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平成18年度 「子ども安全の日の集い』が、100年会館で行われました。2年前の11月17日富雄北小学校の「有山 楓」ちゃん殺害事件から2年が経過をしましたが、奈良市では17日を「子ども安全の日」と定めさまざまな取組を行ってきましたが、今日はその2年目の日という事で事件を風化させないために、それぞれが心を新たに子どもの安全を確認し合うという事で開催されました。
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席上、最初に参加者が黙祷を行ったあと、藤原市長より事件以降2年が経過したが、子どもの命を傷つける事件が後を絶たなかったり、子どもの自殺という不幸な事件が多発している事に遺憾の意を表明するとともに、その原因について、自らの信念を述べられました。
こうした一連の事件が発生する要因に地域コミュニティーの崩壊があり、地域の人たちがもう一度地域コミュニティーの再生を図っていく事によって、子育ての問題や、高齢者問題や、子どもの命を守っていく事が出来る。犯罪を防止する意味で、子どもの通学路以外でも人の見守る目が大切である。青色パトロールの活動も活発に行われるようになっているが、地域で子どもをしっかり見守る体制を皆さんの協力のもとしっかりまちづくりを行っていきたいとの主旨の挨拶がありました。
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来賓として、市議会議長や、奈良警察署 署長より挨拶がありましたが、警察署長より、具体的な取組として、誘拐事件や、子どもが不安がるような情報提供できるシステムを作りを公開している。
「不審者情報配信システム なら子どもサポートネット」 http://supportnet.naracity.ed.jp
また、子どもへの性犯罪者が刑期を終えて出所してくる情報を得て再発防止を図っている。そして他市に先がけて「青色パトロール」の団体を立ち上げ、奈良市では、38団体1113名が登録をして活動を展開していただいています。と紹介があり、そして今後、奈良市地域安全サポーター制度の導入を図っていきたい。内容は、防犯教室を開催して防犯意識を高めていくことを目的に計画しているので各地域では積極的に活用(申込)をお願いしたい。との挨拶がありました。
また席上、有山 楓ちゃんのご両親より、次のようなコメントが寄せられ紹介がありました。
事件から2年という月日が経ちました。私たち家族に取ってはまだあの日から時計が止まったままのような日々で、なぜ楓が被害に遭わなければならなかったのか、なぜ楓を守ってやれなかったのかという想いでいます。大切な楓の命、そして家族の輪を一瞬に奪われ、砕かれた悲しみ・無念・辛さは決して誰にもしてほしくありません。
先月、我が家に楓のランドセルや携帯など、あの日楓が身につけていたものが戻ってきました。しかし、一番戻ってきてほしかった楓の姿はどこにもありませ。ランドセルを背負って元気に学校から帰ってくるはずだった楓の姿がありません。下の娘も『かえちゃん帰ってきたらビックリするね。早く帰ってこないかな』と楓と会えない寂しさの中、毎日を過ごしています。
私たち家族に取ってはもう2年ではなく、たった2年しか経っていません。しかし、時間は刻々と進んでいきます。どんなに辛く悲しくとも、前に進んでいかなければなりません。
この辛く悲しい想いを誰もしないためにも、子どもたちを温かく見守っていくことが必要です。大人たちの温かい目で見守っていく事により、犯罪の起きない、犯罪を生まない社会になればと思います。
もう二度と私たちのような悲しい想いをすることがないことを心より願っています。
有山 茂樹
江利
とのコメントの紹介がありましたが、ご両親の希望としてこの想いを皆さんに伝えていただきたいとの話が伝えられましたので全文を紹介しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/fe/9fb4da3ffe67c123bb95c61db9faec06.jpg)
その後、子どもの安全のために積極的に活動をしていただいているグループに感謝状の授与がありました。
受賞されたのは、「都跡・富雄北・田原・富雄第3・大安寺西・佐保川)小学校区でした。
子どもに関する事件が後を絶ちませんが、最近は特に、子どものいじめによる自殺の問題が多発しています。
先日、日曜日の「たけし』の番組で中学生ぐらいの子どもたちに、いじめについて聞くという番組がありました。
その中で、子どもたちが、「いじめたことのある人」との質問にほとんどの子どもたちが手を上げました。その理由に「いじめをしていないといつ自分がいじめられるかわからない』という答でした。また、自殺については、「楽になるんだったら自殺も良いのではないか、いずれ生まれ変わるのだから』「ヘビで生まれ変わるのは嫌だが、虫でも何でも良いが生まれ変われるんだから』という答がたくさんありました。
私はこの番組を見てカルチャーショックを受けました。今までは、「いじめる子が悪い』「いじめられる子にも理由がある』「先生は何をしていたのか』「学校のいじめがなかったとのコメントは責任逃れでは』等々感じていましたが、全く違うのではないかと思うようになりました。
世代間ギャップがよく言われますが、まさに今の子どもたちの価値観が理解できなくなりました。
何が、悪と立ち向かわないことを許すようになったのか?
