平成23年(2011年)10月21日(金) 台湾旅行3日目の朝、昨夜から宿泊していた台湾南部の中心都市 「高雄」 市内にある京城ホテルを、朝食を終えた午前8:00分に出発する。
今日も空は晴れ渡り、朝の柔らかい太陽が輝いている。
我々を乗せた専用バスが、高層ビルに囲まれた高雄市の中心部に入って行く。
朝の職場などへ急ぐ、バイクなどに乗った人達が、信号待ちしたり、私たちが乗ったバスの前を通り過ぎて行く。
バイクは、台湾のどの街に行っても、老若男女を問わず、生活の必需品のようで、移動する足として活躍している様子がうかがえる。
通勤の手段として、市民の足として活躍するバイク、車窓からの朝の高雄市内の風景
静寂な雰囲気が漂う朝の高雄市内、この地域の周辺は公園などの緑も多く、街はよく整備されている(車窓から)
高雄市内にある野球場、入口の前にある赤いモニュメントが面白い。
高雄市内のホテルを出発して、近くにある民芸品店へ案内される。 約40分間程の買い物を楽しむ。
民芸品店で、特に興味があったのは台湾のお茶である。
特に ”花粉症に効果” などで日本のTVで紹介された凍頂烏龍茶や、プアール茶、阿里山高山茶などである。
私はここで小さな缶入りの阿里山高山茶と凍頂烏龍茶を購入する。
ショッピングを楽しんだ後、私たちを乗せた専用バスは、台湾南部へ走行して行く。
北回帰線を通過し、気候も亜熱帯気候地域から熱帯気候地域へ入って行く。
車窓からの風景もそのせいか、シュローなどの南方系の背が高く、葉の長い樹木が多くなっているように感じる。
専用バスが大きな河に架かった橋を渡ると、所々に溜め池のような池が周囲全域に渡って広がっている光景が目に入ってくる。
流暢な日本語を話すガイドのりんさんの案内が続いている。
それによると、この辺り一帯は、魚やアヒルの養殖場が多く、日本などの外国に輸出されているようである。
高雄市内から南下して行くと、このような養殖場の多い風景に変わってくる。
この風景に私は驚かされる。 日本の浜松などの養殖場と比較して、規模の大きさや、養殖場が点在する地域の広大さに驚かされる。
養殖場に白いものが浮かんで見え、最初、何かなー!・・・ と思ったところ、リンさんの説明で、アヒルの養殖場であることが分かった。
車窓からの養殖場などのある風景をしばらく楽しんでいると、専用バスは台湾南部方面へ走行して行く。
長閑な平野部のふうけいから、山が近づき、海岸線沿いの風景に変わってくる。
台湾南部へ向かって私たちを乗せた専用バスは南下を続けて行く。 山が近づき風光明媚な海岸線の景色に変わってくる。
車窓からの海岸線の景色をしばらく眺めていると、ご覧の写真のような、竜の落とし子のモニュメントが目に入ってくる。
縁起をかつぐ台湾の人達の、竜への思いが伝わってきそうである。
海岸線の美しい景色を車窓から楽しんでいると、小さな街に入り、ガイドから 「ここで15分程休憩致します」 との案内が流れてくる。
高雄を出発して台湾南部へ走行、最初の休憩所に立寄る。 ここでは南国らしい果物が人気で、多くの方が買い求め、その場で試食している光景が見られた。
バス休憩所で売られていた 「マンゴとパインナップルのフルーツ」 新鮮で冷たくて美味しい果物であった。
休憩を終えた後、私たちを乗せた専用バスは、海岸線の道路から一変し、山岳道路へと入って行く。
熱帯の豊かな緑の生い茂る山岳の中に造られた、曲がりくねった道路を、どんどん高度を上げながら走行して行く。
車窓からは幾重にも重なる山稜の峰々が、山岳独特の風景をかもしだし、私たちの目を楽しませてくれる。
車窓の真近な山稜には、緑の大きな葉を持つ枝が伸び、葉が重なり合って熱帯らしい風景を見せている。
