スカジャンといえば横須賀。
お値段は5000円くらいから10万円くらいまで。


荒ぶる米兵が飲んだくれて更に荒ぶるというのは過去のお話しで、今はすっかりと観光スポットになっている横須賀はどぶ板通りには今でもスカジャンを扱う店が何軒かある。




なんかちょこっと怖げなあんちゃん御用達なようなイメージだったスカジャンが、なんと美術館で展覧会。
横須賀美術館へ。


開館15周年記念 PRIDE OF YOKOSUKA スカジャン展。
会期は11月19日~12月25日。
会場には撮影スポット。

ちゃんとスカジャンまで用意されている。


子供向けであろうと思ったら、おじさんが嬉々と着て写真を撮ってもらっていた。
そういえばスカジャンを着て来館してる人も何人かみかけたと思ったら、スカジャン着用で来館すればチケット2割引。
どの人もどの人も普通の人だ。



スカジャンが誕生したのは、第二次世界大戦敗戦後の1940年代の日本。
スーベニアジャケットと呼ばれていた。
souvenir、すなわちお土産。
米軍の兵士が日本駐留の記念に本国へ持ち帰る土産は、当たり前だけど日本独自のものが好まれた。
帯や着物は伝統品な上に綺麗で嵩張らずに大人気であった。
銀座界隈に並んだ米兵相手の露店でそれらが飛ぶように売れてる様をみてこれは商売になると思いついたのが、生地の輸出入を行っていた港商商店(現・東洋エンタープライズ)。
アメリカの国民的スポーツであるところの野球でおなじみのベースボールジャケットを模し、桐生の和装刺繍職人に依頼して龍やら虎やら鷲やらの刺繍を施して発売したところ、あまりの人気に当時の米軍基地内の売店の目にとまり、日本各地の基地に正規納品の運びとなったという。
その後1970年代には日本の若者にも広がり、米軍横須賀基地の周辺で売られていたことから、横須賀ジャンパー、スカジャンと呼ばれれるようになったそうな。


スカジャンのインパクトある刺繍は、横振りミシンと呼ばれる独特のミシンから生み出される。
足元のペダルで速度を、右膝のレバーで針の振り幅を調整しながら、生地を手で動かしていくという。しかもその刺繍を幾重にも重ねる。



スピンオフというか刺繡の技術を応用する作家の作品も並ぶ。






美術館から出たら雲が切れて少し日がさしていた。






桐生の刺繍職人たちは、敗戦後の生活難のなかで生きるために必死に大量の注文をこなすうちに技術を磨き上げていったという。
スカジャンは立ち直る日本の気迫がこもっていたのかもしれない。
それが今でも根強い人気の源なのかも。

京急・横須賀中央駅のメロディーは横須賀ストーリー。
これっきりこれっきり電車が来るよ電車が来るよと電光掲示がちゃかぽかするのだ。

横須賀ストーリー