時々、テレビで『ITホワイトボックス』(NHK)という番組を見ている。先日は、『なぜハマる? 新ゲームビジネスの秘密』というタイトルだった。携帯電話で遊べるゲームが、ユーザー数を伸ばしてビジネスになっていることを取り上げていた。『ソーシャルゲーム』と呼ばれて、無料ゲームが、続けるうちに、必要な『仮想通貨』を手に入れるため、有料になるということらしい。
以前、携帯電話でゲームをしたことがあるが、すぐ、やめてしまった。ゲームにハマりやすい性分なので、携帯電話のゲームに夢中になったら、私にとっては〈悲惨な生活〉になると思ったからである。
就寝前に、ベッドに横になって、携帯電話の『マイピクチャー』に保存した写真を見る習慣がある。どこかへ出かけた記念写真やオペラ歌手の写真が多数、保存してある。オペラ歌手の写真は、DVDやビデオ録画を停止させての画面撮影と、HPなどからダウンロードしたのをパソコンから転送した写真である。それらを、ひととおり見てから、携帯電話を枕元に置いて寝る。時には、ワンセグを見たりすることもある。
その上、携帯電話でゲームに夢中になってしまったら、延々と遊んで、眠れなくなってしまう。睡眠不足は美容の敵、美容だけでなく健康も損ねてしまうかもしれない。それで、携帯電話のゲームは、すぐ、やめた。
パソコンでもできるゲーム・サイトが、たくさんある。また、パソコンを購入するたび、ゲーム・ソフトが、いくつも入っている。
パソコンを始めたばかりのころ、入っていたゲーム・ソフトに夢中になって、午前2時3時まで遊んだ夜が、よくあった。始めるのは、夕食と入浴をすませた後である。現在のように、テレビで映画やオペラを連日のように観る趣味も習慣もなく、1日の終わりは読書が多かったが、いつの間にか、パソコン・ゲームに夢中になってしまったのである。
(もう午前だわ、早く寝なくちゃ)
(こんなことしてないで、明日の予定のために、たっぷり睡眠取らなくちゃ)
(あと1回だけで、やめようっと)
(時間の浪費だわ、ああ、睡眠不足は美容の敵)
そんな言葉を胸に呟きながら、なかなか、やめられないのである。
けれど、ついに、どのゲームにも飽きてしまった。
(もう、や~めた)
という気分になり、パタッと遊ばなくなる。
その後、そのパソコンも、買い換えてからのパソコンも、ゲーム・ソフトは、すべて削除してしまうことにした。
携帯電話でのゲームは、すぐ、やめたけれど、パソコンでのゲームは半年以上、続いた。もっと長く続いたゲームが、20数年前に夢中になったファミコンである。当時、1週間の半分を神奈川で、半分を東京で暮らすという、今思えば実にメリハリのある生活をしていた。神奈川の家に、ファミコンがあった。私が特に夢中になったのは、『パックマン』『スペースインベーダー』『テトリス』。他にもいろいろあり、2人で遊ぶゲームもあった。家人を含めて3人で代わるがわる遊んだりしたが、日中は家の中に私1人。朝、2人の家人が出かけると、机に向かわなければならないのに、
(ちょっと30分だけ遊んでから、原稿書こうっと)
そう自分に言い聞かせ、まるで執筆前の儀式のように、ワクワクしながらファミコンを始める。
30分が1時間になり、2時間になり……。
(こ、こんなことしてる場合じゃないわ、早く原稿書かなくちゃ)
(私ってアホみたい。こんな時間の浪費を延々として)
(ううん、人生には無駄な時間も必要なんだわ)
あれこれ呟きながら、1人だけのリビングルームで、延々と遊んでしまう。
昼食後に、また30分か1時間。家人と一緒に3人で夕食を取った後、ファミコンを一番やりたがるのは私で、もちろん、他の2人にも譲って、傍で見ていることもある。2人は飽きるのが早く、それぞれの自室へ。その後、私1人で延々とファミコンで遊ぶ。就寝時刻になっても、やめられない。そこで、
「誰か止(と)めて! やめさせて~!」
ドア越しに声を張り上げて、そう言うと、やがて家人の1人がリビングに入って来て、
「ま~だ、やってる」
と、呆れて、わざと止めないでキッチンなどへ行く。もう1人の家人がリビングに入って来て、