しばらく走行していると今度は、下り坂になり、曲がりくねったカーブを高度を下げながら走行して行く。
車窓からは、幾重にも重なる山稜の向こう側に、うっすらと青い海が見えている。 太平洋である。
やがて、専用バスは山岳道路から、平坦の海岸線の道路に入り、台東市方面に向かって北上して行く。
走行している車窓からは、一風変わった小舟が浮かんでいる、小さな港が見えてくる。
丸太をつなぎ合わせ、弓型に沿ったような形をした小舟で、カラフルな色彩の塗装を施している。
エンジンは、ついているようであるが、この小舟は何のために使うのか! よく分からない。
外洋の太平洋に出れば、大波を受け、すぐに沈んでしまいそう思えてならないが・・・・
小さな港を過ぎると、今度は大海原の太平洋が現れてくる。 突堤には太平洋の白い波が荒々しく打ち寄せている。
突堤近くの波打ちぎわの海水は、なぜか黒く濁っている。
海岸線に沿った国道をしばらく走行していると、専用バスは休憩のために海岸線に出来た美しい公園に立ち寄る。
海岸にそって出来た風光明媚な公園。 弓型の浜辺には、白い波が打ち寄せ、海岸線の美しい景観を醸し出している。
左側は山が海岸まで迫りこみ、 右側は幾重にも重なる半島が海に飛び出し、うっすらと霞んで見えている。
公園内では、専用バスから降りてきた人たちが、太平洋をバックに記念写真を撮りながらはしゃいでいる。
中国の人か台湾の人か分からないが、台湾南東部の観光を楽しんでいる人達のようである。
休憩を終えた後、しばらく走行していると、荒涼とした河川が見え、所々にクレーンなどの重機が見えてくる。
ガイドのりんさんの説明によると、この地域は、過去、度々水害に見舞われている。
数年前の大雨による大水害で、この地域の開拓をしていたが、土石流に襲われて崩壊し、死者も多数出る程の大水害であった。
大雨による大災害で荒涼とした地域に、新しい堤防を築き、復旧を急ぐ工事現場。 台湾も日本と同じように地震や台風などの水害が多いとのことだった。
災害現場を過ぎて走行していると、道路の脇に咲いている美しい花。 大きな樹木に鮮やかな赤紫の花をつけている。
時間も正午を過ぎ、私達を乗せたバスは、台湾南東部の都市「台東市」方面に向かっている。
道路は海岸線に沿って作られているが、所々で山が迫り、道路は、山稜に沿って造られ、曲がりくねったカーブがあり、高低差がある。
カーブの多い高台の道路から眺望した太平洋の景観、弓型の美しい浜辺に、白波が押し寄せ、南国の樹木と共に情緒を高めている。
山間部から平野部に入ってくると、広々とした田園風景に変わり、眼前の農地では稲作がおこなわれている。
田園の中に出来た道路をしばらく走行すると、専用バスは、台東市街に入って行く。
道路は綺麗に整備され、道路脇の街路樹は、赤い葉をつけ、美しい街並みをつくりだしている。
この後、近くのレストランで、台東地方料理での昼食が予定されている。
台湾東南部の都市、台東市街の街路樹、赤い葉をつけ、美しい街並みを形成している。
台東市は人口11万人の台湾東南部の最大都市である。
徒歩で1時間もあれば、めぼしい所が見られ、20分ほどで海に出られる南国情緒豊かな、静かな街である。
青い海とヤシの並木道や、熱帯植物が生い茂る台東市は、別名フルーツ天国といわれ、フルーツの栽培が盛んで、その美味しさは格別といわれている。
台東市内のレストランで昼食を終えた後、海岸線沿いの道路に戻り、今日の宿泊地である花蓮方面に向かって行く。
台東市街の道路脇には、いたるところに、フルーツを販売する露店が並んでいる。
私たちを乗せたバスも、フルーツを販売する露天前にとめてくれる。
私は、台湾に来るまで、この果物は全く知らなかった。
