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我もまた田を耕すなり ・・・ 2.耕すのは

2010-12-05 05:42:01 | Weblog
釈尊が どんなときに
  「われもまた 田を耕すものなり」ともらされたのでしょうか。


 農繁期で忙しいある村に立ち寄ったときです。
釈尊は大勢の農夫があぜ道で食事をとっている前に黙然ととして鉄鉢を持って立ちました。よほどその毅然たる態度が癪(しゃく)にさわったのでしょう。主人らしい男が声を荒げて
「あなたはいつもそうやって説教したり、乞食をしてぶらぶらしている。私たちはこうやって田を耕し、種子をまいて食をえているのだ。あなたも自分で種子をまき、田を耕して食をえたらどうです」といいました。

 釈尊は額に汗を流して詰問するその農夫に向かい逍遥(しょうよう)として答えたのです。


「 われもまた田を耕し

  種子をおろし

  もって自ら飲食を供えるものなり 」


 農夫はその自信に満ちた口調にたじろぎながら
「あなたのそんな姿をみたことがない。どこに鋤(すき)がある。どこに牛がいるのか。どんな種子か」と問うたのです。

 釈尊の返事は明快そのものです。


人間が耕さねばならぬものは大地ばかりではない。

人間自身を耕さねばならない。

私は その人間そのものを耕している。

私の鍬は知恵であり 種子は信であり 牛は精進と熟慮である。

人間は この耕作をえて はじめて苦よりのがれることができる。



なんという強い確信でしょうか。

筋肉労働をし 田を耕しているから労働者だ とか

教育に携わっているから聖職者だ などという無意味な区分けは

  ・・・ このことばの前にふきとんでしまいますね。




* 2010.11  東ブータンで






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