花鳥風月、、2023年からの第二の日記

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緊急時に備えても、、、冬は動けない

2022年11月03日 | 日記
11月に入ると、
朝晩のストーブは
存在が大きく見えてくる。

今年は、、、本当に大変な日々だった。

10日毎の「買い溜め」

下着類のツギあて
  (coronaの感染の予防の為に、小さな穴やほころびは修復)
極力、、、店や雑踏や地下鉄は避けた。

気が付いた事は、

   下着類は何枚あっても、
     気に入った物は
        5組ぐらいで
      同じ下着が洗濯機に入っているという事です。


「着心地」「微妙なサイズ」「微妙な発汗吸湿具合」

      そして、微妙な手ざわり
               足さわり、、、の感触

      最後は色のついたもの

靴下は、、足首の締め付けない,、
底のクッションが履き心地の良いモノ。

  玄関で毎日、、、ビニールに詰めて
   洗濯カゴに置くことで、
     洗剤に漬けた後
       数時間於いてから

     病院を通過してくる以上

   あらゆる疾患のもとの,、、
     細菌やカビのレベルのものから防御する。

  靴下は、、「水虫」の素が入り込まないように
    洗剤に一日浸して殺菌した後
       ストーブの上のヤカンの熱湯を注いで

        汗や足の油分を流してから

       洗濯機に入れて洗う。

  病院勤務である以上
    細心の注意は
     院内の指導書にも回覧されているが

   我が家は独自の家庭内入院が出来るほど
     空気の対流に、ミクロのゴミや細菌が乗っても
      滅菌されている「ごみ」であるという

     工夫をしている。

      患者さんの方は、どうしても
発病してから、、、病院に運ばれてくる以上
コロナ受け入れ病院である以上

   奥さん方の家庭からコロナを出しては
    申し訳ないので
      自分の周りは,、、滅菌された、、
    肺には吸い込まないような

      見えるほど大きなゴミで
     空気の対流に乘りそうなゴミは

    極力蓋のある、、、足踏みぺたるで開くゴミ箱に
      ハイターで湿したキッチンペーパーを曳いて

    有料ゴミ袋には、こまめに入れるようにして、、、蓋をする。

神経を使う事に連続性を持たせないで、、、

   決まった時間に決まった事を順次するだけで

     集中的な仕事にならないように習慣づけて

肺の中に、、、マクロなゴミが入っても、、、
   滅菌した状態で浮遊しているという工夫をしている。

私自身は、、、4回目のワクチンを済ませて、、、陰性である。

   後は、、孫子が、、修学旅行などで
     北海道以外の場所で、、、
ホヤホヤの、、coronaを仕入れてこないように

      願って、、、3年になる。


        

  仕事上、、、無菌の人達に接するより
  病気の人たちの集まる場所である以上

何らかの菌や、、何らかのウイルス、、、
   何らかの虫(たとえば,、、疥癬)
        ダニの種類

      撲滅状態に報告されていても

   病院には、、外国経由で感染した患者さんだって来る。


    

病院スタッフは,、、事務の人たちに至るまで
  これらの疾患が、coronaと同様に
      防御態勢にあるわけですから

病院の外野で、、ネット裏である主婦は
  「素人の観戦をしている客」と似ている。
     本人は野球選手というわけではないから
        精通したピッチャーの等級に対して
          過剰な反応も、、するだろう、、、ね。