ガイドのリンさんが、果物の王様 「釈迦」、味も甘くて美味しく台湾の代表的な果物であると紹介された。
この果物は通常は釈迦頭(バンレイシ)と呼ばれている果物で、台湾では、大東市や花蓮の近辺で栽培され、名産品になっている。
早速、買って食べてみると、表面の凹凸は、うろこのように一枚ずつ剝れ、そこに果肉が付着している。
果肉は白いシャーベットやクリーム状で、黒い種が入っている。 味は非常に甘みが強く、ジャリジャリした食感があって、美味しさも抜群であった。
果物の王様 「釈迦頭」 あまりの美味しさに、ホテルに帰ってからも食べようと5~6個購入する。
ただ、この果物は熟すと短期間に食べないと崩れやすい。
その為、長期の保存には向かないことから、日本にはほとんど輸出されてないようである。
釈迦頭の試食に満足した後、私たちを乗せた専用バスは、再び海岸線の道路を、花蓮方面に向かって走行して行く。
車窓から・・・ヤシ並木の向こう側には、美しい浜辺の風景が見え、私たちを楽しませてくれる。
さらに走行していると、このような波とサーフィンを現したモニメントが見えてくる。
この近辺の海岸がサーフィンに適した波があり、マリンスポーツなどのメッカであるようである。
海岸沿いの道路からは美しい海岸の光景が続いている。 青い10月の空と、太平洋の青い海、海岸に打ち寄せる白い波、何度見ていても飽きることのない光景である。
しばらく走行した後、休憩のために公園のある駐車場に立ち寄る。 前回休憩した公園よりも一回り大きい公園でよく整備されている。
公園内からは、太平洋の美しい海岸と、赤や黄色の葉をつけた熱帯の植物が植えられ、私たちの目を楽しませてくれる。
今日は一日中、バスに乗っているせいか、少し歩きたくなってくる。
休憩時間という限られた時間内で、公園内を駆け足で散策してみることにした。
海岸沿いの遊歩道を左回りに散策すると、写真のような、長く伸びた奇岩が飛び出し、右に太平洋、左に小さな湾を形成している光景が目に入ってくる。
この光景が見られただけでも、散策に来てよかったと思った。 散策を終えると、すぐに駐車場に戻って行く。 戻ると、少し時間の余裕があり、ホットする。
休憩を終え、バスは再び海岸線に沿った道路を北上して行く。
車内では、台湾の人気アイドル歌手 「テレサテン」 のビデオと、日本で大ヒットした曲がながされてくる。
ガイドのリンさんが 「テレサテン」 について細かい説明のアナウンスも流れてくる。
テレサテンは1953年台湾雲林県で生まれた外省人で、父親は元国民党軍で職業軍人であった。
彼女自身生前軍隊への慰問活動を熱心に行っていたことから 「軍人の恋人」 というニックネームが台湾では有名であった。
テレサテンは外国語にも堪能で、母国語の他に、英語、日本語、フランス語、マレー語などの言葉も話せたといわれる。
彼女のアルバムには、日本の演歌やムード歌謡以外に、台湾民謡や英語のポップスなど幅広い歌を歌っている。
日本では 「日本のお父さん」 と呼ばれる 「舟木稔」 との出会いがきっかけで、日本でも大活躍する。
1973年の2作目に出した 「空港」 が大ヒットし、日本レコード大賞新人賞を獲得するが、 この後、偽造パスポートで来日しょうする大事件が発覚し、国外退去処分を受ける。
1984年、日本の音楽ファンの強い要望があって、再来日が許可され、歌手活動を開始したところ、
「つぐない」 「愛人」 が、それぞれ150万枚売れる大ヒット、それに 「時の流れに身をませ」 も200万枚を売る大ヒット曲となった。
日本有線大賞などの数々の賞や、グランプリも数年に渡って獲得している。
台湾が生んだ国民的な人気アイドル 「テレサテン」
