花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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負けちゃいられない、、、

2023年10月26日 | 日記
冬になる前の、気候の不順に、、
  気持ちはふりまわされt、、、

     冬の到来ばかり思い出していると、、、

       気持ちの上で負けそうになる。

          去年の冬の終わりの雪景色ですが、、、これがサトウならね、、、、(*0*)
               
   今日は、朝から、、道路側に伸びた枝を切り落とし

     玄関を出た所のキャラ木の行儀悪く伸びた枝を切ると、、、

        時間さえあれば、、、箸置きでも創りたくなるような

        切り口がしっかりして、、良い色の木です。

      真冬になると、突き出た枝の葉の上に
         しっかりと氷塊が乗って、、、落下すると危険でしょう、、ね。
       


   ほっかいどうは、昭和40年の頃は、、、堀井さんというクマの木彫り名人が居た。

      お店にも、、堀井熊が並んでいたが、、、当時は、、買いそびれてしまい

        ふと、、そのころに木彫りを考えた人たちの

                冬越えを想像したりしながら、、、

  coronaで出られない、、、3年が過ぎても

     家から出る機会は少ない「老老介護」がやがて家てくる。
北海道のお嫁さんは賢い人が多いから、、、


    結婚当初から、、、旦那さんは自分の良い人であるから、信用するが

      旦那のお母さんとかには、接触したがらない傾向がある。

     私も、、若い人には若い生活があるから、、、
          はなから一緒に暮らしたいと考えない方である。

  でも、忙しすぎるときなどは、近い方が何かと便利なので

  必要以外は行き来はしないが、、、車で5分と掛からない所に住んでくれている。

     長男も、大学入学と同時に「下宿に出した。」

     その成果が有って、すっかり自立している。

        来年は80歳であるから、、、生涯の散らかした雑貨も捨てる事になるだろう。

    05050500700、、、∻~こんな数列の廃品回収の電話がかかってくるが
      我が家は、、引っ越しやサンに一任して、、処分してもらうつもりなにで
     廃品回収には出しません。、、

       なんとなく、、
         選り分けるほどの
             高級品が、、我が家には一切ないからです。

        戦争からの復活期の昭和の時代は、、、
           鍋釜、、、鋏、、、鉄製品は、、全部国家に提出した時代でした。

           父母の家は、結構な裕福な家だったらしいですが、、、
          私が知っている父母は
        戦場から帰還できた、、、
         着のみ着のまま、、
           疎開先の和歌山の山奥の父母でしたから。

          ダンナさんの家も、、、戦後の日本の平均的な貧乏な時代を生きてきました

          ロマンスに満ちた「心の出逢い」なんて時代ではなくて

          女の子は、、20歳過ぎると
          「見合いばかり、、、用意されて。。
             追い出し作戦に経奇癖となりました。」

    明治の父母は長男だけが相続させる子供であり
          次男三男には、、、社旗に必要とされるスキルをつけさせて
         雪だるまの芯になるような、、分配金を持たせて独立できるように
          のれん分けモドキの配分をする。

          新しい法律で、、相続権の出来た娘は、、、、最も、、困った存在になる。

    のほほんとした、、何処から見ても美人で、、、性格が良くて
       どのような男性からも、、愛されそうな、、花のような女性は

      母親が我がことのように、、、新しい家庭に夢を持ち
      必要以上の、、、豊かな娘時代を過ごすのかもしれませんね。

     幼いころ、、、火傷をさせて仕舞った娘なんて、、、
      重荷にしかならなかったのだろう、、、

      弟の娘たち三人を引き取って、、、ドレメの大學を出して

      医師と結婚、、法律家と結婚、、、全て、、我が娘のように結婚式は盛大にしていたが

        私は呼ばれなかった。
        兄の息子が、医師になり、、女医と結婚したときも

             私は呼ばれなかった。
          医師になるまでの夏休みなど、、、
            札幌に来て、、とまって行ったりしていたのに、、、

           奥サンの女医さんも顔も未だに知らない。

        ほっかいどうは、、、遠すぎて、、、
        呼ぶのには、、宿泊まで用意すべきと思うのだろうね、、、
        新しい門出には、、、北海道のような、、これからは生きそうもない遠方のおばさんは

       切り捨てた方が、、、両家にとり、、、めんどうなことが省けるのは確かである。

       奥さんになった女医さんが院長になり、、甥っ子は開業主となり

       実家は売られていったが、、、見知らぬ土地に、、異動した父の孫が開業した。

     祝電も、、お祝いも送りようが無かった。
        私には知らせて来なかった。

         相続権が、、法律上、、私にもあるはずだが、、、

      ささやかな親族だけの結婚式で

        北海道に、医師を迎えに行ってきなさいと言う、、、母の命令で、結婚したが
    北海道の医師は、、北海道で道が開けるように、、、世の中は出来ている様だ。
    ダンナさんは、、結婚当初は、、東京学会の度に
         一人の時も、、実家の母を訪ねてくれていた。