実際に病院勤務で病気との闘いを
   専門家として受けている医師の夫の行動には
     頼まれたことをするだけで

    コロナ感染の人数が多い日は

  此処のところ、、インフルエンザとの合併を警戒して
  老人割引のタクシーで通勤しながら

  タクシー運転手さんのおかげで
   病院で、つつがなく、業務をこなして、帰宅してきている、、、、が。

  corona受け入れ病院なので
    万一の時も
      即座の投薬のできる院内に居ることが、、むしろ安心である。

  家庭内で、、私が、、coronaに感染すると
  夫婦が二人とも感染することは
  何が何でも避けねばならないという、、、

   ある種の緊張感が続いている、、、3年間であった。

何処の家も、、、専門知識の深さの差は有っても

    stressの大きさは、、、同じように受け続けていることだと推測できる。

   親は、、若い子供さえ、、、警戒しなければならないし

  医師と、薬剤師と正看護婦と、医師の息子と薬剤師の息子

    医療系の大學の孫、、と

 極端に医療に偏っている我が家は、、、
誰かかれか、、、
コロナ患者さんに接している可能性が大であるが

慣れとは、、言えないが、、、

  正しく怖がりながら
     正しく処置を受けて、、、むやみに恐怖に陥らない。

孫が来ても、、、孫は、、あがろうとしない。

 玄関の外で、、、立ち話になる。

息子だけが、、、マスクをつけて

「ただいま~~~」と。
  子供の時から変わらない、、
背中向きに家に入らないで、そのまま家に歩いてはいるので
靴の向きが反対になっている。

私は、、、ファブリーズをスプレイして

3分ぐらい経過してから、、、
靴の向きを揃えて、帰りに履きやすく整える。

手は滅菌布でふいた後、、、
石鹸をつけて、風呂場で洗い
その後、お湯をしばらく流している。

洗面台では、靴を触った手は洗わない。
跳ねかえった水の中に、細菌類が居るかもしれないと思うから。

息子は、母親が、こんなに神経質になっていることは知らない。

帰りがけに言う言葉が、、面白い。

「母さんは、、、潔癖症が過ぎるけど、
   ある程度の雑菌の中で
     自然免疫付け解かないと
      感染したときには、、、重症になるかもしれないんだよ。」

「、、、解っているけど、、、老人になるとね
    coronaに感染したら、、、  
       一発勝負で、、、
          あの世行きかと思うと、、、

     後で、、手抜きを後悔したくないからね、、、。」

「やりすぎだよ、、、空気感染だけに気を付けて
     かんきせん(換気扇)だけまわしてさ、、、

      話しながら、、、熱めのお茶を飲めば、、、
        大丈夫!!」

私は主人と息子の間に、透明のビニールを垂らし、

    二人の横向きに換気扇の吸い込み口が有るように
    ソファーをセットしている。

お茶を出した後は、
私は隣の食堂から、、話しを聞きながら

  お茶が切れたら、、アクエリヤスなど、、
電解質の飲み物を追加している。

とにかく、、、主婦の私が感染しなければ、、、
        我が家は、ストップしないで動く。
    

    主婦は
     自分の力の及ぶ限り
   自分自身からの、、、

       coronaは出してはならないと、、、

   3年間、、、閉じこもりが続いているせいか、

   足腰が弱くなり、、、
      膝も、、、両手をつかないと
         力が足りなくなってきて、、、

   「牛肉のすじ」を、コトコトにて、、、
     コラーゲンをとるようにしている。

    膝の痛みが取れて、、
   少しづつ、、、回復に向かっているが、、、

   歳には勝てないと、、
    思ってしまう事がしばしばで
      まずは、、、

    歳のせいにしないで

   筋肉の地道な訓練で動かそうと、、

     

  TVやラジオ体操の時間に、
    しっかり体を動かすようにして久しくなる。

  一人の油断が、、、
    皆に感染してゆくという職場で

     コロナの3年以上の閉じ籠りは、、、
       精神的にも疲れる毎日である。

      

   洗いものは、、台所洗剤の50倍にうすめたものに
       100倍に薄めたキッチンハイターを追加して

           食事の後は
      ,一度ペーパーで拭いた食器を
          洗剤入りの洗い桶に漬けておく。

   次の食事の支度の時、

    クッキングの前奏曲といえばいいのか
          漬け置いた洗い物の洗剤を洗い流して、
              さらに、、、もう一度、微温湯で洗い仕上げて

   ざる籠に入れて自然乾燥させる。




 主人の飲む牛乳コップは漬け置きした後
 ガラスの外側を丁寧に磨き、
    空中で透かして見て
       牛乳も油脂もガラスについていないか??
      透明度を検査して、自然乾燥させる。
   
