花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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きたおうじ欣也さん、、受賞されましたね

2023年10月22日 | 日記
疎開先の和歌山の、川の傍の、、、
   筵でつくった映画や、お芝居がやってくる小屋で

     子供の時、、、唯一の楽しみだった、、、映画の上映。

「親子鷹」という映画でしたね、、、

市川歌右衛門さん、、、お子様との共演でしたね。

  あれ以来づーと、、
      お茶の間ファンの一人の婆ちゃんですが、、、

     同じ年なんですよね!!

   柏の国立がんセンターで
       「トーク」の舞台を中継したのを見ていましたが

     昭和の、娯楽の無い時代、、、
        子供が観ても、、、
          良い影響を受ける映画が多かったですね。

     銭形平次、、、良く観ましたね。

     今も、、TV番組表に出ているとみていますが

      若かりし日の「平次親分と,、女房役の女優さん、、、香山さんでしたか?」

         さわやかでしたね。

    石段を降りてくる平次親分の、、腰の位置が、、歌舞伎の舞台の踊のように

         安定していて、、、身のこなしの美しさに

             舞台を映画で見ているようでしたね。

               

      最後のシーンで、、平次親分が、、視線をお茶の間に飛ばしてくるのですが、、、

    若さと、、美しさと、、、魅力ある悩殺の、、終わりのシーンでしたね。

           悩殺されてましたね、、、ハ,、ハハハハハ、、、若かったんだね!!

                 婆ちゃんも、、、終わりのシーンで、、、決まり!!

   母も「歌右衛門さんのファンでしたが、、、親子で、、男の華のある立ち回りに

       歌舞伎の舞台のような,華のある動きに、、、
             芯からの美しい動きを見ていましたね。

     舞台で歌舞くような、、、目立つ動きではないのですが

    雙葉の頃より鍛え抜かれた、、、芸の力というのでしょう

     歩く姿、、後ろから見ていても,、、スキガ無いのですよね。

       半端な事では、、、何十年も、お茶の間の婆ちゃんになるまで

     チャンネルを、、欣也ちゃんに合わせるという

     一点の曇りもない、、
      芸一筋の、、、欣也ちゃんの「芸の力」だと

     人間の、、、自信と努力と、、心を芸の基本としていうような、、

     人間の喜怒哀楽を大切にしている    
               地味な不屈の
                    切磋琢磨を感じてきましたね。

        一生、、観てきましたから、、、ね。

              

        八甲田山で、、、雪の中で死んでしまった欣也ちゃんが映った時

       高倉健さんとの、、、あの映画は、、、観なけりゃよかったと思うほど

                 哀しかったですね。
           
      雪の行軍に、、、寒さの対策の出来ていない軍の知識の甘さに

       八甲田山の映画は、、、
               今も、、心に残っている、、、
           
       惜しい若者を、、、遭難させた、、、
               
               雪の行軍を、、、恨みますね。
       


            
                
 
       柏の「がんセンターの講演」で            

       今までの作品のことなど、、、話されていたのを

       TVで観乍ら、、、

        凛とした、、、ご自分の話を,、わかりやすく、、、

           作品を再放送で、、、もう一度見たくなるような

             過去の出演作品の想いでのシーンが

              走馬灯のように、、、聴いている婆ちゃんにも。。甦り

        おない歳なのに,、、矍鑠とした、、凛とした若さに、、、拍手ですね!!

                 

         あの若さも、、、芸の力なのでしょうか?

           弟から、、欣也ちゃんのカレンダーを送ってきました。

        「お姉ちゃんは、、TVの話になると、、欣也ちゃん、∻~て言うから

            たまたま、、、手に入ったから、、、カレンダー贈るから、、、」

           もう、、何年も前のカレンダーなんですが、、、

          引き出しの中に、しまったのですよ。、、、

               さわやかで、、、それでいて、、迫力のある、、、

                  忠臣蔵の番組の,大石家老のTV番組を見た時
                     
         此の俳優さんは、、、日本の文化の表現体のように思いましたね。

                昭和を駆け抜けた戦後の復興期は
                   12月14日、、、討ち入りの
                    山鹿流の陣太鼓でしょう!!、、、

                  差別撤廃ですよね!!!