     しかし、、、博士になり、、、医局の一員として、、生きる場所が与えられてくると
     東京に帰ろうとはしなくなった。
      同時に、、よそ者の奥さんは、、、なんの役にも立たない事になった。

     私は、、北海道に居ても、、役割が無くなった。

      ダンナさんは医師をすることに、、全力投球する人であり、、
     ほとんど家庭は振り返る暇はないほど、、、医師をすることに没頭していた。

       戦後を活きた私たちのような、、、無給医局員から始って

     大学人事で、、勤務した医師のうちは、、、民間が思っている様な
    豪華客船で旅をするような、、イメージとは程遠い。

   近所の奥さん方のなかにも、、、良いTVを持って,、
     スマホを使い慣れている、、スマートな女性もいるが

        私はスマホを持っていない。

  料金が気になって、、、つかうときには、、パソコンで間に合っている。

    天は、、スタモンダの冬将軍との戦いの末
   一度は流産してしまったが、、、
   二度目は、早々と実家の東京に帰り
    全て、、お産は東京で完了させて、、

     夜泣きをしなくなった、、、4か月目の、、6月に北海道に帰って来た。

    一年以上もダンナさには逢わなかったお産でしたね。
    結婚生活が、、誰から見ても、、破たんしたように見えた1年間でしたね。

      札幌に、4か月の坊やを抱いて、、、ミルクとオムツと、、着替えを持って
     千歳についたとき、、、ホッとしましたね。

    知らせてはいましたが、、、外科医として、先輩の教えを一身に受けて
    医局では、、身分の無い無給医で、、、

    「ハイ!」以外の言葉は発せない、、、ビリの身分だっただけに、、、

    女房が帰って来たからと言って、、、抜け出せるほど、、、
    医局は甘くなかったようであり、、、

    私は、、まっすぐ、、二間で、、風呂の無い、、狭いアパートに

     長男をだっこして、、たどり着いたのでした。

    苦労して、、出産に成功した息子だけに、、
     私は、、当分育児以外には考えが及ばなかった。

      息子が成人しても、、、東京のことは無関係に育てた。
     北海道の小学校から高校を卒業して

      北海道の大學を出た息子は、、、立派な北海道人の仲間であると思えるから

    転々と、、日本中を移動して生きた私は、、、
      いわゆる、、、よそ者扱いを受けるだろうと思えるから、、

         中間に入ろうという気持ちを起こさない様に、、、

            居ても不思議ではないという、、、センサーに引っかからないときだけ
      子供と一緒に出掛けるように心がけた。

   我が家は、、、北海道人では無かった母親の事の為に、、、

     若い時代の邪魔になっては

     世間で生きて行くのに、、、時代に乗り遅れたり、、、

       若者同士の間で、、時間貧乏になっては、、
            力を出し切れないと考えてしまうので

     どうしても、、、必要以外は連絡もしない。

     ほっかいどうで生きて行く孫子の事を思えば

     育児と、応援以外は、、くっついて行動しない方が良いと、、
        気持ちの上で割り切った。

      昭和の北海道の、、羊が丘の周辺の新興住宅街は
      地元の北海道人がほとんどで、、
      開拓農家のしっかりと主張する、、村落のような要素がちらほら見えた。

