カンジュンサンは、物心がついた時から、自分の家は普通ではないのだと、何となく感じていた。母親のミヒは、チュンサンには言わなかったが、未婚のままチュンサンを産んだことで、自分の両親とは絶縁していたので、天涯孤独だったのだ。
ミヒはいつもピアノのリサイタルで世界中を飛び回っていたため、幼稚園の頃からお遊戯会や運動会、参観会などあらゆる行事はお手伝いさんが出席していた。しかも、お手伝いさんは都合で数年で代わってしまうので、愛着を感じてもある日突然別れが待っていることになり、チュンサンは次第に心を閉ざすようになった。
幼稚園に入ると、周りの子たちには「父親」という人がいて、それは母親とセットになっているもので、友達がその真ん中で笑っているのを見ると、どうしようもない寂しさを感じるのだった。
時々帰ってくる母親に
「お父さんはどこにいるの?」と聞くと、必ず
「あなたが生まれてすぐに死んだの」という答えが返ってくるのだが、母親の動揺する様子を見るたびに、生きているけど自分に会わせたくないのだと、幼心に感じた。
ミヒは、小さな頃から無口で物静かで影がありなかなか懐かない、子供らしさが皆無の息子にどう接して良いか分からず、いつも悩んでいた。
小学生になると、チュンサンはますます無口で陰気な子供になった。それは生い立ちと母親からの愛情不足だったが、ミヒにはそれが分からなかった。
チュンサンは次第にクラスから孤立して、友達にいじめられるようになった。でも、チュンサンはそれを誰にも言わなかった。
ある日ミヒが家にいるときに、チュンサンは真剣な顔つきで尋ねた。
「お母さん、みんなが僕をシセイジって言うんだけど、シセイジって何なの?」
ミヒはそれを聞いて、息子が小学校でいじめられていることを知り、ハラハラと涙を流し、チュンサンを抱きしめた。そして、チュンサンを他の小学校に転校させて、リスタートすることにした。
チュンサンは、母親の涙を見て、その言葉を胸にしまい、二度と口にしなかった。その言葉の意味を知ったのは何年も後のことだった。
そして、二度と母親を悲しませない事と、どこかにいるだろう父親にいつか会うときに胸を張って会えるように、勉強やスポーツに全力で打ち込むようになった。表面上は友達ともそつなく付き合い、中学生になる頃には誰からも一目置かれる存在になった。しかし、相変わらず愛されたいという強烈な寂しさは胸の中で燻っていた。
そんなある日、母親がまた海外に行っているため、寂しさからミヒのアルバムを開いていた。すると、手が滑ってしまい、アルバムが床に落ちた。床の上に20歳ぐらいのミヒと、左隣には微笑む優しそうな男性が写っていた。右側は破られたのか一部がなくなっている。どうやら他の写真の裏側にこっそりと隠されていたらしい。チュンサンはこの男性こそ父親に違いないと確信した。ついに自分のルーツと母親と今一緒にいない理由がわかるのだ。
チュンサンはすぐに弁護士に電話した。その弁護士は小さな頃からチュンサンの学費など財産管理をしている信頼のおける男性だった。そして理由は言わずに、写真の人物の身元を探し出してくれるように頼んだ。
少し時間はかかったが、やがてその男性は春川の大学で数学の教授をしているキムジヌだと判明した。ジヌには妻とチュンサンと同い歳になるサンヒョクという息子がいることが分かった。サンヒョクとチュンサンはちょうど半年違いでチュンサンの方が月齢が高かった。母親は24歳ぐらいでチュンサンを産んだことになる。大学院卒業間近の時だろう。母親は不倫していたのだろうか。チュンサンはかなりのショックを受けた。そして、ミヒには言えない秘密を持ったことで、より一層ミヒとの心の距離は離れた。
それでもチュンサンは勉強を頑張り、ソウル科学高校という名門校に合格した。そして2年のときには数学オリンピアードで金メダルに輝いた。それも全て父親に近づきたい、誇れる息子でありたいという気持ちからだった。また、何かに夢中にならないと、自分自身が壊れてしまいそうな気がした。
高校2年の夏、チュンサンは思い切って春川第一高校に転校したいと訴えた。もちろん、自分の父親に会って息子だと告げたからだが、父親の生活や、その高校に通っている異母兄弟のサンヒョクにも会いたかった。自分には兄弟がいるのだ、血のつながった人間がこの世にいると思うと、チュンサンの孤独感に火が灯るような気がした。
ミヒはもちろんチュンサンの考えなど知らなかたが、猛反対をした。春川に家は置いたままだけれど、帰りたくもない嫌な思い出ばかりある故郷だ。
しかし、生まれて初めてチュンサンは懇願をした。そして、自室から出てこないという強行手段までして訴えて、ついにミヒの許しを得た。
ただし、一学期だけの転校で、そのあとはアメリカに行き、そのまま大学に入る準備をすることが条件だった。
それでもチュンサンは喜んだ。
秋も深まった頃、チュンサンは春川に向けて出発した。
自分の未来が明るいものになると信じて。