           大石家老の役は、、多くの俳優さんたちが演じましたよね。

            TV漬けの、、婆ちゃんは、、、ほとんど観ているのですよ、、、

            古きは。。。千恵蔵さん、、も。、、、
                   言葉、、何言ってんだか・・・
                    いまいち
                       聞き取れない、、
                             幼い婆ちゃんでしたね。

                      

               欣也ちゃんの作品は、、、何故か、、、一点の曇りも感じないのですよね

             淡々と、、運命と闘う、、大石、、四十七士、、、

           我が身の上のことのように、、、作品とともに、、、
                       心が歯を食いしばって、、

                         応援していましたね、、、、

                     幼い時代の、、精神的、、バーチャルの時代を観ていましたね。
                     
                  

           文化功労賞、、、〇〇賞、、、
               たくさんおとりになりましたが、、、


            子供のころから、、良い影響ばかり受けながら

               欣也ちゃんの、、、作品に触れて来たので

            ある種の、、男の子から、、、青年、、、壮年、、、悩み多き50代から、、

            白髪交じりの、、、初老、、、そして、、、老境に入っても

             今なお、、、曇りのない、、さわやかな、、重厚な芸は

             年代によって、、、水辺の輝きの様であったり
            木漏れ日の優しさだったㇼ、、、
                  

            磨き抜かれた真鍮の一瞬の輝きであったり、、、

              いぶし銀の様であったり、、、

                 静かな湖の上を行く、、、白い鳥であったり
                 


              普通の男性俳優から感じる、、、男臭さは、、全く感じませんでしたね。

            でもね、、、婆ちゃんは、、
                健さんも、、大好きだから、、、
                     光も影も芸術という事でしょうね!!

               不思議な魅力の、、、いくつになっても、、、

                多くの賞を戴いても、、

               どんなに、、本当は偉い人なのかもしれませんが

               銭形平次のように、、、身近な優しさや、、、
               身近な気品や、、、

               人が持たねばならない、、、身近な誇りや、、、

                威厳があるのに、、、
                   あたたかくって、、優しさを感じますね。
              
              見えないけれど、、、一貫したヴィジョンのような

                貫いたものが有って、、、
                   空気でリーダシップのある俳優さんですよね。

               芸に生きる、、真実のような、、
                 毅然としたものを感じてきましたね。

                高校生の時、、、日生劇場にて、、
                  
                  加賀まりこさんと

                 「オンディ-ヌ」の舞台がかかっていたので

                 高校生の私にはワクワクしながらの、、、観劇でしたね。

                    

                 素敵だった~~~~~」ポ~~~ケ~~としちゃった。

                欣也ちゃんの魅せる舞台でしたね。

                小悪魔的な加賀さんと、、、
                  不思議な空間を、、、
                       醸し出していましたね。

                60年たった今も、、、覚えているんだから、、、

                 クラスの男性のラブコールも、、、全く聞こえなかったのか

                        誰も、、、ラブしてくれなかったのか?

                  あの頃は、、素敵な俳優さんに夢中でしたね。

                  

               舞台の立ち回りの、、美しい、、男の闘争を観ているようで

                 安全地帯のお茶の間で、、
                   、多くのことを、、教えていただきましたね。


               特に、、医師になった時の役柄の時は、、
                       小さな手の動きまで

                    注意して見ていました。

           

                院長の役柄の時などは
                       表情などなど、、、イメージの中で、、

                 その雰囲気などは、、、、

                  お世話になった病院の院長さんの雰囲気の様で    
                    スッカリ、、あの時は、ありがとうございました、、、と

                    助けられた医師の顔を、、思い出してしまいました。
                               
                   あかちゃんの頭ほどの、、腫瘍を切ったのですよ、、

                        婆ちゃんはネ。

         検診に行かなかったことが、、、自覚のないまま、、、
                  お腹の中で卵巣が、、赤ちゃんの頭ほど大きくなっていたのに
                     気が付かないで、、、あの頃は薬剤師の現場復帰をしていたんですよね。

           家と、職場と、、子供らの大學の授業料に追いかけられて
                自分を振り返っている暇がなかったこともあるのです。

                  家に帰って、、TV見乍ら、、、復活して、、、又、、働いていた。

                   あれから、、何ン十年も、、、過ぎてゆきました。

                  今もぴんぴんしていますけどね。

               ドクターXにも、、確か、、お出になたように記憶しているのですが

                 あの番組には、、、近代的な医学がとりいれられていましたよね。

               医師をおもちゃにしているように見えても、、、腹が立たなかったですよね。

                ダンナさんと一緒に、、観ましたよ。

                       探偵ものも観ますが、、、弁護士になった欣也さんは
                            本当に、、素敵でしたね。

              時代劇とは、、又、、全然違う、、、知的な、目が、、、別人も隊でしたね。

                どのような役をされても、、、温かな人間性が、、、伝わってきて

                    誇り高い役も、、、何処か、、温かな親しみを感じますね。

                 華麗なる一族の欣也さんも、、キムタクも、、、何処か、、あたたかい。

                 本当の、、怖さが無いというか、、、悪役は、、出来ないと思いましたね。

                 生きているという事は、、、
                     TVが観れるという事ですね!!

