コロナ禍でアパレルも苦戦とは聞いているけど、とうとうワールドも大規模なリストラクチャリングか。

ワールドというとなぜだかリフレインする、なんか甘酸っぱく心がときめく声と曲を思い出す。
あれなんだろ?
そうそうこれだ。
FM東京が流していたのか。ワールド・オブ・エレガンス。語りは故細川俊之氏だったんだ。甘い歌声は故ジャン=ミッシェル・カラディック氏。
YouTubeってすごいな。もはや立派なアーカイブだ。
ワールド・オブ・エレガンス【最終回】
1976年に始まって1993年に終了。
私は中学1年生~ちょうど三十路。装いへの興味から始まってやがては恋にもつながっていた。なるほどにキュンとするわけだ。
いつの間にかあの番組のスポンサーが苦境に陥る時代になってしまっていたんだ。
もう何十年も前のこと。
私は山梨の別荘地に知り合いの知り合いという自分の母と同じ年くらいの女性に招かれた。
到着するなり、まぁ!そのジャケットみせてと彼女が言う。そうして、これいくらだった?と聞いてくる。千円均一のワゴンから拾ってきましたと答えたら、ああとため息をつく。このジャケットが千円で買える時代になったのね。いい時に店たたんだわと言う。
彼女はデザイナーで何人ものお針子さんを抱えてブティックを経営していたと聞いていた。
デザイナーとかお針子とかなんていうと私なんぞはすぐに何とかコレクションを想像してしまうけど、彼女はそれは違うという。そういう商売が当たり前に成り立つ時代だったのよと言う。
75年前の8月15日に日本は敗戦をむかえた。敗戦後は極度の食糧・物資不足に陥ったという。お金があっても物がない時代が続いたという。
服もしかり。既製品なんぞは無く普段着でも寝間着でもなんでも家族か自分で仕立てなければならない。それで町の洋服仕立て屋という商売が成り立っていたというのだ。
お金さえあれば欲しい物は何でも手に入る時代になった時には嬉しかったわと言う。でもそれが徐々に彼女の商売を圧迫していったのだった。
洋服仕立て屋という商売はごく一部の富裕層相手となり、庶民の服はアパレルメーカーが供給するようになったのだ。
ほぼ無状態に供給するのだからいくらでも需要があったのは想像に難くない。そうして更に時代は流れて、物は溢れているけど金がないという時代が来た。
ところが、自分の息子世代が社会人になる頃になってくると、また洋服の仕立て屋商売が復活してきた。しかもそんなに高くない。息子は上背があるし手足も長いから勝負スーツとかは仕方ないと思っていたのだけど、標準的な体形でいくらでもカッコいい既製品がある人達でもオーダーを選択するようになっていたのだ。
けれどこのたびのこの疫病下。
在宅ワークが増えてスーツを着なくても仕事できることがスタンダードになりつつある。Yシャツのクリーニングも含めてまたまた関連業界は色々と迫られる。
衣食住は生まれてから死ぬまでついてくる。
衣はこれからはどんな展開になっていくのかな。
3Dプリンターで家庭でそれぞれの体形にあった究極のフルオーダーとなるのかな。
ま。
今日はどこまで気温が上がるかな。
