「チュンサン、起きた?朝ごはんよ」
チュンサンは雪が降り続く外に目を向けながら身支度を始めた。今日はアメリカに立つ日なのだ。春川に来た時には、父親捜しのために春川高校に籍を置くつもりだったが、途中で気が変わった。本当は大好きな彼女や大切な友達のために高校卒業まで春川で過ごすつもりだった。でも、今となってはもうそれもかなわない。彼女とは離れなければならなくなった。ユジン、ユジン。今となっては彼女の顔すらまっすぐに見る自信はなかった。このままさよならも言わずにアメリカに旅立つことにしよう。
チュンサンはユジンと初雪デートした日を思い出していた。初めてのキス。二人とも離れがたくてユジンの家によることになった。ユジンの母のギョンヒは洋品店の仕事から戻っておらず、家には5歳になる妹のヒジンがお留守番していた。ヒジンはチュンサンを見ると目を真ん丸くして言った。
「お兄ちゃんかっこいい!わたし大きくなったら結婚する。」
そして奥からアルバムを持ってきた。
「おねえちゃんはね、小さなころはブスだったのよ。わたしは何でも食べられるし、牛乳だって飲めるのよ。お姉ちゃんはいつも遅刻するから怒られるの。」
ヒジンは口をとがらして、生意気そうな顔でチュンサンを見ていた。そんな姿もユジンに似ていて愛らしかった。
小さなころの写真のユジンも愛嬌たっぷりで、チュンサンは微笑みながら写真をながめていた。ユジンは台所でチゲ鍋を作りながら顔をのぞかせた。
「こらヒジン。お姉ちゃんの悪口を言っているでしょ。」
するとそこに、あの写真があったのだ。常に持ち歩いている母親のミヒとサンヒョクの父親のジヌの写真。ただし、この写真は右端が破れておらず、もう一人の男子生徒が写っていた。ミヒとその男子生徒は微笑みながら親しげに腕を組んでいる。その親密な空気に不安を感じて、チュンサンが呆然と写真を眺めていると、ユジンがやってきた。
「その写真?5年前に死んだパパなの。となりにいるきれいな人は誰かしら?腕を組んでいるってことは恋人かな?うふふ。」
チュンサンはそれが自分の母親だとはついに言いそびれてしまった。それどころではなくて、そのあとあまりのショックで、ユジン手作りの夕食も食べずに勝手に帰ってきてしまったほどだった。そしてもう一度じっくりと写真を確認した。やはりユジンの家にあった写真と同じものだ。ただし右側は破れている。この写真の男性こそ自分の父親だと信じていたから、父親はサンヒョクの父親のキムジヌだと思いこんでいた。でももう一人の男子生徒が父親だったら?あの親密な様子からジヌよりも可能性は高いだろう。二人は恋人同士だったのだろうか。「父親は自分たち親子を捨てた。」という父親がユジンの父親だったら、僕たちは兄妹になってしまう。チュンサンの背中に冷たい汗が一筋流れた。あの日以来まともにユジンと話すこともできずに、ユジンの目を避けている自分がいた。ユジンを好きな気持ちと、もし兄妹だったらどうしようという気持ちがせめぎあっていた。それなのに、どちらが父親なのか知るには、母親に確認するしかないのだ。しかしあんなに父親の話を毛嫌いするミヒに、とても聞くことがはできなかった。悩んだ末に、当時の状況を聞いたのは、ほかでもないサンヒョクの父のキムジヌだった。
チュンサンは思い切って春川大学のジヌの研究室を訪ねた。以前、何度か数学の問題を聞きに訪ねたことがあったのだ。あのころは、自分の父親だと信じていたから、いつもうれしくてたまらなかったが、今日は違った。ジヌは久しぶりのチュンサンの訪問と硬い表情に、驚いた様子だったが、温かいココアでもてなしてくれた。
「先生は、カンミヒさんと友人だったんですか?」
ジヌは驚いた表情で言った。
「カンミヒ?どうしてそれを知っているんだ?」
「チョンユジンさんのうちで、3人で写っている写真を見たんです。」
「、、、あの写真かぁ。まだ残っていたんだね。」
「先生たち3人は仲が良かったんですか?」
「ああ、ユジンの父親のヒョンスとは一番の親友だった。」
「じゃあ、ユジンの父親とミヒさんはどうだったんでしょう?ユジンが、、、ユジンが冗談で言ってたんです。二人はつきあってたのかしらって。」
「なんでそんなことを君が気にするんだい?」
「えーと、僕、カンミヒさんの演奏が大好きなんです。だから気になって。本当にユジンさんのお父さんとミヒさんは恋人だったんでしょうか。」