               TVだけあったら、、、退屈しませんね。

                それと、、台所に置いてあるパソコンンで

                    コメが焚ける間、、、なべ料理が煮える間、、、、コマーシャルの間

                サイトのサーフィンで、、日本中の旅感覚の、、臨場感ある風景

                山の花、、原野の花、、、岩場の花、、、何げない風景の中の鳥たち
                    アサギマダラの蝶々など、、、
                      閉じ込められた主婦の部屋には

                        電波も、、無線も、、、世界中の風景が
                          NHKが画像にして、、TVで見せてくれますので



                  深夜のNHK ,,早朝の4時からの NHK ,,,

                バカ婆ちゃんの一生は、
                     心臓や、循環器や、、、救急を要する大けがなどを
                専門に扱う、、大きな外科の、医師と結婚したばかりに

                トリアージの段階で、、、
                  女房は「ほ~ておいても、、、生命に別条なし、、、の放置グループ」

                 家庭は任されっぱなしで、、、
                    主はいつも病院で手術、、、執刀、、

               子供の作文は「父さんは居ないみたいだけど、、、家を守っている。
                         神様のような、、会えない、、お父さん。」

               先生が心配して、作文を持ってきてくださった事が有った。

                 外科医の父を見ていたから、、、

              子供達には言いました。

                「ライオンの家族のお父さんは、、、居るだけでいいのよ!
                  子供達の目の前で働く人、目の前に見える人が
                   母さんライオンだけが見えるのよ。

                家に姿は見えないのは、、深夜帰りの早朝出勤だからよ。

               ライオンの家族はネ、、、
                お父さんが居るというだけで、、、守られる。

                お父さんは出張病院で働いているというだけで

                   家に居るのと同じように、、、
                     皆を守っていてくれるという仕事なの。

               今、診てあげないと、、死んでしまいそうな重症の人から優先させるから

              お父さんの時間は、、死にそうな患者さんの時間なのよ。」

                 医師の先生方が、、、助けてくれなかったら、、、

                  死んでいたという、、、病気に、、何度かかかった事を思い出しながら

                正月に、、40度近い熱が出た時も、、、
                        盲腸炎にかかって、、お腹を切った事もある、、、。

                 たった4日で退院して、、抜糸は家のソファーで
                    外科医のお父さんがしてくれた。

                  病院麻ベッドは、、上昇の患者さんンが使うから、、、
                  退院してほしいと言われて

                    お腹に糸のついたまま、、退院してきた。

                   TVで出てくる、、医師の奥さんは、、結城紬に,、紗のはおり、、
                    大邸宅で、、先生を送り出し、、、浮気などしている。。。

                     現実の勤務医には、、夢のような、、絵に描いた餅の世界が

                      TVには繰り広げられて、、、仮想体験できるのが、、、結構面白い。

                     なんやかやと、、、17回も、、、入院した若き子供の頃。

                    医師が居なかったら、、、

                    サイトの中で、、好き勝手言っている婆ちゃんは、、、
                    とっくに天国に行っていました。

               一番忙しいだろう、、医師との結婚に踏み切ったのは
                54歳で死んでしまった外科医の父のことが
                      忘れられなかったことも、、大きな要因になっています。

                  愛とか,、恋とかに縁のないのは,、、父の生前の姿そのものです。
                「時間貧乏、、、、、、家庭の団欒貧乏、、」

              「医師をすることだけで、、、家庭は振り返らない、、、というより、、

                 家庭は掘っておいても、、、死なないという、、順番んですね。

               家庭的には不満がイッパイありますが、、、

                   有名な俳優さんだって、、きっと同じだと思うから、、

                   TVが有れば、、、人生なんて、、こんな幸せな事は無いと、、

                 昔の将軍様だって、、TVは無かった。

                心の中で、、医師のおかげで、、命拾いしましたんで

                病院物語の番組も、、、TVでは、、常連の視聴者ですよね。

                     
                    
               欣也ちゃんの、院長さんは、堂々としていましたね。
                    医師を良く観ていなさるな~~~と
                芸の細かさに、、、勉強になりました。

               静かな風格の漂う院長さんお役柄は、、、素敵でした。

         現実の医師や看護師さんは、、、ゴミ袋かぶって、、コロナの患者さんで走り回っている。
             ドラマにはしにくい現実が、、、夢のような、、スマートな職業として

              威厳もあり、、
                  品もあり、、
                    権威もあり、、、
                      
                 ドラマでは、、、20日ぶりに自宅に帰ってくるとか、、、
                  実際の雇われている立場の医師が、、出てきませんね、、、

                  

             一方、、「華麗なる一族」、、、は、、、凄味が在りましたね。

              大人の番組でしたね。、、、キムタクも、、良かった!!