何が、他人を思いやることの心をなくさせたのか?
何が、悩みに負けないことを教えなくなったのか?
何が、家族との対話を出来なくしているのか?
何が、正しい生死観を失わせたのか?
その原因は、ゲーム機の中や、少子化の中にあるわけでなく大人たちの責任ではないかと思います。
情報化社会と言われる社会になって、あふれる情報量による社会の変化
グローバル社会になって、(海外渡航者の増加)価値観の多様化による変化
変化・変化のスピードに対応しきれない社会。
子どもたちが社会を作るのではなく大人が社会を作っているのではないでしょうか。
とすれば、先生方やいじめる子どもたちに責任があるのではなく大人に責任があるのではないでしょうか。
商業主義に走るマスコミ!!! 権利だけを主張する市民!!!
社会と協調しながら独自性を認めない社会。
私たちに課せられた課題は大きいものがあると思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/8e/df711800f8ab95afa7b0c9d60552c0ba.jpg)
席上、最初に参加者が黙祷を行ったあと、藤原市長より事件以降2年が経過したが、子どもの命を傷つける事件が後を絶たなかったり、子どもの自殺という不幸な事件が多発している事に遺憾の意を表明するとともに、その原因について、自らの信念を述べられました。
こうした一連の事件が発生する要因に地域コミュニティーの崩壊があり、地域の人たちがもう一度地域コミュニティーの再生を図っていく事によって、子育ての問題や、高齢者問題や、子どもの命を守っていく事が出来る。犯罪を防止する意味で、子どもの通学路以外でも人の見守る目が大切である。青色パトロールの活動も活発に行われるようになっているが、地域で子どもをしっかり見守る体制を皆さんの協力のもとしっかりまちづくりを行っていきたいとの主旨の挨拶がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/23/9a30ba289adc1205be716307ee281580.jpg)
来賓として、市議会議長や、奈良警察署 署長より挨拶がありましたが、警察署長より、具体的な取組として、誘拐事件や、子どもが不安がるような情報提供できるシステムを作りを公開している。
「不審者情報配信システム なら子どもサポートネット」 http://supportnet.naracity.ed.jp
また、子どもへの性犯罪者が刑期を終えて出所してくる情報を得て再発防止を図っている。そして他市に先がけて「青色パトロール」の団体を立ち上げ、奈良市では、38団体1113名が登録をして活動を展開していただいています。と紹介があり、そして今後、奈良市地域安全サポーター制度の導入を図っていきたい。内容は、防犯教室を開催して防犯意識を高めていくことを目的に計画しているので各地域では積極的に活用(申込)をお願いしたい。との挨拶がありました。
また席上、有山 楓ちゃんのご両親より、次のようなコメントが寄せられ紹介がありました。
事件から2年という月日が経ちました。私たち家族に取ってはまだあの日から時計が止まったままのような日々で、なぜ楓が被害に遭わなければならなかったのか、なぜ楓を守ってやれなかったのかという想いでいます。大切な楓の命、そして家族の輪を一瞬に奪われ、砕かれた悲しみ・無念・辛さは決して誰にもしてほしくありません。
先月、我が家に楓のランドセルや携帯など、あの日楓が身につけていたものが戻ってきました。しかし、一番戻ってきてほしかった楓の姿はどこにもありませ。ランドセルを背負って元気に学校から帰ってくるはずだった楓の姿がありません。下の娘も『かえちゃん帰ってきたらビックリするね。早く帰ってこないかな』と楓と会えない寂しさの中、毎日を過ごしています。
私たち家族に取ってはもう2年ではなく、たった2年しか経っていません。しかし、時間は刻々と進んでいきます。どんなに辛く悲しくとも、前に進んでいかなければなりません。
この辛く悲しい想いを誰もしないためにも、子どもたちを温かく見守っていくことが必要です。大人たちの温かい目で見守っていく事により、犯罪の起きない、犯罪を生まない社会になればと思います。
もう二度と私たちのような悲しい想いをすることがないことを心より願っています。
有山 茂樹
江利
