
奈良街道まちづくり研究会では、従来から、若草中学校下の元市営住宅があった所から、佐保川に至る一帯の多門城復元計画がありましたが、計画がなかなか進みませんでしたが、やっと、具体的な計画づくりの会議が初めて出来ました。
奈良街道まちづくり研究会では、県庁から、北は奈良阪、西は、やすらぎの道から東側一帯と「きたまち」[喜多まち」としてまちおこしを行っています。

定例イベントとしては、2月11日のお水取り用の「竹送り』や、8月の若草中学校の階段での「幻燈会』などのイベントを行いながら、地域の人との交流をしてきました。目的は、若草中学校が、もと、戦国時代の多門城の跡地という事で、2010年が、築城450年に当ることから、織田信長の一夜城でもよいから、復元してまちおこしにならないかと初めて6~7年が経過しました。
その計画の中に奈良八景にうたわれた、[佐保川の桜』は京街道を超えてきた旅人が、奈良に入って初めて目にした佐保川の桜とは、今在家の佐保川の桜ではなかったのかという事で、桜の遊歩道を造ろうという計画です。
今は、奈良女子大学やならまちセンターや奈良デザインセンターの人たちも関わっていただけるようになって来ました。また、住民のみなさんにも私達のまち研が、認識、評価されて協力をいただけるようになってきました。
さぁ~~~ これからが、住人もための住民中心のまちおこしが出来るか楽しみになってきました。みなさんのお力もお借りしたいと思いますので宜しくお願いします。
奈良街道まちづくり研究会では、県庁から、北は奈良阪、西は、やすらぎの道から東側一帯と「きたまち」[喜多まち」としてまちおこしを行っています。


定例イベントとしては、2月11日のお水取り用の「竹送り』や、8月の若草中学校の階段での「幻燈会』などのイベントを行いながら、地域の人との交流をしてきました。目的は、若草中学校が、もと、戦国時代の多門城の跡地という事で、2010年が、築城450年に当ることから、織田信長の一夜城でもよいから、復元してまちおこしにならないかと初めて6~7年が経過しました。
その計画の中に奈良八景にうたわれた、[佐保川の桜』は京街道を超えてきた旅人が、奈良に入って初めて目にした佐保川の桜とは、今在家の佐保川の桜ではなかったのかという事で、桜の遊歩道を造ろうという計画です。
今は、奈良女子大学やならまちセンターや奈良デザインセンターの人たちも関わっていただけるようになって来ました。また、住民のみなさんにも私達のまち研が、認識、評価されて協力をいただけるようになってきました。
さぁ~~~ これからが、住人もための住民中心のまちおこしが出来るか楽しみになってきました。みなさんのお力もお借りしたいと思いますので宜しくお願いします。
ラッキーにも討って、天下布武の一生をスタートした
この年、京、大和、堺を自分の支配下において、畿内に勢力を張っていたのがこのわし。松永弾正久秀なのじゃ。
永禄三年から数えて450年にちょうどあたる年が2010年に奇しくもあたるのじゃ。
奈良街道まちづくり研究会は足掛け7年さまざまなイベントや講演会や、川掃除やをやってきて、ようやく
きたまち大好きサポーターが徐々にふえてきているのじゃ。
「佐保川の桜」が南都八景の一つというのはまちがい。「佐保川の蛍」が正解です。
今年は夏のイベント幻燈会も藤原市長がみにきてくれたのじゃ。機運はもりあがっておる。
詳しいことを知りたい人はこのブログに投稿するか、
私、松永までなんか書いておくってね。