誰にでも人生の分岐点はあるものだが、ユジンとミニョンには、あの材木の事故が分岐点になったとチョンアとキム次長は思っていた。2人はまるで、王子と姫に使える家来のように、四六時中二人に振り回されていた。
あるとき、使われていないピアノをキム次長が触っていると、ミニョンがぼんやりした顔で質問してきた。
ミニョンは黙ってしまった。
「先輩!僕天才かもしれない!」
キム次長は思った。初めてチョンユジンが来社したときから、理事は変わってしまった。明朗快活で自信たっぷり、細かいことは口に出さずに思いのままに突き進んでいたのに、妙な事を口走るようになった。
「僕を見て泣く女がいるんです」
とか
「本音と裏腹な行動をする女がいるんです」
とか、考え込むことが増えた。
それがチョンユジンだと気がついたのはしばらくたってからだった。ミニョンがチョンユジンの言うことややる事に感銘を受けたり、影響を受けているようだからだ。
キム次長が知る限り、ミニョンにとって付き合う女性とは、アクセサリーのような、楽しんで愛でるための存在のように見えた。女性の意見を聞いて意見を変えたり、仕事のパートナーとして対等に話して尊重しているのをはじめて見た。どちらかと言うと男女問わず、自分が上に立ってぐいぐい引っ張ったり、時に押しつけるタイプだった。
チェリンと付き合っていたときは、ユジンを敵対視するそぶりを見せたり、辛辣な態度もとったが、最近はユジンに優しい眼差しを送ることも多かった。しかも、あんなに自信に満ちて突き進むタイプだったのに、自信がない様子や、立ち止まって周りのスタッフを確認したり、ときには考えこむことまであり、いろんな感情が芽生えているのを興味深く感じた。何というか、人間的に深みが出てきた気がした。
しかし、チョンユジンは、ほかの女性たちと何が違うのだろうか。確かに美人でスタイルも良いが、ミニョンの交際相手は大抵そうだった。多分彼女はミニョンがイケメンとか、理事とか、金持ちとかまるで気にしていないのだ。誠実で控えめだが、嘘はつかずにはっきり意見を言う、人の本質を見る、そして仕事では有能で自分というものを持っている、懐の深い優しさがある。でも理事に好意があるような、何か別のものを見ているような遠い目をすることもあり、気があるのかないのかさっぱり分からない。婚約者もいるし、ラブラブに見えたけれども。隣の芝は青く見えるのだろうかと考えていた。
あるとき、使われていないピアノをキム次長が触っていると、ミニョンがぼんやりした顔で質問してきた。
「ある人にいつも心の中と裏腹な事を言ってしまうんです。どうしてだと思いますか。」
「それはね、①言う事を忘れたから。②罪悪感があるから。③好きだから。」
ミニョンは黙ってしまった。
「なんだよ。答えないのかよ。ちなみにある人はチョンユジンだろ?で、答えは③だろ。」
「、、、先輩、人を好きになるってどんな風になるんでしょう?」
「本当に人を愛すると、寂しくなるもんだよ」
ミニョンはしばらくぼんやりと物思いにふけっていた。そして、急にピアノを弾きはじめた。
それは「初めて」だった。流暢な指使いにキム次長は言った。
「なんだ、習った事ないって言うけど、弾けるじゃないか」
「先輩!僕天才かもしれない!」
ミニョンは無邪気な顔で微笑んだ。
チョンアは、チョンユジンの大学の先輩だったため、ユジンの気持ちが何でも分かっているつもりだった。ユジンは大学の頃からなんとなく影のあるタイプだった。明るくてみんなに好かれていたが、どことなく距離を置いていた。何か辛い経験をしたのだろうとは思ったが、ユジンが話さないので、特に聞くことはなかった。そんな中でサンヒョクといるときだけは、リラックスしているようだった。チョンアは、結婚するならサンヒョクなんだろうな、と思っていた。しかし、ユジンがサンヒョクを見る目は、恋人というよりも仲の良い幼なじみという感じが、チョンアの気になる点ではあった。もっとも、女は愛された方が愛するよりも幸せと言うから、良いのかもしれないが、、、。
しかし、ユジンがマルシアンと働き始めてから、全てが変わった。あんなに明るくて楽しそうに働いていたのに、うつむいて塞ぎ込んだり、ぼんやりしていることが多くなった。しかし、無理して明るく振る舞っているのは分かった。サンヒョクとの仲がギクシャクしていることも感じていた。しっかり者のユジンが、婚約式をすっぽかしたのも信じられない。理事の顔を時折じっと眺めているのも気になった。それは、好きだから見ていると言うよりも、ミニョンを通して何か違う物を見ているような、亡霊に取り憑かれたような、少し不気味な感じすらした。しかし、ユジンは話さないし、チョンアも全く訳が分からないまま、消化不良で過ごしていた。
そんなある日、ユジンがケガをして目覚めた第一声が「あの人は大丈夫?」と理事を心配したことから、ユジンは理事が好きなのでは?と思うようになった。確かに理事はイケメンで金持ちだが、そんな理由でユジンが婚約者がいるのに好きになるとは、到底思えなかった。何故か分からないけれど、もし好きならば、自分には想像も出来ない理由があるのだろう。最近、二人の仲が急速に接近している気がする。それは2人の仕草や視線から分かった。チョンアは、サンヒョクを想うと胸が痛かった。
その日、キム次長、チョンア、ミニョン、ユジンの3人は山頂のレストランにゴンドラで登った。先にキム、チョンアが降りると、ミニョンは当たり前のように、ユジンの手を取って、降ろしてあげていた。キムとチョンアは顔を見合わせて、苦笑いをしていた。
建物の中で二手に分かれて調査をした。
ミニョンとキム次長はレストランを見てまわった。ミニョンは言った。
「ここはレストランに使うのはもったいないですね。山荘にしましょう。ポラリスに任せます。」
「はいはい、ポラリス、チョンユジンさんね。」
すると、そのタイミングでミニョンの携帯が鳴った。キム次長が覗きこむと、チェリンと表示されている。
「理事、チェリンさんとケンカをしたんですか?ユジンさんがケガしたあの日からでしょう。大丈夫ですか?ユジンさんは婚約者してるのは知ってますよね?」
ミニョンはわかっている、と笑みを浮かべたが、一瞬顔が歪んだようにも見えた。
「ただ、この前の事故のことが申し訳ないんです。」ミニョンはつぶやいた。キム次長はやれやれ、と言う気分だった。
ミニョンとキム次長が奥まで進むと、ピアノの音が聞こえてきた。
音の方向に進むと、ユジンが「初めて」を弾いていた。チョンアは、ユジンに心配そうな顔で尋ねた。
「ねぇユジン、あの事故以来サンヒョクから電話がないよね?うまくいってないでしょう?」
ユジンは曖昧に笑っていた。
「あなたと理事って何かあるの?」
「この前の事故でわたしがかばったから、罪悪感があるんですよ。それだけです。」
チョンアはふーん、という顔でユジンを見つめていた。
そこにミニョンがやってきて、
「その曲知ってます」とニッコリ笑って言った。すると、ユジンの顔が太陽のように輝き、
「この曲を弾けるんですか?」と嬉しそうに問いかけた。
「いいえ、全然弾けません」
ミニョンがあっさり答えると、ユジンの瞳から光が消えて、また悲しそうな顔に戻ってしまった。涙すら目にためているようで、まるで太陽が雲間にかくれるようだった。
そんな2人を、困惑した目で見るキム次長とチョンアは、何かが起こる予感がして、不安を感じるのだった。