今日は曇り時々雨で寒い。
神奈川県立歴史博物館へ。
特別展 源頼朝が愛した幻の大寺院 永福寺と鎌倉御家人-荘厳される鎌倉幕府とそのひろがり-
会期は10月15日~12月4日。
特別展会場は撮影禁止。
私が鎌倉に行くのはカマキンがあったのが大きかった。カマキンのついでにどこかという感じだった。
神社仏閣で一番好きなのは、神社仏閣といっていいのかわからないけど、二階堂の永福寺跡。これは今も変わらない。
なんで惹かれるのか自分でもわからない。
鶴岡八幡宮の東側が頼朝時代の鎌倉幕府の中心地だった。
奥州合戦でみた平泉藤原氏が築いた壮麗な浄土世界にいたく心打たれた頼朝が、文治5年(1189年)永福寺を建立することを計画し、建久3年(1192年)に完成したとされる。
永福寺の姿は様々な文献に記録はされているけど、応永12年(1405年)の火災で焼失した後に再建されることはなく、鎌倉幕府と共に歴史の表舞台から消えていった。
時代はくだり、どういう成り行きからは私にはわからないけど、第二次世界大戦後に発掘調査が始まり、実像がみえてきた。
中央に二階堂、左右に薬師堂・阿弥陀堂、惣門、南門、釣殿、多宝塔、鐘楼、僧坊を擁し、臨池伽藍を備えた大寺院だったことなどがわかってきて、今は国指定史跡となり私のような風来坊でもいつでも入れる。
鎌倉雀なおじさまたちは市に金がないからCGだとおっしゃるけど、何年か前からスマホで再現できるようになった。
それはそれで楽しいのだけど、発掘された資料やそこから見えてくるものも知りたかった。
大河効果って経済だけかと思っていたけど、こういう方面にも影響があったんだ。鎌倉殿に感謝。
序章:発掘された永福寺と鎌倉研究
1章:京・平泉の浄土世界
2章:永福寺の偉容と鎌倉幕府
3章:象徴たる永福寺式瓦と鎌倉御家人
4章:東国霊場と鎌倉幕府の荘厳
5章:神さびた中世仮面と音楽文化
終章:武士本拠の景観と復元
で、構成。
頼朝期には鶴岡八幡宮寺・勝長寿院・永福寺が建立された。
鶴岡八幡宮寺は鎌倉幕府の宗教政策の中枢だった。
勝長寿院は河内源氏と鎌倉を結ぶ謂わば氏寺。
永福寺は?
という疑問を永福寺式瓦から迫る内容だった。
頼朝は新しい都をつくりたかったのか。
京を真似たかったのか。
それとも壮麗極まる大寺院の建築を通じて鎌倉に生きる人々に誇りと文化と産業を与えたかったのか。
鶴岡八幡宮寺は鶴岡八幡宮となり初詣の人出は全国5本の指に入る。
勝長寿院は住宅地になっている。