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今日のころころこころ

2020・8・6 ワールドも・・・

コロナ禍でアパレルも苦戦とは聞いているけど、とうとうワールドも大規模なリストラクチャリングか。

ワールドというとなぜだかリフレインする、なんか甘酸っぱく心がときめく声と曲を思い出す。
あれなんだろ?
そうそうこれだ。
FM東京が流していたのか。ワールド・オブ・エレガンス。語りは故細川俊之氏だったんだ。甘い歌声は故ジャン=ミッシェル・カラディック氏。
YouTubeってすごいな。もはや立派なアーカイブだ。
ワールド・オブ・エレガンス【最終回】
1976年に始まって1993年に終了。
私は中学1年生~ちょうど三十路。装いへの興味から始まってやがては恋にもつながっていた。なるほどにキュンとするわけだ。
いつの間にかあの番組のスポンサーが苦境に陥る時代になってしまっていたんだ。
もう何十年も前のこと。
私は山梨の別荘地に知り合いの知り合いという自分の母と同じ年くらいの女性に招かれた。
到着するなり、まぁ!そのジャケットみせてと彼女が言う。そうして、これいくらだった?と聞いてくる。千円均一のワゴンから拾ってきましたと答えたら、ああとため息をつく。このジャケットが千円で買える時代になったのね。いい時に店たたんだわと言う。
彼女はデザイナーで何人ものお針子さんを抱えてブティックを経営していたと聞いていた。
デザイナーとかお針子とかなんていうと私なんぞはすぐに何とかコレクションを想像してしまうけど、彼女はそれは違うという。そういう商売が当たり前に成り立つ時代だったのよと言う。
75年前の8月15日に日本は敗戦をむかえた。敗戦後は極度の食糧・物資不足に陥ったという。お金があっても物がない時代が続いたという。
服もしかり。既製品なんぞは無く普段着でも寝間着でもなんでも家族か自分で仕立てなければならない。それで町の洋服仕立て屋という商売が成り立っていたというのだ。
お金さえあれば欲しい物は何でも手に入る時代になった時には嬉しかったわと言う。でもそれが徐々に彼女の商売を圧迫していったのだった。
洋服仕立て屋という商売はごく一部の富裕層相手となり、庶民の服はアパレルメーカーが供給するようになったのだ。
ほぼ無状態に供給するのだからいくらでも需要があったのは想像に難くない。そうして更に時代は流れて、物は溢れているけど金がないという時代が来た。
ところが、自分の息子世代が社会人になる頃になってくると、また洋服の仕立て屋商売が復活してきた。しかもそんなに高くない。息子は上背があるし手足も長いから勝負スーツとかは仕方ないと思っていたのだけど、標準的な体形でいくらでもカッコいい既製品がある人達でもオーダーを選択するようになっていたのだ。
けれどこのたびのこの疫病下。
在宅ワークが増えてスーツを着なくても仕事できることがスタンダードになりつつある。Yシャツのクリーニングも含めてまたまた関連業界は色々と迫られる。
衣食住は生まれてから死ぬまでついてくる。
衣はこれからはどんな展開になっていくのかな。
3Dプリンターで家庭でそれぞれの体形にあった究極のフルオーダーとなるのかな。
ま。
今日はどこまで気温が上がるかな。




コメント一覧

kinntilyann
tonnkoさまおはよう〜ございます(^^)/
tonnkoさまは75年前はまだ3歳くらいだったのでは?
それでも記憶にしっかりと刻まれているということは、やはり大変な時代。
その後とのギャップがものすごく大きな時代を過ごしてこられたのですね。
私の母は小学1年生くらいだったのかな?
そのギャップに今でもどこか翻弄されてるなと解釈すれば納得できる行動も多々あります。
ま。
本日もおもいっきり暑そうですが、tonnkoさまにとって今日も良い一日でありますように(^^)/
tonnko
深夜に、こんばんはです。
わたしは将にその時代を生きてきました。物が無い字出しでした。
小学校の入学の時、ランドセルを背負っている子は数えるほどでしたし、教科書は教師がガリ版で書いた物をプリントした物でした。
ホチキスのような便利グッズなどありません。その都度、当時t紙質の悪いわら半紙の教材を頂ければよい方で、黒板に先生が書いた物を、生徒が写す、こんな状況での授業でした。

靴下は編むのが大変なので、足袋を母親が作って履いていましたし、ウインドウ靴ではなく、ほとんどの子が下駄で通学していました。

あなたのブログを読んで昔を思い出し、こんな時間なのに書きたくなりました。その頃の経験が、今のわたしの洋裁熱の根源だと思っています。小さな布も雑に扱えず、コースターを作ってみたりブックカバーを作ってみたり、色々楽しんでいます。
再生材料は山ほどあります。命の限界がちかくなってきていますから、外出を少なくして少しでも何かに再生して残して置きたい、と思っています。生きがいになっています。
kinntilyann
kiyasumeさまこんにちは〜でございます(^^)/

暑いですね!