 次の食事の食器は、、、別のものを使うようにしている。

    
  お皿は、、、コレールに統一しているから
       グルメの趣味の人々からは、、、
      あきれられてしまうかもしれない。

    「焼き物の器」は全部,、
    健康な日々の為に
     陶土の微粒面は、感染源になる様な気がして
      3年間は陶器を使っている。

     深川窯の湯飲み茶わんとか
       ガラスに継ぐ、、つるつる度の高い容器にしている。
     味のある楽茶碗などは、、茶人の友に贈ってしまった。

     ダンボールに入れて,、一時、、ベンチ入りである。

洗濯は一度熱湯をかけて、、、
洗濯機の中で、除菌できるものは駆除する。

   脱いだものから、、空気に乗って滞留しないように

   洗濯機の部屋は万年換気線が廻っている。

     私は、、、何が有っても、、
       coronaに感染できない立場に居る。

それくらいの気持ちで緊張して、
雑然とした
    化石の様な調度品も、
       極力ダンボールに入れて、、、

           拭き掃除を少なくした。

緊張が続くせいか、、、

      帯状疱疹になって、、、

   ゆっくり休み,、、
     上手に休み、、、
       一回でやり終えた今までの仕事を

     半分は休みを入れてから、続きをする。

帯状疱疹だと気が付いたのが、、おそかったせいか、

片側ボデイが水泡入りの斑点だらけになったころ気が付き

    ゾビラックスは、、、手遅れだと思い
     ひたすら休み、、、余病を避けるために
       サワシリンを500ミリ飲んで、、、

   歯磨き粉に、、水泡から液が出るのを吸着させるために
   水泡と斑点の半身に、液だれを防ぐことで
    (❕! 真似は、、絶対にしてもらいたくない、、、
    野戦病院での
      父の言葉を思い出して)

   活性炭よりは衛生的に優れていて、、、
     粘膜に塗布できるような
      殺菌作用の入っている、、、歯磨きを
                     塗りました。

  こんな使い方は、、家庭内に病人が居て
     外出できない状態の、、、特効薬が手遅れの
            活火山状態の帯状疱疹に
             液だれから、、
              拡がる疾患をくい止めようと

  医師ではない、カラ、、困り果てた末、、
   応急処置にと

   帯状疱疹のウイルスが、
     周りを汚染しないように
        歯磨き粉に吸着させた次第です。

   病人を抱えていて、、外出できない状態の
     帯状疱疹は、、、参りましたね!!。


    ひたすら休みながら
      病人の看護をするのも
        訓練次第では、、TVの番組を利用できますよね。

   コマーシャルタイムに、、、洗い物をするとか、、、


  後は、、頻繁に休みながら、、、

      家庭内病人の
   おかゆモドキの、、栄養食を、、
     6時間おきに、、少量づつ
         食べてもらい、、
       自分も、食事は必ずすることを実行した。

 家庭内病人がいるというときの
   帯状疱疹は、、、
     実に、、だるくて、、、熱感が有って

    頑張る気持ちだけで、、

   何とか卒業試験の
      一か月を終わらせた気分だった。

めっきり、、愚図になった、、、が。

    休みの時間は、こうして、、、日記を書いている。



   人生の目的は、、、いろいろあった
        
    若き日が

  いつのまに過ぎてしまったのかも、、、
          思い出せないほど、、、

  家事と育児で過ぎた人生だった。
   終盤戦になって、、、
     孫が大学生なのに気付く。

   人生の敵は、、、

     「時間だったのかも知れない。」


          
   
若者に戻れたら、、、
   今しかできないことに、、、
        行動力で

      「自分をする。」

     「自分を生きようとするだろう!」

   今しかできない体力任せに、、、海にも山にもゆく。

  昔であろうと、、今であろうと、、、

   なんとなく、周りに流されて、

         自分の事は自分で片づけてもらうようにする。

          なんとなく、働いてないという主婦の弱みで

            依存性を助長させてしまうような

                品質をあげる為の

       自分の気に入る様な仕上げに動くのだけは止そうと思う。
       

    「 雑菌にも慣れてこそ、、、
       感染にも強くなるという基本との接点が難しい。」

           確かに、、、自然免疫のついた都会より
           田舎に、、、coronaの感染者が目立つというデーターは
           virusとの戦い方の、、、

       さじ加減の難しさでもあると痛感する。
          

   若き日に、、、自分を見つけておけば、、、

   78歳になって、、
       日記を書いている人生ではなかったかもしれないね、、、
   戦後のドサクサ時代に、、、青春時代が重なった。

    日記の本人の婆ちゃんは

    8人家族のはずの兄弟姉妹が

      第二次世界大戦中に
       戦地の近くの病院勤務だった父のもとに
        家族もついて行ったため,かもしれないが、、、

            兄2人、、姉一人、、戦地で死んでいる。

       生き残った兄二人、、、

       そして、、、最後の連絡船に母の父上にあたる私の爺ちゃんが
      戦地まで「娘親子を迎えに来てくれなかったら、、、、」

      最後の連絡船に間に合わなかっただろう,、ね!
      疎開先は母の故郷、、、和歌山県、、、熊野の山奥!!

