なにがいいんだと言われても、なにがいいんだろと自分でも
わからないけど、白井晟一に惹きつけられる。
白井晟一(1905年~1983年)は異端ともいえる特異な建築家。林芙美子を始め数々の女性と浮名を流しながら、当時流行りだったモダニズム建築に背をむけるように哲学的と称される建築を生み出した。
渋谷の松濤美術館へ。

松濤美術館も白井晟一の作品。



開館40周年記念「白井晟一入門」。
第1部/白井晟一クロニクルの会期は10月23日~12月12日。
第2部/Back to 1981 建物公開の会期は2021年1月4日~1月30日。
展示室の撮影は禁止。建物は可。
展示の内容。
序章:建築家となるまで
第一章:戦前期・渡欧をへて独学で建築家へ
第二章:1950~60年代・人々のただなかで空間をつくる
第三章:1960~70年代・人の在る空間の深化
終章:1970~80年代・永続する空間をもとめて
アンビルトの未来建築計画


ノアビル。

未完で終わった原爆堂。

松濤美術館そのものが白井晟一の設計。

白井は、京都の銅を商う豪商の家に生まれたけど、家業は傾き父親を早く亡くし、姉の夫の著名な日本画家・近藤浩一路のもとに身を寄せ、多くの文人や画家に囲まれて成長し、学校も京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)の図案科へ入学した。そんな白井がなぜ建築と関わっていったのかは不明。
建築家・白井晟一としての実質的な最初の作品は1936年に完成した近藤浩一路の自宅兼アトリエ。近藤は平尾敏也に設計を頼み、白井は義兄・近藤の代わりに仕切っていただけのはずなのに、いつの間にか白井作品の様を呈したようだ。
建築の知識がないわけじゃないけど正規に建築を学んではいない。独学だけで建築の仕事に加わっていったようだ。
建築の正規の教育を受けていなということは、逆手に取れば、縛りにとらわれることなく発想は自由。
やがて建物の設計の仕事が舞い込むようになり約101の作品を残した。現存する作品は長崎の親和銀行等今でもインパクトを放つ。

螺旋階段。




ブリッジ。


鏡。


白井に導かれるようにゆらゆらと展示を見る。


第2部の建物公開が楽しみだ。
