今日のころころこころ

2014・5・26 おばさんのこころ 政治家という職業

古東海道の披露山公園付近は、ずいぶんと歩き回った。
それにしても・・・なんだか後からこころにズシンと来てる。政治家という職業。なんだい?それ?
披露山公園付近の古東海道を探すにあたって目印のひとつが、『尾崎行雄記念碑』であった。

真っ先に浮かんだのは土門拳氏の写真であった。風貌。確か明治だか大正だかの政治家で憲政の神様とかの政治家だったよな?でも具体的にはなにがなんだか知らない。
先を急いでいたから単なる目印として通り過ぎた。
が・・・
披露山公園を下った先に高齢の老婦人が道を掃除されていた。

近付いてみたら、なんともきちんとした身なりで掃除されてる。まるで昔の良家の上席お女中様といった雰囲気である。思わず、御精が出ますねとか御挨拶してしまった。
そしたら・・・もしかしたら慣れてるのかもしれない。通行人の好奇心に。
問わず語り。まるで独り言をつぶやいておられるようだった。
尾崎邸は3000坪の規模であったという。夫君は尾崎行雄翁に仕えた書生だったという。陸軍幼年学校を出て敗戦でそういう成り行きになったというような感じ。尾崎翁の計らいで敷地に土地を貰い家を建てたとのこと。二人の出身は信州は佐久だったとか。とかとか・・・
かなりの御高齢だ。もしかしたら、もう現と夢の境目が曖昧になっておられるのかもしれないなぁ・・・なんぞと思いながらとりとめのない話しを聞いていた。後で大変に失礼な感想だったと猛省したが。
帰宅して、調べる。
そうだ。このお方だ。

尾崎行雄 1951年5月7日
1858年~1954年 政治家
明治から昭和まで60年以上代議士を務め、『憲政の神様』と呼ばれた政治家で、この時93歳。撮影依頼に行ったおり、名刺を秘書に渡し、緊張して玄関で待つ土門の耳に、奥から『うわあははは、うわあははは。よろすい。こんなおいぼれでよかったら、いつでもきなさあい』との破鐘のような声が聞こえてきた、と土門は記してる。
神奈川県逗子・風雲閣(尾崎の別邸)・・・
そうだったのか・・・
実は、道路挟んだ向かいに、某政治家の別邸があった。とは、後で知った。
公園の古東海道と思われるハイキングコースを降りたところでいきなしぶつかった塀だ。

殺風景なコンクリの塀の上には鉄条網といくつもの監視カメラ。てっきり刑務所か精神病院かと思ったが。
尾崎翁の業績を知るにあたり、あの御高齢の老婦人のこころをストンと納得した気がした。
そうか・・・なんという痛烈な皮肉。
風雲閣には様々な人々が集ったという。明治~昭和初期の政治家なんていつでも暗殺の危機にさらされていた。にも関わらず、風雲閣は広く開放されていた。
一方は、芸能人のゴシップに疎い私には刑務所か精神病院にしか見えなかった。
それは、たぶん、政治家としての器量のあらわれでもあるかもしれない。
尾崎翁が亡くなって、今年で60年になる。
60年たっても、どんな業績を残した人かまではわからなくとも、聞いたことのある名前だと思う。確か政治家だったと思う。
某政治家が亡くなって60年たったら・・・一世を風靡した俳優の兄ということで弟の検索ついでに出てくるだけかもしれない。
そもそも・・・死後60年たっても、まるで生きているかのように仕えてる人がいるという時点で、違う。
家で電卓弾いてみれば、あの老婦人の夫君は、尾崎翁最晩年の最後の書生さんだったのかもしれない。土門が名刺を渡した秘書とは、その人だったのかもしれない。
落ち葉の季節でもないのにどうして丹念に道掃除されてるのかうかがったら、こんな少しの落ち葉でも登る時はいいですけど下る時には滑るんですよ、とのお答えであった。転がるような急坂だ。こうして延々と数十年風雲閣への来客の足元を気遣ってこられてきたのか・・・
それは、もしかしたら、夫君を通じての尾崎翁の教えのひとつだったのかもしれないな・・・
私たちは政治家に恵まれない時代を生きてるのかもしれない。それはとても不幸で不利益なことだなんだろうな。でもどうしたらいいというのか。かですよね。貴女が羨ましい。
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