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「毎」という字を眺めると そこに「母」の字が入っています。
なぜ 「いつでも」とか 「つねづね」とか
あるいは「いつもいつも」という文字が
・・・ 「母」から構成されているのでしょうか。
考えてみれば 大変意味深いものをもっています。
「海」もそうです。
「悔(かい)」 「誨(かい)」 みな「母」が入っている。
「海」は 広く大きな大地に 水を満々とたたえている。
どんな細い小道にも流れ込んでいくゆくが
少しも減った様子はがない。
「不増不滅」で「不変」です。
しかも
波は くり返しくり返し岸辺は押しよせひき返す。
「悔」は 「くやみ」反省する意味の文字です。
人間幾つになっても「くり返す」失敗の反省をいいあてた字です。
「誨」は 「おしえさとす」ことです。
「母誨」という言葉もあります。
母が教えさとすことをいいます。
子どもが一人前になるまでは
「おしえさとす」母の力で守られている。
「毓(いく)」という難しい文字もある。
「育」と同じ意味で「育てる」ということです。
「毒」という字は人に嫌われますが
これには「やしなう」「そだてる」という意味もあります。
* 2010.11 東ブータンで
なぜ 「いつでも」とか 「つねづね」とか
あるいは「いつもいつも」という文字が
・・・ 「母」から構成されているのでしょうか。
考えてみれば 大変意味深いものをもっています。
「海」もそうです。
「悔(かい)」 「誨(かい)」 みな「母」が入っている。
「海」は 広く大きな大地に 水を満々とたたえている。
どんな細い小道にも流れ込んでいくゆくが
少しも減った様子はがない。
「不増不滅」で「不変」です。
しかも
波は くり返しくり返し岸辺は押しよせひき返す。
「悔」は 「くやみ」反省する意味の文字です。
人間幾つになっても「くり返す」失敗の反省をいいあてた字です。
「誨」は 「おしえさとす」ことです。
「母誨」という言葉もあります。
母が教えさとすことをいいます。
子どもが一人前になるまでは
「おしえさとす」母の力で守られている。
「毓(いく)」という難しい文字もある。
「育」と同じ意味で「育てる」ということです。
「毒」という字は人に嫌われますが
これには「やしなう」「そだてる」という意味もあります。
* 2010.11 東ブータンで