、国に御奉仕するか
外科医になって、戦場で傷ついた兵隊を治療できるように
漢方学の医師には細菌感染の学問が遅れているので
イギリス医学を学ぶか、、、国に御奉仕するのなら
どちらかを選びなさい、、、と言われたそうです。
父は農学部に行きたかったので、
東京大学を受験したそうです。
しかし、、合格できなかったことも有り、、、
祖父が希望した医学校に進学して
外科医になったと言っていました。
何で?農学部に行きたかったの?、、
私は真剣に尋ねたことがありました。
父は、日本お米の美味しいコメを作った農夫が
日本中で、美味しいコメを作ってほしいからと
お米を配って歩いたという話をしてくれました。
父は植物も大好きな人でした。
疎開先の和歌山では、、、
何ヘクタールもの
農地を借りて
地元の農家の方々の協力を得て
薬用植物を栽培していました。
そのうちの一部は、
アメリカから取り寄せた
大輪のグラジョウラスや
中国からの、、楊貴妃の育てたシャクヤクや、、、ボタンを
見事に咲かせていました。
薬用植物園には、、、ジギタリス、プルプレァ、、、という
北海道のあちこちのガーデンにも咲く、、、紫の花を
医療用の「利尿剤に使った花」だと、、教えてくれました。
この花は、心臓の病気にもつけるんだと言って
カエルへの効果で,力価を測ると教えてくれました。
喘息の子供の為に「シオン」という、、、
可憐な紫の花も咲いていました。
薬用とは無関係に、、、
トリトマのオレンジ黄色の花は
子供だった私は、、、エキゾチックな海外のガーデンを想像していました。
こんなに、、、いろいろな面を持った父を
私は、心から大好きでした。
雀がカラスに追われて、、足がビッコになっとき
割り箸をけずって,、
脱脂綿で巻いて、、、小さな添え木を削って作った物を
雀の足に固定して、
竹ひごでつくった鳥かごに入れて
治るまで、、治療していました。
足をひきずらなくなった頃
雀を外に放ちましたが、、、手製のエサを与えていたせいか
雀は、野鳥なのに。。。すっかり慣れてしまって
鳥かごに餌を入れて、入り口を開けて固定しておくと
戻ってきては、、、出たり入ったり、、、
可愛いいしぐさで、、、鳴いていたのを思い出します。
父が、戦場に行ったなんて、、、
残された軍隊手帳が有るから、、、信じますが
こんなに、、、動物の命も労わる父も
戦争に駆り出され、、、
すさまじい戦いの中を、、、生き残った人なのかと思うと
戦場が、、悪魔の成せる狂気のゾーンのように思えてなりません。
ウクライナに、、、戦車が持ち込まれ、、、
人間同士の命が的になるなんて、、、
戦争という手段そのものが、、、
悪魔の成せることだと思います。
どっちが勝っても、、、人は死んで、、、
街は破壊されて、、、
継承された
文化も技術も芸術も
砲弾で傷だらけになると思います。
戦車が配備されて、、、
破壊戦争が起きる前に
話し合いで、
、戦争を終結できないものなのでしょうか?
群集心理は恐ろしいと思います。
戦争を囃し立てれば、、、
世界中が、、
戦争モードになりかねません、
戦争で、、利益を得るという、、、
とんでもない一団も出てきます。
世界中の国が一丸となって、、、
ここらへんで、、、
戦争をやめさせられないものなのでしょううか?
2月19にち、、、
60年前の、、、その日、、、
第二次世界大戦に巻き込まれた日本の多くの人は
父のように、、
人を尊重し、、、
植物を愛し、
殺戮は反対だったと思います
家族も親戚も、、、皆引き受けて、、、
戦後を生き抜いたという
明治、大正。。昭和を生きた、、、父
戦争のむなしさ、、、
戦争の破壊、、、
戦争の残した原爆投下、、、
全てを抱え込んで、、、
54歳で、、死んでしまった、、、父。
お疲れさまだった事でしょうね。
2月は、毎日、、父を思い出して
豪雪の札幌の郊外で
雪を鋤くっては一つづつ、、、
レンガのように圧縮して
路肩に積みアゲテ、、、
車が通れるようにする。
戦争で死んだという、、、兄2人、、姉一人が
賽の河原で、、、
石を積んでは崩され、、、
崩されては、、
また積んでいる、、、
親より早く死んだ子は、、、働き続けているんだよ、、、
母が、、疎開地で、、、子供だった私に話してくれた。
顔さえ見たことのない、、、
戦場近くで死んだ兄弟姉妹に
雪を積みながら、、、会話をしている様な気持ちになる、、、

一生雪を積み上げながら、、、
親より早く死んだ子が
労役に徹するという事は、、、
何を伝えようとしているのかワカラナイが、、、
今年も、、家の前は、、、白一色です。