               昭和の時代は、、敗戦で親たちが育児の自信を失っていた時代ですから
             子供達は、、時代の波に翻弄されながらも

               真摯な生き方の誰かに頼って
                   自分尾人生航路の羅針盤に、、、俳優さんの作品の中の人物の生き方に

               手探りの、、、人生航路の頼れる人物に選んでいた時代でしたね。

              青春時代になって、、、欣也ちゃんと全く違うタイプの

                慎太郎さんの太陽族が現れて、、、

                 近くに言ってはだめと、、親や先生からは注意されても

               湘南族の、、全く違う世界の日活に、、、

               人生勉強よ、、等と、、自分に言い聞かせながら

                 時代のサイケディックな 色遣いに、、、今までの日本とは違う

               私にはついて行けないものがあるが、、、知っておきたいと、、、

               日活にも、、友人と,、良く通いましたね。

               吉永さんのキューポラのある町なども、、、観ましたね。


                ヌーベルバーグと言われる、、、露出狂時代の始まりには


            ついて行けませんでしたね。

              東映は、、、ヤクザ映画が多くなり、、、いつの間にか、、TVの方になりましたね。

                   結局、、ついて行けなかった、、、田舎の育ちの私は

                 欣也ちゃんの、、映画がかかると、観に行った思い出があるんですよ。


                 時代の流れから、、、激しく急カーブする映画には

                  田舎育ちの私には、、、真向いからヘッドライトに照らされた様に

                 眩しすぎて、、、観れない映画が、、多くなった時代でしたから、、、

                いつの間にかTVのホームドラマや、、、

                 銭形平時が、、一番、、落ち着く時間でしたね。


              家庭に入ってからは、、TVが楽しみで、、、それまでに仕事を片付けて

                  ドラマを見ていると、、幸せでしたね。

                 欣也ちゃんの番組があると、、、一日が平和でしたよ。

                子供達が小学校の高学年医なると、、、もう、、チャンネルは子供の物でしたね。

              毎日、、、8時だよ、、、全員集合!!、、、太陽にほえろ、、、 

                   藤田まことの、、、てなもんや三度笠、、とか。。。

                  あの子たちが大学に入って,、出て行ってしまったから、、、

                 華麗なる一族の欣也ちゃんに、、再開したときは

                 ホームドラマの欣也ちゃんのイメージとは全然変わりましたね。

                 「男❣!、、きたおうじ欣也さん、、、」

                 大人になっていましたね。

                 私だけが、、、どたばたの、、
                    時代からとり残された、、おばさんになっていました。

                 それからは、、TV番組で、、忠臣蔵や、、、弁護士さんの物語に出逢って

                 子育て後の、、、後れを、、少しづつ、、、、取り戻しながら

                    次に出逢ったのが、、、相棒でしたね。

                   時間が3時近くで、、夕飯の支度が出来るほど

               コマーシャルが入ってくれるので、、、

                家事と両立するという、、、推理の癖が付きましたね。

                    次に、、楽しかったのは、、、「倍返し!!!!!」

                    全員が主役のような、、、すごい!!!

                   面白かったですね、、、、

                  あれこそ、、、欣也さんがオウギの要であり

                 派手な絵柄の扇を開いたような、、、華やかな面白さでしたね!!

                 深夜になるとNHK

                   早朝は、、、とうちゃこ、、、

                   悪がきを演じては、、憎めなかった、、火野正平さんが

                 時代劇の3枚目で、、好感度高かった正平さんが、、、もう、、御爺さんですよ!!

                    あの、、「親子鷹」で『であった少年が、、、、80才!

                      婆ちゃんも、、、来年は80才、、、、


                 光陰矢の如く飛び去って、、、思い出の映画の場面に、、、若さを思い出す。

                  欣也ちゃん、、、欣也さん、、、キタオウジ欣也さん、、、

                          やっぱり、、初めて観た映画の
                        「欣也ちゃん」が、、、スクリーンの王子様ですね。

                 TVのおかげで、、、一生は、今日一日、、、の繰り返しが、、、

                       孤独から救われていたことに、、、感謝ですね。

                    婆ちゃんが、、ノベル賞をあげたい人は

                            洗濯機を創った人と、、、

                             TVを創った人ですね。

                           言いたい放題日記に書いていると、、、

                              夜が明けてしまいました。

                          欣也さま、、、

                   数々の受賞、、、今回も、、心より拍手を送っています!!

             オメデトウゴザイマス、、、お茶の間の、、、ファンの婆ちゃん日記でした。

           
                 
        
               市川歌右衛門さんの,、、華のある輝きが、、、

                     なんとなく、、重なる場面も、、多くありましたね、、、

              欣也ちゃんのことを書きだすと、、、朝になってしまうので、、、ここらへんで

                おやすみなさい。

                  80歳の婆ちゃん、、も、、、若い時があったのですね~~~


               思い出が、、、昨日のように、、、感じますね。

                         日記帳です。

                         
                

      





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