テレサテンは1987年住居を香港に移すと、日本以外の歌手活動は、ほとんど休止するようになった。
その後はパリに移住、中国の天安門事件に対する反対集会に参加し、亡命活動家とも、交流を持つようになった。
日本での公演は、1994年 NHK 「歌謡チャリテイーコンサート」(仙台市) が最後であった。
1995年5月8日 静養のために、度々訪れていたタイ・チエンマイのホテルで、気管支喘息による発作のために死去する。 42歳の若さだった。
富と名声のある国民的アイドルの孤独な生活での死であった。
5月28日には台湾の台北市で国葬が執り行われ、世界各国から三万人ものフアンが詰めかけて彼女の死を惜しんだ。
遺体は火葬されず、防腐加工が施されて土葬され、没後50年は生前の姿であり続ける。
このような形で眠っているのは、台湾では 蒋介石、将経国、テレサテンの3人である。
墓地は台北市の北東に位置する金山郷の金宝山にあり、小さな公園のように整備されている。
墓前には銅像があり、彼女の歌声が絶間なく流されている。
テレサテンの歌声とリンさんの案内を聞いていると、専用バスは北回帰線標塔の駐車場に到着する。
目の前には真っ白な美しい塔がそびえ建っている。
北回帰線とは、夏至にちょうど太陽が真上を通る線で、北緯23度26分を現している。
公園のようによく整備された北回帰線標塔(花蓮県静浦)、前には太平洋、左側(東)や右側(西)には長閑な田園風景が広がっている。
北側から望む北回帰線標塔、太陽は左から登り、正午には塔の上にある円球上に達し影がなくなる、午後から右側に達して沈んで行く。
標塔の東西部分は、このような溝があり空洞になっている。 夏至の日の6月22日には、この空洞の部分から、日の出と夕陽が見られ、正午には太陽が真上に達する。
気候的には標塔の空洞部分より、右側が熱帯気候、左側が亜熱帯気候である。
標塔をバックに記念の写真、夏至の日には、塔の空洞の部分を、日の出から夕陽が沈むまで通過する。
回帰線標塔の内部から見上げる。 夏至の日の正午には、この真上に太陽が達する。 太陽は左側から昇り、右側に沈む。
30分ほど北回帰線標塔や記念撮影などを楽しんだ後、バスに戻り花蓮方面に向かって出発して行く。
道路は相変わらず海岸沿いの道路で、小さな港や海沿いの公園などがあり、その向こうには太平洋の海原が広がっている。
車窓からの小さな港と、その向こう側には、幾重にも重なる山が海岸まで迫り、太平洋の荒々しい波が打ち寄せている。
私たちを乗せたバスは、この近辺から海岸沿いの道路から、曲がりくねった山岳道路に変わり、山沿いの道を高度を上げながら走行して行く。
険しい山や谷が連続して続き、断崖絶壁と岩壁の間には、深い谷を形成して、亜熱帯の気候の緑と共に美しい山岳風景を見せている。
曲がりくねった険しい断崖絶壁の合間に広がる車窓からの風景
太陽は西に傾き、たそがれ時のような時間帯に入ってきている。
先ほどまでは、車窓からの光景も、遠くまではっきりと見えていたが、今は霞んで見えている。
この山岳道路は海沿いに近く、高台には太平洋が眺望できるカーブがあり、高度を下げながらゆっくりと走行して行く。
山岳道路を下がりきると、今度は大きな川沿いの道路があり、上流側に向かって走行して行く。
川向うには大きな建物が林立する街並みが見えている。
やがて、大きな橋が見え、私達を乗せたバスも、右に曲がり、大橋を走行して、この地域の中心都市 「花蓮」 方面に向かって行く。
この大橋を渡ると、この地域の中心都市 「花蓮」 で今日の宿泊地である。
ガイドのリンさんから、まもなく台湾の少数民族アミ族の民族舞踊を紹介する、阿美文化村に到着する旨のアナウンスが流れてくる。