戦争を無くしてほしいと祈りながら
黙々と積み上げる雪の塀が出来ました。
戦争の傷跡は、、、
子供の代まで、、、
寂しさを残します。
ここらへんで、、、
世界から、、、
破壊と殺戮の戦争を
終わらしてほしいと、、、
神様が居るなら、、、
仏様が居るなら、、、
心から、、
戦争を終わらせてほしいと、、、
世界中の神様、仏様にお願いします。
父だって、、、戦争で、心身共に、、、疲れ果てて、、、
54歳という、、若さで、、、此の世を去りました。
実家も、焼夷弾で、、消えてしまいました、、、
子供も...3人無くしています。
戦争が残した傷跡の大きさは
孫子の代まで、、、リスクが残ります。
子供を失った母は、、、心が貧乏になってしまいます
未来に生きる子供や孫に
負の財産や、、、
破壊跡の復旧を、、、残さないで済むように
破壊しかない、、
殺戮しかない、、戦争を
止めさせてほしいと思います。
今年も、、、祈りの雪かきが、、続いています。

どんなに雪が降っても、、、何時間も搔き続けています。
世界から、貧乏の国を亡くして、、、
分け合い、
助け合い
交換し合い、、、
地球だけは汚さないという
基本を大切にして、、、
地球の恵みの天然ガスを
北半球の支配に使う事よりも
共存共栄でき弐のだろうか?
世界史も、、、政治も、、まるでワカラナイ、、、私ですが
ナチスドイツが、、、あたえた教訓とは
なんだったのか?
独裁の行きつくところはどこなんだろうか?
人種差別や、、、男尊女卑や、、、貧富の差から
戦争は起きてしまう。
心の貧乏を亡くせば
戦争は起きないのではないか??
戦争で、心の貧乏の種がまかれると、、、
何回でも、、戦争は起きてしまうのではなかろうか??

え~~~もう?土曜日?
人生は歳をとるほど、、年齢の階乗ほど、時間の速さがすっ飛びますね。
子供時代、
和歌山県で過ごした
13年間が、、、
私の人生の
7割のような気がします。
天地が与えてくれた四季の自然の中で
季節とともにある時間の感覚は
どんな親友にも代替えができない
自然の移ろいが、、、
無言の
友と居るという感動と
偉大なる、、、何かに守られながら
目から、、耳から、皮膚から、、、全ての五感から
育てられた13年間だったと思いますね~~~

