今日のころころこころ

2013・11・30 おばさんのが~ん!

昨日は、里へ日帰り。
母が尿管の手術を受ける説明だという。日程も決まってるし、まんま素直に解釈して母と長野市民病院に向かった。
行ってみて、が~ん!

こんな状態ですと資料を渡されて、私が見てもわかりませんよと言いながら一応読んでみてが~ん!あの?これって癌ってことじゃないですか!と思わず口にしたら、そうですよ癌ですよ!と事も無げに先生。が~んですねぇ!そうですが~んです!が~んといっちゃてるんですか?が~んとは行ってないからそれは大丈夫です!転移はありません。
やり取りを聞いていた母が思わず噴き出したのが救いだった。
それにしても、なんというか、癌の告知ってこんなにもしれっとさらりと簡単にする時代になったんか。
それにしても、あまりにも荒っぽい。
事前に癌ですからこういう治療方法があってうんぬんの説明があって選択と同意があって、初めて手術の説明だと思うのだけど・・・いくら若い頃外科の看護師をしていた母とは言え、動揺してるがわかった。
怒りがこみ上げてきたが、ふと気が付けば、マスクで目の部分しか見えなかったが、この先生40いってないんじゃないか?けれど髪は初老くらいに白い。髪だけ見たんでは50代後半だ・・・この先生は先生なりきに細心の心遣いで告知のタイミングをはかっていたんだな・・・そういえば、母も優しいいい先生だと言っていた。この先生早死にしてしまいそうだな・・・おまかせするしかないだろう。
腎臓の悪性腫瘍、癌だった。腎臓摘出になる。内視鏡ではなく、メスを入れ、肋骨も削るかもしれないという。が、他に転移してないし腎臓はひとつでも生きていけるから、ま。そういうこと。
が~ん!が~ん!が~ん!なん連発だったんか( 一一)
ちなみに。帰宅して病院のHPみたら、やっぱ先生は若かった。目的・理想・現実・葛藤・矛盾・・・大変な職業だな。私たちは、この職業の人たちに業という十字架を肩代わりしてもらってるのかもしれない。
母の方は、動揺はしていたが、やっぱりそんな気がしてたんだよねぇ・・・と落ち着いていた。まな板のコイだとも言っていた。母に感謝。

それにしても・・・
どんなに節制して健康によいといわれることは全て実践していても、耐用年数はあるんだな。不摂生組の方が短いというだけのお話で。老化して朽ちて行くのが生きとし生けるものの定め。それは、星とて同じ。例外は、ない。
どこで線引きするかだ。
母の今後はどうなるのだろうか?腎臓ひとつでも生きてはいけるが、それとてやがて耐用年数が切れるであろう。人工透析でやっていくのだろうか?その間にも他もガタガタになっていくだろう。修理・交換を繰り返すたびに制約・拘束が多くなる。どんな形でも生きてるだけで楽しいと言えば言えるのかもはしれないが・・・
私は、どうするんだろう?死にたくないという本能的な恐怖は絶対に消えることはないだろう。ないが、どこかでいかねばならぬ。
できることなら、制約・拘束が少ない段階で、やっぱ死にたくはないよなぁとボヤキながらも、お先に失礼~♡と夕陽にむかってあっさりと旅立ちたいものだ。
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