ヨウジヤマモトのコート好きです。

ヨウジもギャルソンも今は中華圏での人気の方が大きいです。
爆買いしてくれる人たちが来日してる間は良かったけど、来なくなると経営的にはかなり大変なのではないでしょうか?

でも考えたら、皆どこでもスマホ眺めてるのだから、向かい側に座った人やらすれ違った人やらの服装なんて眼中にないですね(^^;

kiyasumeブログの次の更新楽しみお待ち申しあげてます(^^)/
kinntilyann
おたかさまこんにちは〜でございます(^^)/

ダーバンありましたね!
当時は、なんというか、どんなデザインでもエレガントでしたね。
崩しても今のファストのようなだらしなさはなかったなぁ。(遠い目)。

そういう栄枯盛衰はいっぱいみてきたはずなのに、いざ自分たち世代の番となると、やはりさみしいものですね。
しょーわと言われるけど、やっぱりトータルすればエキサイティングな時代だったと思います。
そういう意味では、平成はなんか白っぽい感じです。へーせいなんて言われることあるのかな?
令和は真っ暗な感じになるのかな?
でも自分は令和で死んでいくのだから、それもまた。ま。
おたかさまにとって今日も素敵な夜でありますように(^^)/
kiyasume
初めまして、、、
私は夏だと言うのに、、冬のチャスターコートとか購入して降ります。
なぜかと言うと。定価の3分の1の値段だからです。

私はモード界のレジェンド「ヨウジ・ヤマモト」の服が好きなのですが、、
彼の服は高いのですよ。しかし何故か最近では若者向けに
ブランドを立ち上げて一万円ぐらいで売って居ます。

ファスト・ファッションは今、どこもコロナの影響でダメですよね。
かろうじてユニクロだけでしょうか・・・・・。

つい書き込んで仕舞いました。
また来ます。。。。
おたかさん
こんにちは😃
私はウサギさんより10才ほど年上なのだろうと思いますが、学生時代、ワールド、オンワード樫山、イトキンなどは憧れのプラドメーカーでした
なかなか簡単に手の出せるお値段ではなかったけど、手に入れた服は仕立ての良さ、素材の良さ、デザイン性などクオリティが高くて、いいお勉強になりました

ハイクオリティの服はファストファッションにとって変わられ、自分の価値観で服を選ぶようになってしまいましたね。着物(和装)がたどった後を追っているようにも思えます
レナウンのダーバンで起用されたアランドロンのコマーシャルも だーい好きでした❣️

C'est l'elegance de l'homme moderne‼️

なかなか正しく耳に入ってこなかったなぁ😪

今日のブログを読んで、ちょっとしんみり
kinntilyann
そうそうさまこんにちは〜でございます(^^)/

教室復活良かったですね(^^)v
なんだか私まで嬉しくなってしまいました(^^)v

そうでしたか!
すごいお祖母さまでしたね(^^)v
まさに女丈夫(^^)v
数十年前にたずねたマダムもデザイン〜裁縫までの過程を考えたらこの値段無いわとさみしそうでした。
次の産業が育ってその次もやがてその次の次になっていくものなのでしょうね。
ただ、当事者はたまったもんではありませんが。

そうそうさまより私の方が年上なのですが、さすがに敗戦後の混乱期は教科書とかそういうテレビ番組とかでしかみたことないです。
正直、ピンと来ないことも多いのですが、実際に越えてきた方々のお話しをうかがえるチャンスがあると、ストンと落ちます。
長野で車を運転しながら、なんでこの地域(町中ではなく田畑が多い地域)はすごいお屋敷ばかり並んでいるの?と母に問えば、終戦後の食糧難の時はリンゴが飛ぶよう売れたみたいよ。リンゴ御殿。との解説。
なるほど農業がものすごく儲かった時代もあったのかと目から鱗。
そういことは色んな分野で色々とたくさんあります。

それにしても細川俊之氏のお声は素敵でしたね。
あの曲が流れる中であのお声でささやかれたら卒倒するわ!
sewsew1
こんにちは
そうそうです。
いつも楽しく拝見しています。

ワールドは、神戸のポートアイランドにあるアパレルですね。
バブル全盛期は、アパレルも元気だったので、寂しい記事ですね。

わたしの祖母は、
戦後に男性用の洋服店を経営し、スーツのお直しとかもしながら、縫い子さんを
住み込みで使ってお店をやっていました。
とても、お嘆きの感情がわかります。

わたしが、ミシンに触れたのも
祖母からなんです。
最近は、
家庭用ミシンも
今回のコロナの影響で(マスク作り用途)
修理依頼や、新規ミシン購入も増えて、
ミシン需要も多いと聞きますが、
アパレルでは、ジャパンメイドが
もう無くなりつつあるように
感じます。

なんでも安くなる寂しさを
感じていた祖母の発言(もう他界してます)をまた思い出しました。
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