      疎開先で、、戦後の復活を果たして

          「団塊の世代の!!」

      「弟が、、生れて、、、」戦後の坂道を駆け抜けた。

      七か村、、無医村の里で、父は唯一の医師だった。
      一粒の米も、、、無く、、着のみ着のまま

      13年間の疎開になったのは
         ダムの工事が始まり

       怪我人、、、事故死、、、忙しい日々の中

       ダム工事が終った時を区切りに

      生まれ故郷の東京に

        次世代の子供たちには「教育」を、、、と

      戦争で、全てを失くして気が付いたのは

        「教育は、失う事は無く、、、仕事に就くことで、増えてくる。」

       息子達には教育を!!、、、そう考えたのだと思います。

        戦争で、着の身着のまま、、、疎開地でも必要とされ

        戦後の復活に向けて動けたのは、、、考えてみると

        運の良さ、、、お金を儲けられる、、、教育と技術
        そして健康さえあれば、、、人は生きられる!!

      生きるために、、、アメリカに追いつき、、
      12歳と言われた日本人!
、、マッカーサーの言葉に
       日本中は、、教育に猛進した。

       戦後の貧しさも、、、知識欲に満たされて

        教育ママや、、東大こそ、、、目的、、というような

短絡した価値の中で、、、

       アメリカの「野球が、、、両国をつなぎとめていった気がする。」

       教育時代とともに、、、もみくちゃになりながら

       日本は野球が大衆の人気をさらい
         長嶋さん、、、王さん、、、村山さん、、、
           天覧試合、、、国際野球試合

        後楽園で、ボンズ選手を観た時

        日米は、、、もう、、兄弟に思えた。

        野球が果たした戦後の復活は
           測り知れないものがあると思った。

         現在の「大谷選手」も
         日米に橋を架けている様な、、、
         世界中も、、、多くのスポーツで

         人間の心の感動も、、共有でき☜

         いつの日か、、、戦争や、、支配や、、、君臨する事よりも

           世界が兄弟になってゆけばいいですね。

         無償のエネルギーをくれる、、地球と大気と、、太陽を

         瀬化愛中で大切にして、、、

         ロシヤは、、世界の穀物を爆破してしまっているのだと気がついたら
    
         戦争は止めてほしい、、、

       何が何だかわからない人生がすっ飛んだ!!

        毎日、、、一生懸命!!、、、生きるために生きた日々だった。

              

       若者よ、、、若さは過ぎるのが早い!!


            全開の感性で、、、

              若さに気が付き!!

         

       思いっきり自分をためし、、
         挫折しても、、くじけないで

         自分を育ててほしい。

                
          

          まして、、先ごろの新聞の様に
            若き女性が、、、

           自分の命を、、、

        自分だけのものと勘違いして

          私物化した命の処理を
          ネットなどで知り合った、、、人に

          命を任せるなんて、、、

          coronaがさせた、、、孤独、、、うつ病?

         精神のエネルギーが切れた若者を

             どうしたら、、、助かる道に
         
         気付かせられるのだろうね?

               

         昭和の戦中に生きて、、戦後を生きた私らは

         川に行って、、、タオルで「小魚をすくって」

           タオルを持ちあった友と

           78になっても、、、電話がかかってくる。

        山に登って、、、ヤマモモや、、桑の実で

         口が真っ青に染まっていたものだった。

          箱眼鏡を創って、、、
          蝋燭を垂らして、、、防水して

         網で、、川魚をとってきては

             魚を河原で、、枝を集めて焼いて食べた者だった。

         魚が、、川の中の石の下に入るのを見届けると、

           思いっきり、、大きな石を、、
              魚のもぐりこんだ石の上からに落として

          「魚を気絶させて、、、捕ったりもした。」

         食べる物さえなかった時代を

         友だちと一緒に生き延びた。

         映像のSNSや、、、スマホの写真で
           「知り合ったつもりの知人」ではなくて。。。

        タオルは、、、友と隅を持ちあってこそ

         大きな魚や,、、大きな川のエビが獲れた。

        友人=戦友、、、大切な、、お互いだった!!