「よく飽きないね。今、何時だと思ってるの」
と、呆れて、わざと止めないでキッチンなどへ行く。
それから、ようやく、傍に誰かが来て、この1回でやめなさいと監視つきになり、
「はい、おしまい!」
と、私の手からファミコンを取り上げる。
「ああ、ようやく、やめられた!」
と、ため息つけば、アホみたいと言わんばかりに家人から呆れられ、入浴したり就寝したりという日々だった。
トランプやチェスなら、相手が、もうやめると言えば終了するが、1人でのゲームは延々と遊んでしまうことになる。
ただ、1人で遊ぶゲームは、執筆の気分転換にもなったし、書き上げた後の解放感からの楽しみにもなったし、他にもいいことがあった。頭の隅に残っていて離れ難いこと、または胸の隅に残っている想いや感情を、消去する効果があるということだった。
パソコン・ゲームであれファミコンであれ、画面を見たまま手指で操作しながら、ふと、先日会った友人知人のことが思い出されたりする。
(どうして、あの時、あの人は、ああいう態度を取ったのかしら)
(何故、あんなことを私に言ったのかしら)
(あの時、こう言えば良かったのかも、誤解されたのかも……)
(私がいけなかったんだわ。あの人が悪いわけじゃないわ。ううん、私だって、悪くないもの)
(じゃ、どうして、ああいうことになっちゃったのかしら)
(あの時の潜在心理、深層心理は……)
などと、延々と分析したり思い出したり考えたりしているうちに、
(そうだわ! こういうことだったんだわ……!)
と、ようやく〈謎〉が解明する、頭の隅から離れないことや胸の隅の感情が消える、ということが、よくあった。それで、ようやく解決したという気分になり、離れ難かった想いや感情が消え去ることで、精神衛生にとても良かったのである。
それこそ、私にとっての、ゲームの効用だった。
ただし、ゲームは必ず、飽きる日が来る。
ゲームで遊ばなくなった最近は、テレビで海外紀行番組の録画などを見ながら、チラチラと浮かぶ〈謎〉があると、分析したり思い出したり考えたりして、頭の隅から離れ難いことや胸の隅に残る感情を消去することにしている。
以前、携帯電話でゲームをしたことがあるが、すぐ、やめてしまった。ゲームにハマりやすい性分なので、携帯電話のゲームに夢中になったら、私にとっては〈悲惨な生活〉になると思ったからである。
就寝前に、ベッドに横になって、携帯電話の『マイピクチャー』に保存した写真を見る習慣がある。どこかへ出かけた記念写真やオペラ歌手の写真が多数、保存してある。オペラ歌手の写真は、DVDやビデオ録画を停止させての画面撮影と、HPなどからダウンロードしたのをパソコンから転送した写真である。それらを、ひととおり見てから、携帯電話を枕元に置いて寝る。時には、ワンセグを見たりすることもある。
その上、携帯電話でゲームに夢中になってしまったら、延々と遊んで、眠れなくなってしまう。睡眠不足は美容の敵、美容だけでなく健康も損ねてしまうかもしれない。それで、携帯電話のゲームは、すぐ、やめた。
パソコンでもできるゲーム・サイトが、たくさんある。また、パソコンを購入するたび、ゲーム・ソフトが、いくつも入っている。
パソコンを始めたばかりのころ、入っていたゲーム・ソフトに夢中になって、午前2時3時まで遊んだ夜が、よくあった。始めるのは、夕食と入浴をすませた後である。現在のように、テレビで映画やオペラを連日のように観る趣味も習慣もなく、1日の終わりは読書が多かったが、いつの間にか、パソコン・ゲームに夢中になってしまったのである。
(もう午前だわ、早く寝なくちゃ)
(こんなことしてないで、明日の予定のために、たっぷり睡眠取らなくちゃ)
(あと1回だけで、やめようっと)
(時間の浪費だわ、ああ、睡眠不足は美容の敵)
そんな言葉を胸に呟きながら、なかなか、やめられないのである。
けれど、ついに、どのゲームにも飽きてしまった。
(もう、や~めた)
という気分になり、パタッと遊ばなくなる。
