金さんの「あっちこっち」Hot Line

大好きな奈良を走る金さんの東奔西走の日常活動録。家庭菜園や地域活動や、学校支援に走ります。

NO175 大仏鉄道研究会

2006年10月20日 | 過去の記事
大仏鉄道研究会の古薮会長と岩崎先生と、高橋事務長とで、市長に面談をして、船橋通りの北の端にある、公園。地域の人たちからは、「三角公園』の愛称で呼ばれている公園を「大仏鉄道記念公園』をしていただきたいとの要望に行きました。

          

詳しい説明は、こちらを参照してください。
大仏鉄道研究会
  http://www.eonet.ne.jp/~daibutu/
佐保側を渡る大仏線の鉄橋の位置が今春判明(古藪 博)
  http://www.eonet.ne.jp/~daibutu/ronbun/ronbun.htm
2004年3月 なぜ大仏鉄道は消えたか?
  http://www.bekkoame.ne.jp/~mizutani/TS04/S04-03.htm


大仏鉄道とは、100年以上昔(時代は日清、日露戦争の頃)、名古屋方面から奈良の大仏への観光客の誘致を図るため、当時の関西鉄道株式会社によって明治31年(1898年)4月19日に設置されたものです。
現在のJR奈良駅からドリームランド近くを経て京都府加茂町まで鉄道が走っていたました。
 明治40年、平坦な加茂~木津~奈良ルートの完成により、わずか9年あまりで姿を消しました。大仏鉄道は、現在ではその存在を知る人は少なくなりましたが、船橋通りの北側の佐保川の北側に駅舎がありました。
この幻の大仏鉄道の歴史を残そうと研究会のメンバーは、若草公民館を中心に活動をされています。

          

研究会では、数年前よりこの公園の清掃活動を行うなど、地域住民の理解を得て今回公園名の申請を行なわれました。

 
                     <大仏鉄道研究会提供資料 引用>




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5 コメント

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ブランドとはなにか? (ゾンビ・ガン爺)
2006-10-21 00:27:11
自分の考えるブランドとは、この大仏鉄道であり、

きたまちであり、多聞山城であり、転害門であり、

そこに住んでいるひとたちのスピリッツであり、

歴史のつみかさなりであり、それをつかった商売であり、

教育であり、・・・・・・



ブランドの力は、そこにどれだけ物語があるかです。

潜在力はバツグンのこの地域ですので、

奈良シビックセンターをつくって、同志をつのりましょう

電通や博報堂にまかさなくてもそれ以上の人材が

湧いてでてきますよ。それもブランドかな?
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物語=ブランド力? (金田充史)
2006-10-21 22:00:40
 度々記入をお許し下さい。ゾンビ・ガン爺様のおっしゃる、「潜在力」は、もの凄く有ります。また、こんなに潜在力の有る土地には、他は一寸太刀打ち出来ないでしょう。しかし現実は、アッケラカのカーで、負けて居ります。つまり、ポテンシャルが十二分に発揮されていないのであります。自分は、新聞報道されましたが、「お宿博物館・まちかど正倉院」事業に一枚咬んで居ります。此処での新聞社のコメントなのですが、「奈良には、街角も魅力いっぱい」と報じて居りました。旅館が過去にやっていた事が、もう既に物語になって存在しているので有ります。しかも、我々の知らぬ間になっていた訳で有ります。



 こういう物語に光を当てる為の時間は、該当者が、徐徐に亡くなっていき、埋もれてしまいます。時間がもう無いのです。他の部分での物語でも、こういう状況に有る物も少なくないでしょう。一つ一つ積み上げていく事をしていきましょう。自分も出来るだけ、御協力はさせて頂きます。宜しくお願いいたします。



  おぼろげ乍ら、一寸見えたかなっ・・・???

  見えた・・・つもり・・・かも?????
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ブランド談義 (kin3)
2006-10-22 03:13:58
お二人さんで盛り上がっていますね!!1

地域ブランドとしての奈良は、良いのですが、商品・サービスブランドのなさが、地域ブランド力まで下げています。



その意味でも、デザインや、イベントを更に磨きをかけていかなければ行けませんね。



お二人さんのご協力をよろしくお願いします。

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また新しい名所が生まれつつ、うれしいなー (コマ)
2006-10-23 00:14:35
地域の人に親しまれている三角公園が歴史的事実に基いづいた名前になればまた親しみがまた格別に違うと思います。

大仏鉄道研究会さんの活動の成果が実ってこられたなと、お喜び申し上げます。私も大仏さんの研究発表を聞かしてもらったときは、その昔に汽車がはしていたんだということが写真やお話でわかった時は毎日走っている道、橋の下は特にトンネルだったというのが信じられませんでした。

また公園になぜ汽車の車輪の碑があるのか不思議でした。前は消防署でしたしなぜなぜと思いましたが、説明を聞いたときに解決しました。

地元の人が良いと思われるもの、所はやはりいろんな人にも紹介していかなければならないと思います。そのうちにそこが観光の名所になりうるかもしれないし人も寄ってきて店屋も寄ってくるのかなと思うのですが。

私たちもきたまちエリアで活動していますが地域の人にも親しむ事ができる名所などを作っていているところです。大仏さんみたいに活動しておられることを聞くと、こういう所になぜ碑があるのかというのがわかると見方が変わると思います。きたまちの手貝門もそうですただの古いもんですが大仏殿は何回か建て替えられたり修理されたりされていますが、手貝門は創建当時のものです。そいう事実を知ると近くに住んでいる私でもじっとします。小さいとき門に屋根ほりして遊んだのが恐ろしいです。

それと、きたまちエリアもですが、見るところがあってもそこの地の食べ物がない奈良ですので雰囲気的に団子、饅頭かな、その地の雰囲気で食べるのが一番うまいとおもます、ちょっとファーストフード的に食べられるものがないのかなーというよりつくてくれる店屋さんがないかなーといつも思うのですが?

志の同じような人ご協力お願いします。
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また新しい名所 (kin3)
2006-10-23 20:12:14
コマさんご無沙汰をしています。最近何やかやと忙しくて、お話をする機会も減って申し訳なく思っています。

一度また、お時間を取ってください。

いま、いろいろなところでまちおこしが行われようとしています。「奈良街道まち研』も大いに活動を展開しましょう。
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