一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

母の迷い

2011年09月30日 | 最近のできごと
 実家へ行くと、在宅診療所から来る医療従事者の人たちと会うことがある。昨年からだが、母の診察に、医師が来たのは最初のころだけで、その後は訪問看護師の女性2人が来る。医師は、病院から退院したガン患者や、寝たきりの患者を訪問診療し、母のように降圧剤など慢性疾患の薬を処方して貰う患者の診察は、訪問看護師が担当するらしい。内科の診療所や病院に行かなくてすむ、医療の宅配というか出前のようなもので、実家の近辺ではニーズが急増しているらしい。
 医療法人の名前が表示された車が、庭に入って来た音がしても、母、義姉、姉、私の4人は玄関に出迎えることもなく、2人の訪問看護師女性たちは慣れたような感じで家の中に入って来て、「こんにちは~」と、明るい挨拶。
 私たちも、「こんにちは~」と、同じように明るい声で挨拶する。
 8畳の和室の居間で、母は座椅子に座ったまま、私と姉が来た時のような、うれしそうな顔つきでもなく、嫌そうな顔つきでもなく、訪問看護師さんたちを淡々と迎える。
 訪問看護師さんの1人は30代、1人は50代に見える。いつも同じ看護師さんたちで、2人ひと組で訪問しているらしい。
 50代に見える看護師さんが、母の血圧を測り、カルテに記録する。先日は、上が130、下が66。30代に見える看護師さんが、母の胸に聴診器を当てた後、
「食欲は、ありますか?」
 と、聞く。
「あります」
 母が答える。
「眠れますか?」
「眠れます。夜、1度か2度、おトイレに起きます」
 毎回、同じ問診と答えで、どちらも淡々としている。
 問診は、その2つで、あとは義姉が話し始める。週に3日行っているデイ・サービスでのことや、母が薬をきちんと飲まないことなどである。母は、降圧剤と狭心症の薬とカルシウム剤とビタミン剤を処方されている。
「薬を、ちゃんと飲まないんです」
 義姉が、言いつけるような口調で看護師さんに話す。だから、私が、どうのこうのと苦労話をする。医療や健康に関して完璧主義の義姉は、母のルーズさが不満なのだ。「薬を飲むことを、私が、ちゃんと念を押すのに」「見ると、飲んでない」「だから薬が、いっぱい余ってて」その薬を捨てるのが大変というわけではないと思うけれど、今に始まったことではなく、同じような言葉を義姉の口から何度も聞いているが、薬をきちんと飲まない母を批難する口ぶりになる。そのあげく、姉ではなく私を見て、
「ちゃんと飲むように言ってちょうだい」
 そう言うので、あまり気がすすまなかったため小さな声で、「お母さん、薬はちゃんと飲んでね」と言い、「でも、飲んだり飲まなかったりで、130なら……」という言葉は、喉まで出かかったが、のみ込んだ。デイ・サービスへ行くと、毎朝、スタッフの人が血圧を測ってくれて、その数値も記されている記録ノートを見たら、常に130以下で、私は安心していたのだ。
 母は答えず、その顔に、迷いの表情が浮かんでいる。それは、以前の母と違う、高齢者になった母の気弱さに感じられて、私は少し悲しかった。周囲から、薬をきちんと飲めと言われて、「時々、飲んでるでしょう! 全然、飲まないわけじゃないでしょう!」と、以前のように強気な言葉を口にできないのだ。その、母の迷いの表情が、帰宅してからも、ずっと気になってしまった。
 看護師さんはカルテを見ながら、
「じゃ、同じお薬、また2週間分、出しておきますね」
 やさしい声で、そう言いながら、処方箋を義姉に渡す。
 所要時間15分ぐらいで、帰り支度を始めた看護師さんに、
「お仕事、大変ですね。1日に何人ぐらいの患者さんを担当してるんですか?」
 先日、私は、そう聞いた。すると、
「お家だけじゃなく、老人ホームにも行きますから、200人……」
 看護師さんが、控えめな口調で答えた。誇らしい口ぶりではないことに好感が持てた。
「ええっ?! 1日に200人?!」
 私は驚いて聞き返した。
「あ、いえ、2週間で、200人です」
 看護師さんが答えた。1日に何人かと私は聞いたのだが、担当してる、という言葉に、看護師さんは勘違いしたようだった。
「2週間で、200人も診察に行くなんて、大変なお仕事ですね」
「でも、老人ホームに行くと、まとめてですから」
 2人ひと組で200人、在宅診療所に何人のスタッフがいるのかと思い、聞こうとしたら、母が、「お茶出して、お茶」と、他の部屋へ行きかけた義姉に、看護師さんたちをもてなすように言った。看護師さんたちは、「もう帰りますから」と立ち上がって、部屋を出て玄関へ向かった。お茶を飲んでいたら、私の質問攻めにあいそうだからというわけではない。習慣なら、義姉がとうに、2人にお茶を出している。母も、いつもは言わないが、私と話をすることになるなら、お茶を出さなければと思ったのだ。