その後、そのパソコンも、買い換えてからのパソコンも、ゲーム・ソフトは、すべて削除してしまうことにした。
携帯電話でのゲームは、すぐ、やめたけれど、パソコンでのゲームは半年以上、続いた。もっと長く続いたゲームが、20数年前に夢中になったファミコンである。当時、1週間の半分を神奈川で、半分を東京で暮らすという、今思えば実にメリハリのある生活をしていた。神奈川の家に、ファミコンがあった。私が特に夢中になったのは、『パックマン』『スペースインベーダー』『テトリス』。他にもいろいろあり、2人で遊ぶゲームもあった。家人を含めて3人で代わるがわる遊んだりしたが、日中は家の中に私1人。朝、2人の家人が出かけると、机に向かわなければならないのに、
(ちょっと30分だけ遊んでから、原稿書こうっと)
そう自分に言い聞かせ、まるで執筆前の儀式のように、ワクワクしながらファミコンを始める。
30分が1時間になり、2時間になり……。
(こ、こんなことしてる場合じゃないわ、早く原稿書かなくちゃ)
(私ってアホみたい。こんな時間の浪費を延々として)
(ううん、人生には無駄な時間も必要なんだわ)
あれこれ呟きながら、1人だけのリビングルームで、延々と遊んでしまう。
昼食後に、また30分か1時間。家人と一緒に3人で夕食を取った後、ファミコンを一番やりたがるのは私で、もちろん、他の2人にも譲って、傍で見ていることもある。2人は飽きるのが早く、それぞれの自室へ。その後、私1人で延々とファミコンで遊ぶ。就寝時刻になっても、やめられない。そこで、
「誰か止(と)めて! やめさせて~!」
ドア越しに声を張り上げて、そう言うと、やがて家人の1人がリビングに入って来て、
「ま~だ、やってる」
と、呆れて、わざと止めないでキッチンなどへ行く。もう1人の家人がリビングに入って来て、
「よく飽きないね。今、何時だと思ってるの」
と、呆れて、わざと止めないでキッチンなどへ行く。
それから、ようやく、傍に誰かが来て、この1回でやめなさいと監視つきになり、
「はい、おしまい!」
と、私の手からファミコンを取り上げる。
「ああ、ようやく、やめられた!」
と、ため息つけば、アホみたいと言わんばかりに家人から呆れられ、入浴したり就寝したりという日々だった。
トランプやチェスなら、相手が、もうやめると言えば終了するが、1人でのゲームは延々と遊んでしまうことになる。
ただ、1人で遊ぶゲームは、執筆の気分転換にもなったし、書き上げた後の解放感からの楽しみにもなったし、他にもいいことがあった。頭の隅に残っていて離れ難いこと、または胸の隅に残っている想いや感情を、消去する効果があるということだった。
パソコン・ゲームであれファミコンであれ、画面を見たまま手指で操作しながら、ふと、先日会った友人知人のことが思い出されたりする。
(どうして、あの時、あの人は、ああいう態度を取ったのかしら)
(何故、あんなことを私に言ったのかしら)
(あの時、こう言えば良かったのかも、誤解されたのかも……)
(私がいけなかったんだわ。あの人が悪いわけじゃないわ。ううん、私だって、悪くないもの)
(じゃ、どうして、ああいうことになっちゃったのかしら)
(あの時の潜在心理、深層心理は……)
などと、延々と分析したり思い出したり考えたりしているうちに、
(そうだわ! こういうことだったんだわ……!)
と、ようやく〈謎〉が解明する、頭の隅から離れないことや胸の隅の感情が消える、ということが、よくあった。それで、ようやく解決したという気分になり、離れ難かった想いや感情が消え去ることで、精神衛生にとても良かったのである。
それこそ、私にとっての、ゲームの効用だった。
ただし、ゲームは必ず、飽きる日が来る。
ゲームで遊ばなくなった最近は、テレビで海外紀行番組の録画などを見ながら、チラチラと浮かぶ〈謎〉があると、分析したり思い出したり考えたりして、頭の隅から離れ難いことや胸の隅に残る感情を消去することにしている。
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