チュンサンは口が裂けても自分が息子だからとは言えなかった。しかしジヌはさしたる疑問も感じないようでサラリと言った。
「君にこんなことを話していいのかわからないけれど、そうなんだよ。二人は恋人だったんだ。ヒョンスが結婚してすぐ、ミヒは春川を離れたんだ。」
「、、、先生は、先生はミヒさんとは付き合ってなかったんですか?」
「僕かい?僕はミヒに片思いをしていたんだよ。ミヒが好きなのはヒョンスだった、、、。まあ、すべては過去のことなんだけれども。」
そういうとジヌは懐かしそうな眼をして遠くを見つめた。チュンサンは静かにお礼を言って部屋を出ていくしかなかった。
その日から、チュンサンは3日3晩ほとんど眠れずに考え抜いた。そして出した結論が、誰が父親か探すのはやめて、誰にも言わずに春川を去り、アメリカで暮らすことだったのだ。すべての秘密は胸に収めたまま、、、。チュンサンはミヒに電話して、アメリカにたつことを知らせた。ミヒはとても喜んでいた。
チュンサンは、大晦日の夕方に家を後にする瞬間まで、後ろ髪を引かれる思いだった。春川でできた初めての友達たち、ヨングクとチンスク。ヨングクはムードメーカーで転校生の僕にも分け隔てなく接してくれた。少し僕を請わがているけれど、雪のように無垢なチンスク。それから気高きチェリン。でも本当は人一倍傷つきやすくて虚勢を張っているだけなんだ。僕でないだれかと、いつかきっと素敵な恋をするだろう。そしてサンヒョク。僕たちは双子のように似ている。強がって肝心なことを話さないところや、同じ女の子を好きになるところまで!最後にユジン、、、。僕に信頼を教えてくれた人。あの写真の秘密は絶対に伝えないけれど、せめて僕の気持ちだけは打ち明けたい。そしてさよならを言いたい。ううん。理由なんてどうでもいいんだ。もう一度だけあの笑顔を見たいだけなんだから。
タクシーは春川市街から仁川空港に向かっていた。数時間後には機上の人になってしまう。チュンサンがコートの右ポケットに手を入れると、初雪デートの日にユジンが貸してくれたピンクのミトンが入っていた。ミトンを握りしめると、ユジンの笑顔が浮かんできた。チュンサンはたまらずに、ミヒに約束があるから戻りたいと懇願した。しかし、ミヒは飛行機に遅れてしまうと言って反対した。その時タクシーが一時停止した。一瞬のスキをついて、チュンサンはタクシーの外に飛び出した。後ろからミヒの呼ぶ声が聞こえたけれど、走り出したら止まらなかった。つるつる滑る雪の道をひたすら走った。肺は破れそうだし、心臓はどくどく言っていたけれど、心は踊りだしたいほど軽かった。やがて大通りでタクシーを拾うと行き先を告げた。チュンサンはタクシーの中で、ユジンとの思い出を辿っていた。
バスの中での出会い
一緒に塀を乗り越えたこと
放送室でアバのダンシングクイーンを踊っていた彼女をこっそり見ていたこと
授業をさぼって南怡島に遊びに行ったこと
罰としてやった落ち葉焚き当番
「初めて」を君のために弾いた講堂
放送部の合宿でポラリスを見た夜
朝日の中でした森の散歩
すべてが過去のものになるなんて耐えられない。兄妹だとしても、自分の気持ちを言わずに去ることはできなかった。
二人はあの初雪デートの帰り道、好きなものを言いあった。
「チュンサン、これから私の質問に一緒に答えてね。二人の答えがどれだけ似ているか確かめよう。」
「いいね!」
「好きな色は何?」
「白!」
「好きな季節は?」
「冬!」
「好きな食べ物は?」
「なんでも食べるけどな」
「それじゃ駄目よ。一つだけ!」
「えーと、トッポッキ。なんだか僕ばっかり答えてる。ユジナは?」
「わたしはいいの。チュンサンの好きなものを全部覚えておきたいから。」
「じゃあ今度は僕から質問する。好きな動物は?」
「犬が好き!チュンサンは?」
「僕は人!」
「人?人って何?」
「12月31日に会おうよ。その時に教えるから。」
タイ焼きの袋を抱えたまま、ユジンはにっこり笑っていたなぁ。
「いいよ。じゃあわたしもその時にホントに好きな動物を教えてあげるね」
ユジンはツリーの下で僕を待ちわびているだろう。急がなければ。タクシーを降りると、チュンサンはわき目も降らずに走り続けた。
その時だった。暗闇から大きな車が突然飛び出してきた。まばゆいばかりのライトの光と、全身の強烈な痛み、一瞬だけ雪の中のユジンの笑顔が見えて、、、あとは暗闇が支配した。こうして僕はチュンサンとしての記憶をすべて失ったのだった。