とのコメントの紹介がありましたが、ご両親の希望としてこの想いを皆さんに伝えていただきたいとの話が伝えられましたので全文を紹介しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/fe/9fb4da3ffe67c123bb95c61db9faec06.jpg)
その後、子どもの安全のために積極的に活動をしていただいているグループに感謝状の授与がありました。
受賞されたのは、「都跡・富雄北・田原・富雄第3・大安寺西・佐保川)小学校区でした。
子どもに関する事件が後を絶ちませんが、最近は特に、子どものいじめによる自殺の問題が多発しています。
先日、日曜日の「たけし』の番組で中学生ぐらいの子どもたちに、いじめについて聞くという番組がありました。
その中で、子どもたちが、「いじめたことのある人」との質問にほとんどの子どもたちが手を上げました。その理由に「いじめをしていないといつ自分がいじめられるかわからない』という答でした。また、自殺については、「楽になるんだったら自殺も良いのではないか、いずれ生まれ変わるのだから』「ヘビで生まれ変わるのは嫌だが、虫でも何でも良いが生まれ変われるんだから』という答がたくさんありました。
私はこの番組を見てカルチャーショックを受けました。今までは、「いじめる子が悪い』「いじめられる子にも理由がある』「先生は何をしていたのか』「学校のいじめがなかったとのコメントは責任逃れでは』等々感じていましたが、全く違うのではないかと思うようになりました。
世代間ギャップがよく言われますが、まさに今の子どもたちの価値観が理解できなくなりました。
何が、悪と立ち向かわないことを許すようになったのか?
何が、他人を思いやることの心をなくさせたのか?
何が、悩みに負けないことを教えなくなったのか?
何が、家族との対話を出来なくしているのか?
何が、正しい生死観を失わせたのか?
その原因は、ゲーム機の中や、少子化の中にあるわけでなく大人たちの責任ではないかと思います。
情報化社会と言われる社会になって、あふれる情報量による社会の変化
グローバル社会になって、(海外渡航者の増加)価値観の多様化による変化
変化・変化のスピードに対応しきれない社会。
子どもたちが社会を作るのではなく大人が社会を作っているのではないでしょうか。
とすれば、先生方やいじめる子どもたちに責任があるのではなく大人に責任があるのではないでしょうか。
商業主義に走るマスコミ!!! 権利だけを主張する市民!!!
社会と協調しながら独自性を認めない社会。
私たちに課せられた課題は大きいものがあると思います。
子供の問題は、親の問題です。
いじめをする子供の親、いじめられる子供の親、
いじめを見てみぬ振りをする教師と、教師の責任ばっかり追及したらそれだけで終わってる親たち、
教育委員会の自分も子供をもっている委員たち、
みんな、親の世代の問題が今の問題の本質です。
自分は、中学生時代、ハードないじめにも会いました。
理由は、成績が良くて、先生の方ばっかり向いてる、
告げ口をするいやなやつだったからです。
自分の中学校時代も学校は荒れていました。
今と、同じような事件も起きていました。
日常的にワイドショー化で事件が毎日全国区になってしまう
のも一因です。
死んだら全てが終わるし、リセットされるとの考え方は
子供の自殺だけでなく、校長先生の自殺、談合事件の
部長の自殺、大人も子供も信じています。
死んでもなんにも終わらないし(自分自身にとって)
また、生まれ変わってもつづきを繰り返すだけなのに。
それはそうと、朝あすなら一番街行ってきまして、出展者の皆さんの涙ぐましい努力を聞かせてもらってきました。
女の人はえらい!!あきらめない。根性がある。
だれがいうのでもなく自分たちでチラシつくって撒きに
いってます。クリスマスの会議で、抽選券を配るといってました。馬力があるとおもいました。
親の世代とは、男の弱さの世代のことじゃないですかね。
女性は強いで、母は強い。あかんのは男がつくってきた
時代の価値観だと思います。
時代の価値観だと思います。]
寂しい話ですが、本当ですね。男がつくってきた時代の価値観ってなんでしょうかね?
見栄、理想主義、縦意識、企業戦士、団塊の世代の競争意識?
しかし現代の価値観の転換をどのように図れば良いのか、何をしなければいけないのか? 政治はどんな役割が果たせるのでしょうか??
