1964年東京大会の開催から50周年を今日迎えた。半世紀が過ぎ去ったが、この年のことだけは覚えている。
NHKのアーカイブで、昨日きょうと東京オリンピックの録画が再放送されていたが、懐かしかった.ちょうどこの年は、高校に入った年で腹痛を起こし病院に行くと『お腹を暖めて休みなさい」といわれ、家に帰って布団にくるまっていたが、『あげくだし』をしてお腹に激痛が走るので別な病院に行くとすぐ手術と言われた。『虫垂炎』が破裂して腹膜炎を起こしているとの診断だった。先の医師の誤診だった。
そのお陰で、ちょうど東京オリンピクの期間中は入院をしていて毎日テレビでオリンピック中継を見ることができた.50年前の東洋の魔女には感動し、鬼の大松監督のもと地獄の特訓などを思い出した。また、100m走で当時世界最速で優勝したボブ ヘイズの名前は懐かしい思い出がいっぱいだ.
しかし、どの競技を見ても今のレベルとの差が大きく、時代が進んだなと変に感動もしながら50年前を振り返った.
当時、病院を退院して一ヶ月もしない時に、一条高校でのバスケットの試合に出場していたことを思い出した。まだお腹の中には3本のゴムのチューブが入っていて、うみがそこから出るのをガーゼで押さえて試合に出場していた.
タイムアウトやハーフタイムの時に汗が入らないようにガーゼを、保健の村田先生に変えてもらっていたことを思い出した。今だったら学校もこんなことをさせないだろうと思うが、やはり時代が違ったのかな?
また、『ヘイズ』で思い出すのが、立命館大学の時、1部リーグ戦で、大商大に長身で胸板の厚い大男に『ヘイズ」とあだ名を付けていた.ゲーム中リバウンドボールを競り合って飛び上がって下りた時に自分の目の高さが、まだ彼の分厚い胸だったことを懐かしく思い出す.4年生の時は、腰を痛めて、鉄のコルセットを巻いて毎週リーグ戦を戦ったことも懐かしい.大阪府立体育館から後輩に鞄を持ってもらって、最終電車に横になって変えたことも何度もあったが、楽しい思い出だ。
50年という時が「あっと」いう間に流れてしまった。人生の半分以上を生きて『楽しい想い出』ばかりだが、2020年にまた東京でオリンピックが開催されることになったが、今度は病院では迎えたくないな~~~ そうだ!!!どこかの本に挟んだ記念切手のシートがあるはずだ。探してみよう
あと6年で何ができるだろう?
菰川に桜の木を植えること。『左京東二坊大路』『左京東三坊大路』の道路名をつける。作家を集める。などなど法華寺村の活性化のためにやることはいっぱいだ。