      「 死ぬまで一生懸命生きるのが、、、人間の道」だと

        理屈抜きに思っている。

      お金が無くなったら、、、
         若者を受け入れている

              「過疎地」では

      一緒に生きる若者に、、
           生きる技術も、、作物の育て方も

        あらゆる技術は、、、
       年寄りが
     惜しみなく与えて、、、

        「村おこしをしているところがあるはずです。」

      死に急ぐには、、、
      あまりにも、、、もったいない年齢であると思うのです。

      与えられることに馴れないで、、、
      役に立つ自分に気が付いて、、、

     猿や鳥や、、魚だって、、生きてゆくんだから、、、

       coronaの孤独は,、、気持ちの持ちようで、、、

       全く違う人生の生き方に、、出逢うかもしれません。

           とんでもない解決で、、命を軽視するような

                日本から、、アウトローが居なくなることを信じている。

        

     無人島だって、、過疎の村だって、、、

    空き家だらけだ、、、!!

       明日がワカラナイ年齢になった婆ちゃんだって

       「売ります、、孤島」のサーフィンをしながら

        漁師さんたちに。面倒架けるかもしれない,、
          緊急時、船の出動金を受け取っていただいてから、
           島全体の町内会費も受け取っていただき

          党民権の様な???居住の紹介をしていただき
          孤島に近くなった水道電気のある島に

          自分の植物園などつくって、
         「原種植物園」謎つくりたかったのだけれど、、、

            人生は、、優先順位が、、、
        社会性の必要事項が占めているため

        日本緒女性は、、、ほとんどが、、、都合の良い母ちゃんですね、、、

       昭和の女性は、、、男尊女卑の世界に、、、必死で生きた。
       

       
       鳥だって、、、遠い国から旅をしながら、、
         自分でえさを取り
           自分で生きてゆくよ、、、!!

      スマホで、、、頭の中で納得していないで、、、

          過疎の村の近代的な技術の村にすることだって
             パソコンとITの社会に成れば

           若者よ!身体を鍛えて、、

               アイディア、仲間、、

            「健康な相棒づくり!」

          今こそ、、パソコンの時代は、、会社が無くても

          地方で大成功の仕事を、、、、つくれる!!!

       サラリーマン、、、だけが人生じゃないよね。

       学歴だけが人生じゃないでしょう、、、

     婆は、、運よく学歴は得たが
         日本は男社会ですから、

          子供を育てる事を選んで

          家事育児、、庭の維持、、剪定、、雪囲い
         雪掻き、、、除雪、、屋根の雪降しと買い物、、etc.

        洗濯は毎日、、、片づけ、、掃除
         ふとん干し、、、

         労働一本の人生が廻って来たよ。

                 

        こんなはずではなかったという

         大病にも遭い、、、配偶者も、、大病をして、、

         万事休す、、、思ったとき、、、

          

        生きていたのですよ、、、
         いつの間にか、、、歳はとっていましたが、、、!!

        78歳の婆ちゃんが、、、ネットサーフィンで

          取り返しのつかない若き日の夢を見乍ら、、、

               
           

           御木本幸吉が真珠を日本の宝石にもまして

           世界の憧れの位置にまで持って行った、、、、

                  真珠の養殖を

          今更ながら、、、素晴らしいと思う!!

     「真珠の貝は,、、ひとり、、、泣く
         ヒトこそ、、、知らね、、、大海で
           真珠の貝は、、、ひとり泣く、、、」

        体内に入れられた異物を
        自らの体液で、、、痛くなくなるまで、、、

         来る日も、、来る日も、、異物を巻いた、、、」

         そして、、あのような見事な、、、珠にした!!