     ダンナが医学部で、、、隣りは同じ北大出の農学部の出身の道新の記者だった。
      本州から住み着いた医師家族に、、、

           何かと,、用事を言いつけては、、自分は道内で多くの医師を知っていると

            田舎独特の、、コミュニケーションンのとり方が

        上下を付けたがるので、、、いつの間にか、、私はお隣さんを避けてしまうという

       閉じこもりになってしまった。

       上下関係で、、、しょうゆが安いから、、、洗剤が安いから、、と

         車を出してほしいと言われるのが、、、おっくうになってしまい、、

       今、、手が離せないからと、、、断ってばかりいるうちに

         塀を建てることを強要されて、、、個々が境目だと、、、御隣さんが言い張る所に
       この家を二件とも建てたミサワに任せれば、、、、境界線上に

        塀を建てることに成功すると思い、、、
        当時のお金で120万円のブロッック塀を北海道ミサワに任せた。

         境界石を動かして、、、当方の庭に30センチ以上入り込んだ塀を建てて

         御隣さんは、、、メンツが保てたのか、、、それからは

          大根が安いの、、、じゃが芋が安いの、、、車を出して手伝って、、、とは

         言わなくなった。

         ほっかいどうでは、、当たり前の付き合いは、、

           私には、、わずらわしくて、、、応じられなかったのでした。

          あたり一帯の、、医師の家族でありながら

          おおらかに、、全てにおいて、、
           周りに如才なくお手伝いできない私の性格なのでしょう

          私と仲良くした人が、、、虐めに逢うという現象が起き始めて、、、
            挨拶以外は、、しない人になっていったのでした。

            そうかと思うと、、、まんかんしょくに着飾って、、、

            自分たちの仲間にならないかと、、、誘いに来る人など

            どちらにもなじめず、、、独りぼっちが良いと決め込んで

             庭と遊びながら、、大自然の山歩きの方に、、趣味が傾いていきました。

            何もいりません、、、誘っても要りません、、、一人でやることが一杯ですから、、、。

           北海道の方はいい方なのだという事は、、、観ていたらわかります。

            一緒に庭でバーベキュ^したり、、、ほほえましいお付き合いで

            盛り上がっていますもの、、、

             私は、、、入っていけないだけなのですよね、、、

            面倒くさくて、、、一人の方が好きだったのですよね。

           家庭でも、、食事の用意をして、、、二階に行ってしまい
            夜中に片づけに降りて来て、、

            夜中に、、、旦那が寝静まってから、、仕事をして、、、

            昼の2時まで二時間昼寝をしています。

             すれ違いで、、家を維持することの方が、、、ストレスにならないので

            我が家は、、真夜中に、、洗濯機が、、廻っています。

             夜は起きているんです。

              旦那が食事をしてからTVを観ている21時から〇時まで

              私は二階で、、、寝てしまいます。

              変てこなすれ違いが、、、夫婦の健康を守ってくれて

             込み入った話もしないで済むし、、、お互いに、、義務以外の仕事は期待しない。

            ストレスもありません、、、、こうして、、健康な体で、、、

                 80歳までたどり着いたのは、、、

                   煩わしい、、近所の付き合いを、、、避けてきたからかもしれません。

          何かあったら、、、息子夫婦だけがたよりですが、、、

            不思議な事に、、、ゴミ捨ての日は

              井戸端会議の奥さん、、婆ちゃんと盛り上がり、、、

                 先日は、、億さんのように、、、髪を長くしたのよ、、、

                   奥さん、、若く見えるもの、、、なんて、、言ってくれて、、

             「80歳の、、おさげ、、、有なのよ、、」と、笑って答えました。

            単なる、、美容院へ行かないだけの、、人生だったという事です。

            恥も去らせる、、、80歳が目の前です。

              自分尾葬式は、、知人が居ないので、、家族葬と、、決めて、、、

                 積み立ては終了しました。

                 おまけが何年在るかわかりませんが

             明日のことを考えずに、、、今を生きようと、、思っていますが、、、

                雪のない所に、、往きたいですね、、、。

                天国だって、、、決して拒んではいけない歳になりました。

         
                
       孫の一人は、、おもむろに言う、、

    「 ママの方の、爺ちゃんと婆ちゃんは、、親しくしてくれるのに

    札幌爺も、、婆ちゃんも、、、なんで??

     気安く、、いろいろと頼んでくれたり、、、
            お手伝いをしてほしいと言わないの??」

     確かに、、、内孫は可愛い、、、
       しかし、、立派に働ける男にして、、社会に返さねばならないというのも、、本音である。

    耐力、気力、、体力、、、学力、、等の形成の時間や

      同年代の友人や家族との、合同の時間が、、
          若者の成長には欠かせないと思っているから

       可愛くて、、仕方がない時でも、、、突き放してしまう。

     その代わり、、ひと月に一度以上は、、ファミリーレストランで

         思いいきり、、好きなものを頼んで食事に誘う。

       耐力の事をどこかで考えての計画です。

     孫たちは、、、本当にかわいい、、、

     末の孫が来年大学に入学するが、、、

          卒業までは、、、どうしても見届けたいと、、思っている。
     冬が来ると、、孫たちとも会えなくなるし、、、

      気安く呼ぶにもそろそろ、、控えるようにしないと、、

     80歳を過ぎてやってくる、、「孤独、、孤立、、いっそ、、孤高になれたら、、楽でしょうね。」

     冬が来る直前医なると、、、人間って、、、不安になるのかもしれませんね?」

      ことしも雪をどかせられるだろうか?、、、筋肉を落とさない様にしないと、、

     ことしは暖冬らしいから、、、何とか切り抜けられそうな気がしますね。


       

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