 義姉と姉と母と私は一斉に、
「ご苦労様~」
 と、2人の訪問看護師さんに声をかけた。庭を見ると、診療所のネーム入り車を運転するのは、30代に見える看護師さんで、いつかの時のように運転手はいない。
 私は、聴診器を使ったり薬を処方するのは医師だけと思い込んでいたので、看護師さんがそうするのを初めて見た。病院に勤務する看護師と違って、訪問看護師は特別な講習を受けているらしい。2人とも、やさしくて、おっとりしていて、明るくて、さわやかで、控えめで、看護師というイメージと少し違う。
 母が急病になったら、深夜でも医師と看護師が来てくれるらしいから安心である。
 義姉が他の部屋へ行き、姉が携帯で電話している時、私は母に、つくづく言った。
「お母さんて、相変わらず、薬嫌いなのね」
「だって、薬は、あまり飲むと体に毒だもの」
「その言葉、20何年前と同じじゃないの!」
 私は半ば呆れ、笑ってしまった。母は60代半ばから、近所の内科医院で降圧剤を処方されて飲むようになったが、そのことを知ったのは、久しぶりに実家へ行った時で、
(お母さんも、お医者さんから処方された薬を飲むような年齢になったのね……)
 と、内心、ショックを受けたものだった。
(お母さんが、いつか病気になるのは嫌だわ、お母さんが年齢を取っていくのは嫌だわ)
 心の中で、そう呟いたのを、今でも記憶している。
 ところが、よくよく話を聞いてみると──。
「じゃ、1日2回、毎日忘れずに薬を飲んでるのね」
 そう言うと、
「飲んだり、飲まなかったり」
 ケロッとした口調で、母は答えた。「ええっ!」と私は思わず声を上げた。母が処方薬を飲むようになったことを、ショックとともに受け入れようとしていた私は、コケそうなほど驚愕した。
「どうして?!」
 と、聞き返すと、
「だって、薬は、あまり飲むと体に毒だもの」
 母は、そう答えたのである。何故、薬を処方されるのか、母はちゃんと認識してないのではないかと、私は不安になった。
「じゃ、どうして、お医者さんに行って薬を貰って来るの? 薬貰って来る意味、ないじゃないの」
「だって、血圧が高いっていうんだもの」
「検査して、高血圧ってわかって、降圧剤の薬を出されたんでしょう」
「そう。ど~っさりと!」
 正確には「ど~~~っさりと!!!」という言い方である。
「でも、ちゃんと薬を飲んでないと、血圧がどんどん上がっちゃうんじゃないの?」
「だけどね」
 と、母は、おかしくてたまらないような、笑いをこらえるような顔つきで、
「毎日、薬をきちんと飲んでないってこと、お医者さんには、全然わからないの!」
 と、得意そうに、うれし気に言って、ケタケタと笑い出したのである。つられて私も笑いかけたが、笑っている場合ではないと思い直した。
「だって、お母さん、定期的に内科医院へ行って、測ってくれるんでしょう? 血圧、どうなの? 高くないの?」
「高くない。薬が効いてるから、下がってるって、お医者さんは満足そうな顔で、また同じ薬を、ど~~~っさりと、くれるの。家に、まだ、ど~~~っさりと薬が残ってるのに」
「薬が残ってること、言わないの?」
「そんなこと言ったら、薬をきちんと飲んでないって、お医者さんに、わかっちゃうじゃないの」
 私は一瞬、唖然となって、笑い転げてしまった。医師の前では素直な患者でいて、薬はあまり飲むと体に毒だからと飲んだり飲まなかったりで、しかも全く飲まないわけではなく少しは飲むという母が、何て変わっている人かと、呆れるというより感動しそうになるくらい、おかしくておかしくてたまらなかった。
 20何年経っても、そのころと変わらないのだ。薬は、あまり飲むと体に毒だからと、飲んだり飲まなかったりの母。以前と違うのは、訪問してくれる看護師さんたちや嫁や2人の娘から、きちんと薬を飲まないことを心配され、言うことを聞かなければいけないという気持ちから来る気弱な迷いがあることだった。
 父も70歳ぐらいから降圧剤を、母と違って、きちんと飲んでいた。兄は、以前、検査で血圧を指摘され、毎日、万歩計をつけて、1日に1万歩以上歩き、車通勤をバスと電車と歩きに変えて、大股の早足で歩きに歩きまくったら、降圧剤は不要で、医師から褒められたと得意がっていた。姉と私は、降圧剤も他の処方薬も飲んでいない。もっとも、兄と姉は人間ドックの検査や健康診断を受けるけれど、私は受けてないので、安心しているわけではない。
 処方薬をきちんと飲んだ父と、飲んだり飲まなかったりの母。3人の子は、いつか処方薬を飲むことになったら、父と母のどちらに似るのだろうと、ふと思った。




                                   



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