       昭和の教えは、、、自らの命を、、人にゆだねるような、、、

          何処から見ても、、、
           何処から考えても、、、
             まちがっているような、、、

           自分の命は自分だけのものではないからこそ!!
           助け合って社会は、、有り続けようとしているのに、、、

           放棄するのが、、、早すぎます。

         伊勢の島は、、、もし、、私が若かったら、、、

             もう一度、、、真珠以外でも

            養殖で、稀有なる海のものを育ててみたいなどと

          日本の無数にある無人島を、サーフィンしています。

           日本人が、、真珠を育てることに、、人生をかけたように

           さかな牧場だって、、、つくれば面白い結果が出るかもしれない。

          死ぬことを考える前の、、手順が違うダロウ!!!

            悔しいよ~~~きっと、、

              苦労して産んで育てた、、母親は

                きっと悔しいよ~~~

              天を見つめて、、泣いているよ、、、



         日本のルーツは、、漁師だったのかもしれませんよね。

          海の底には、、、別の世界が有るかもしれない、、、

        困ったら、、人類の原点を考えて、、、

         過疎の村の老人の孤独に灯りをともせば

           若き自分んは、、、一隅を照らせる、、、と気がつけば

             死んでる場合ではないでしょう!!

            プーチンさんは、、過去の過去の
        ピョートル大帝時代の独裁者に成ろうとすると

         人を大量に殺してしまう。

         一隅を照らす、、若きエネルギーを
          過疎の村の活性に向ければ、、、

         ITもあり、、パソコンもある時代には

         都会でお金のかかる人生よりも
         若き時代に、、地球を知ってからでも、、

          恵み、、のおかげで、、、

         婆ちゃんは、、戦後を生き抜いたんだよ。

           19歳で父を亡くした後も、、、

          大自然の おかげで、、、雪を掻きながら
         仕事をしながら、、、

         必要とされているうちに、、

         気がついたら、、、78まで、、、

        大きな力、、、見えない力、、、

             日本という国が

        生きても良いような、、役割に、、据えてくれたように

        掃除洗濯、、飯炊き、、雪掻き、、買い物、、だけでも

        私の変わりが居ない環境に、私を運んだんだね、、、。

          生きているという事は

          「大河の一滴」だから、、、

          流されているうちに、、、

         生きれる所に、、、運ばれてゆくことだってあるんだ。

           

        しっかりと、、今日を、、まじめに、、

         生きてゆけば、、何とかなるのが、、、

           戦後だったよ、、、

         

        若さだけでも、、眩しい、、財産だと思うよ、、、

           ゆっくり、、頑張ることだよ、、、

           急が無いことだよ、、、

            婆ちゃんは、、、じゃが芋、、

           まとめて箱買いしたよ、、、

          戦後、、そうやって生き延びた子供時代が

           老後の知恵かも知れないし、、、

             「蟷螂の斧」かもしれないが、、、

            こんな年寄りになっても、、、

          自分で死ぬなんて、、、

              考えるのは、、、周りの皆を、、
          拒否したことになるよ

            生きて生きて、、、
           神が、、死んでもいいと言ったら、、、

           「ありがとう、、皆、、」
             誰も周りに居なくても

            車を運転する道路を作った人にも、、、
               ありがとう、、と言って、、人生を

               終わりたいと思っていますよ。

              

            

    
        若くなくっちゃできないことを、、やってみて、、、
         coronaで

          道を見失うなんて、、、

           「 一つ目小僧の若者になるのは止そう!!」

              若さは、、無限の可能性が有る!!

             信州の過疎地で、、、
          トンボの目玉で、、、
          朝鮮ニンジンつくっている人だって
              戦後の日本を支えてきた。

             見事な干し柿をつくりたい!

             美味しいワインをつくりたい、、、

            会社の様に時代とともに、、、

               経済に動かされない、、、、

               自分の掌で、、、
              何かをつかみたかった!!
                

             過疎地こそ、、、宝島かもしれない。


                     

           昭和を生きた、
            、頑固な婆ちゃんも、、、
                爺ちゃんも居なくなり

              村を、若者の夢で満たせたら

                正平さんの自転車の行く先々には

                若者の、仕事着が、、、イカシテいる笑顔で

            正平爺ちゃん、、、

             自分のオリジナルゾーンに
               立ち寄ってくれ!!、、、

               正平さんも若返るかもしれないね!!

                

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