この問題は、歴史が深いですね。残念ながら自分には今はわかりません。
阿部内閣メールマガジンの
義家さんのコメントが参考になりました
家庭で食事がまっとうに取れない
学校で安心安全が確保できないから
より高次の欲求ができない子供になってしまうという
主張です。
「早寝早起き朝ごはん」運動を質問されると
書いてましたね。よろしくおねがいします。
● 教育再生の土台(教育再生会議担当室長 義家弘介)
なぜ、今の子供たちは帰属意識がないのか。なぜ、自己肯定感がないのか。
なぜ、夢が持てないのか-。多様化し、複雑化する現代の子供たちの現状を
大人たちは口々に嘆く。
教育再生のスタートはその「なぜ?」の原因を明確にすることから始めね
ばならない。
アメリカの心理学者マズローは『欲求階層説』という学説を唱えている。
人の欲求は五つの階層で構成され、より基礎的な欲求が優先される。つまり、
基礎的な欲求を満たすことができなければ、より高次の欲求には発展してい
かないという考えだ。この学説を現代の教育の現状に当てはめたとき、先の
「なぜ?」の原因は明らかになる。
人間のもっとも基礎的な欲求は『生存の欲求』である。それが満たされた
とき、『安心・安全の欲求』へ、そして『帰属の欲求』、『尊敬の欲求』、
『自己実現の欲求』へと発展していくが、帰属意識や自己肯定感、夢を持つ
前提である基礎的な欲求が満たされていないことが「なぜ?」の原因である
と言うことができるだろう。
もっとも基礎的な『生存の欲求』を満たすのは当然、家庭であるが、朝食
さえしっかりと保障していない家庭は多い。命の大切さを教えるのもまた家
庭の責任である。
また、『安心・安全の欲求』を主に担うのは学校だが、教室ではいじめが
放置され、学級崩壊が広がる中、子供たちは安心して勉強することさえまま
ならず、諦めさえ漂ってしまっている。
そんな現状の中では、子供たちに帰属意識を持たせることは不可能だし、
みんなから褒められたい(尊敬の欲求)と努力することもできないだろう。
夢(自己実現の欲求)など持てるはずもないのだ。
家庭、学校の確固たる再生。それを抜きに教育は語れない。
生存の欲求さえ満たされず、自殺の連鎖さえ起きている今、まさに教育は
待ったなしだ。不退転の決意で再生に着手することこそ、子供たちへの責任
であり、彼らが創っていく未来への責任でもあると私は思う。
※ 執筆者の紹介
http://www.kantei.go.jp/jp/m-magazine/backnumber/2006/yosiie.html
ということは、まず大人が実践することなんでしょうね! なかなか難しいですが、歳を取ると朝早く目が覚めると言いますが、わたしはだめですね?
しかし、学校教育から取り組んでいただき社会教育で、家庭や地域での取り組みを進めていかなければなりません。学校だけでは限界があります。
いま学校で問題を起こしている子どもたちの中には、「早ね 早おき 朝ごはん」が実践されていない家庭が多いようです。
「しつけ』は家庭からとよくいわれますが、今これが出来ていないのです。
例えば、先日のテレビ度取り上げられていましたが、今給食費を払わない家庭が増えているとか?? 「 義務教育なのだから教職も無料にすべきでしょう。とか、 NHKの受信料を払わなくても見れるのだから、給食も払わなくても良いんでしょう。』とテレビ画面に向かっていってる親がいました。
昔は子どもを見て、「親の顔が見たい』と言ったものですが、いまは、「こんな親の子どものかをがみたい」です。
テレビの現状を奈良市教育委員会に尋ねると、やはり奈良市にも同じことを言う親がいるそうです。・・・・・・・・・・・残念ですね!!!
塾や家庭教師に通って、帰ってきたら10時を廻り、それから塾のおさらいなどをして、寝るのは12時近くなって、その結果、翌日早く起きることが出来ない構造に成っています。自分も小学生の6年位の時から、朝食を家で取った事は一度も!有りません。自信を持って宣言します。
一寸でも、寝かせてやらないと、今は大人より子供の方が、異常に多忙な為、斯様な事が起きています。これは、学校教育というのを、私学も含めて考え直さないと、公立だけ「ゆとり」などと云った事を言ったって、20世紀型の教育ママゴンとその方法は、まだまだ健在な訳で、それなら私学へと成ります。
塾に行かないと、理解出来ない学校教育と、そのカリキュラムを根本的に見直さないと、此は解決しないでしょう。
中間層から見た団塊世代を、211でコメントさせて頂きましたが、この問題は、これと同様に一種日本国家の根幹部分に抵触していて、なんでもかんでも競争社会であった団塊世代の遺物とでも称すべき物なのでしょうか。