その後、
人間界で
はぐれ鳥にならないために
戦後の東京の
アメリカの意志の入った教育を受ける事と代償に
父が55歳で、、過労死という、、
もっとも失いたくなかった、、、人。
人間界を生きる後ろ盾を亡くした時
冬枯れの菊の枯れた姿が
来年の若芽を守っているのに気が付き、、、
死んでしまったという54歳の父は
歳をとらない、、、冬枯れの茎となって
私を人生の雪から守ってくれているのだと
父は姿が消えても、、、
生きているのだと信じるようになりました。
父のお父さん、、、つまり祖父にあたる人は
オソレオオクモ、、、宮内庁に勤務していて
剣道は5段でした、
囲碁が強くて、父も囲碁をする姿が
診療の終った深夜まで、、、はじめるという事もあり
母は、、身体を心配していました。
父に、、なんで?、、外科医になったの?。。と聞いたことがありました。
父の生まれた明治時代は、、、富国強兵という
国を挙げての戦争モードだった時代だったと言っていました。
東大に入学して、公務を通して、、、国に御奉仕するか
外科医になって、戦場で傷ついた兵隊を治療できるように
漢方学の医師には細菌感染の学問が遅れているので
イギリス医学を学ぶか、、、国に御奉仕するのなら
どちらかを選びなさい、、、と言われたそうです。
父は農学部に行きたかったので、
東京大学を受験したそうです。
しかし、、合格できなかったことも有り、、、
祖父が希望した医学校に進学して
外科医になったと言っていました。
何で?農学部に行きたかったの?、、
私は真剣に尋ねたことがありました。
父は、日本お米の美味しいコメを作った農夫が
日本中で、美味しいコメを作ってほしいからと
お米を配って歩いたという話をしてくれました。
父は植物も大好きな人でした。
疎開先の和歌山では、、、
何ヘクタールもの
農地を借りて
地元の農家の方々の協力を得て
薬用植物を栽培していました。
そのうちの一部は、
アメリカから取り寄せた
大輪のグラジョウラスや
中国からの、、楊貴妃の育てたシャクヤクや、、、ボタンを
見事に咲かせていました。
薬用植物園には、、、ジギタリス、プルプレァ、、、という
北海道のあちこちのガーデンにも咲く、、、紫の花を
医療用の「利尿剤に使った花」だと、、教えてくれました。
この花は、心臓の病気にもつけるんだと言って
カエルへの効果で,力価を測ると教えてくれました。
喘息の子供の為に「シオン」という、、、
可憐な紫の花も咲いていました。
薬用とは無関係に、、、
トリトマのオレンジ黄色の花は
子供だった私は、、、エキゾチックな海外のガーデンを想像していました。
こんなに、、、いろいろな面を持った父を
私は、心から大好きでした。
雀がカラスに追われて、、足がビッコになっとき
割り箸をけずって,、
脱脂綿で巻いて、、、小さな添え木を削って作った物を
雀の足に固定して、
竹ひごでつくった鳥かごに入れて
治るまで、、治療していました。
足をひきずらなくなった頃
雀を外に放ちましたが、、、手製のエサを与えていたせいか
雀は、野鳥なのに。。。すっかり慣れてしまって
鳥かごに餌を入れて、入り口を開けて固定しておくと
戻ってきては、、、出たり入ったり、、、
可愛いいしぐさで、、、鳴いていたのを思い出します。
父が、戦場に行ったなんて、、、
残された軍隊手帳が有るから、、、信じますが
こんなに、、、動物の命も労わる父も
戦争に駆り出され、、、
すさまじい戦いの中を、、、生き残った人なのかと思うと
戦場が、、悪魔の成せる狂気のゾーンのように思えてなりません。
ウクライナに、、、戦車が持ち込まれ、、、
人間同士の命が的になるなんて、、、
戦争という手段そのものが、、、
悪魔の成せることだと思います。
どっちが勝っても、、、人は死んで、、、
街は破壊されて、、、
継承された
文化も技術も芸術も
砲弾で傷だらけになると思います。
戦車が配備されて、、、
破壊戦争が起きる前に
話し合いで、
、戦争を終結できないものなのでしょうか?
群集心理は恐ろしいと思います。
戦争を囃し立てれば、、、
世界中が、、
戦争モードになりかねません、
戦争で、、利益を得るという、、、
とんでもない一団も出てきます。
世界中の国が一丸となって、、、
ここらへんで、、、
戦争をやめさせられないものなのでしょううか?
2月19にち、、、
60年前の、、、その日、、、
第二次世界大戦に巻き込まれた日本の多くの人は
父のように、、
人を尊重し、、、
植物を愛し、
殺戮は反対だったと思います
家族も親戚も、、、皆引き受けて、、、
戦後を生き抜いたという
明治、大正。。昭和を生きた、、、父
戦争のむなしさ、、、
戦争の破壊、、、
戦争の残した原爆投下、、、
全てを抱え込んで、、、
54歳で、、死んでしまった、、、父。
お疲れさまだった事でしょうね。
2月は、毎日、、父を思い出して
豪雪の札幌の郊外で
雪を鋤くっては一つづつ、、、
レンガのように圧縮して
路肩に積みアゲテ、、、
車が通れるようにする。
戦争で死んだという、、、兄2人、、姉一人が
賽の河原で、、、
石を積んでは崩され、、、
崩されては、、
また積んでいる、、、
親より早く死んだ子は、、、働き続けているんだよ、、、
母が、、疎開地で、、、子供だった私に話してくれた。
顔さえ見たことのない、、、
戦場近くで死んだ兄弟姉妹に
雪を積みながら、、、会話をしている様な気持ちになる、、、

一生雪を積み上げながら、、、
親より早く死んだ子が
労役に徹するという事は、、、
何を伝えようとしているのかワカラナイが、、、
今年も、、家の前は、、、白一色です。

戦争を無くしてほしいと祈りながら
黙々と積み上げる雪の塀が出来ました。
戦争の傷跡は、、、
子供の代まで、、、
寂しさを残します。
ここらへんで、、、
世界から、、、
破壊と殺戮の戦争を
終わらしてほしいと、、、
神様が居るなら、、、
仏様が居るなら、、、
心から、、
戦争を終わらせてほしいと、、、
世界中の神様、仏様にお願いします。
父だって、、、戦争で、心身共に、、、疲れ果てて、、、
54歳という、、若さで、、、此の世を去りました。
実家も、焼夷弾で、、消えてしまいました、、、
子供も...3人無くしています。
戦争が残した傷跡の大きさは
孫子の代まで、、、リスクが残ります。
子供を失った母は、、、心が貧乏になってしまいます
未来に生きる子供や孫に
負の財産や、、、
破壊跡の復旧を、、、残さないで済むように
破壊しかない、、
殺戮しかない、、戦争を
止めさせてほしいと思います。
今年も、、、祈りの雪かきが、、続いています。

どんなに雪が降っても、、、何時間も搔き続けています。
世界から、貧乏の国を亡くして、、、
分け合い、
助け合い
交換し合い、、、
地球だけは汚さないという
基本を大切にして、、、
地球の恵みの天然ガスを
北半球の支配に使う事よりも
共存共栄でき弐のだろうか?
世界史も、、、政治も、、まるでワカラナイ、、、私ですが
ナチスドイツが、、、あたえた教訓とは
なんだったのか?
独裁の行きつくところはどこなんだろうか?
人種差別や、、、男尊女卑や、、、貧富の差から
戦争は起きてしまう。
心の貧乏を亡くせば
戦争は起きないのではないか??
戦争で、心の貧乏の種がまかれると、、、
何回でも、、戦争は起きてしまうのではなかろうか??

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