今回のツアー旅行では、「原住民アミ族の舞踊鑑賞」 として、オプションで企画されていた(3500円/一人)。 私たちもどんな舞踊なのか興味があって申し込んでいた。
この場所の阿美文化村は、中心都市の花蓮駅からタクシーで20分ほどの場所にある。
入口にはアミ族の勇者の石像が立ち、通り過ぎて行くと、多角形の形をした舞踊場がある。
所定の席に着くと、すぐにアミ族の男女が民族衣装に身を包んで現れ、民族舞踊がはじまった。
舞踊場の中央に当たる正面には、祭壇のようなものがあり、木で造られた像が、下半身に赤い布をまとい、手には大きなラケットのようなものと、左肩上には、角のある鹿が顔を出して立っている。
像の前には、アミ族女性の小さな像も置かれ、その両脇には、民族衣装をまとった若い男女が立っている。
最初、祭礼に対して儀式らしきものが行われ、その後に、アミ族の伝統的な踊りがはじまった。
20人位の男女が手をつなぎ、一列になったり、輪をつくりながら回転するように勇ましく踊っている。
アミ族のカラフルな民族衣装をまとった女性たちの伝統的な踊り、大人数の若者たちの踊りは、民族的でなかなかの迫力がある。
床に二つの棒を左右の男性が持ち、開いたり閉じたり、中央の二人の女性が音楽に合わせ、棒に挟まれない様に上手に踊る。
四人の女性が左右に交差するように棒を持ち、音楽に合わせながら開閉を繰り返し、その上を男性が、棒に挟まれない様に勇ましく踊る。
お祭りの儀式のような民族踊り、男は女性に対して、力自慢をするように、上半身を見せている。 婿選びか! 嫁選びか!わからない。
花嫁と花婿が中央に座り、赤い服を着た女性が口から赤いしぶきを吹き出している。 これは魔除けのシーンか!
最後は観客が飛び入りで参加し、盛り上がりを見せてくれる場面もあった。 大勢の観客とアミ族の人達が手をつなぎ一緒に踊るフィナーレの場面で、その後にアミ族による伝統舞踊は幕を閉じた。
台湾の少数民族であるアミ族、年々このよう民族の伝統的な踊りが、近代化された踊りなどに人気を奪われ、消えていっている昨今。
このような大人数の人達が伝統的な衣装や踊りを披露してくれることに驚きを感じる。
これからもさらに舞踊の芸を高めていて頂いて、新たな伝統を築いていってほしいと思う。
約1時間のショーも終わり 舞踊場から出ると土産屋があり、アミ族の伝統手芸品や珍しいものが売られている。
バスに戻ると、15分歩程で花蓮市内にあるホテルに到着し、午後7時過ぎから夕食が始まった。
このツアーには日本の各地から参加している人が多い。
総勢36名のツアーであるが、関西は勿論のこと、仙台市や、四国宇和島から来ている夫婦の人などもいる。
10人位の丸テーブルに並んで中華料理の夕食を摂っていると、何かと話題が出て話がはずんでくる。
夕食後もホテル前にあるスターバックスの喫茶店で、京都から来たご夫婦と同席する機会があって、楽しいひと時を過ごすことができた。
私の気ままな旅の楽しさの一つに、旅先での偶然の出会いがある。
ツアー旅行では、何日間か行動を共にしていると、自然と親しみが湧いてくる。
食事などで同席する人達と、接して会話を交わすことも楽しみのひとつである。
特に夕食は、少しお酒が入り、舌が滑らかになると余計に話がはずみ、楽しい雰囲気に変わってくる。
今日は高雄から花蓮までの370kmの走行距離であった。
今回、掲載している写真のほとんどは、バスの車窓からのもので、ガラス越しに写しているとガラスに反射したり、見にくい写真などもあって、お許しを頂きたいと思います。
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