一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

略奪婚と離婚

2001年01月24日 | 女のホンネ
 知り合いの女性で、シングル・マザーがいる。彼女は、愛人と結婚する約束で、高齢出産した。愛人は、毎日、彼女のマンションに通って来ると言う。
「ええ~ッ、毎日なんて!」
 思わず驚きの声をあげたのは、毎日ベッドで肉体が可能になる精力絶倫男性と思い込んだのだ。
 よくよく話を聞くと、そうではないらしい。
「まさか」
 と、彼女はケタケタと笑い、
「彼って、もう50よ。毎日なんて、できるわけないでしょ」
 まるで、あなたって想像力不足ねと言わんばかりの口調で言った。彼の年齢はすでに聞いていたからである。
 1歳の子を保育所に預けて仕事している彼女は、とても愛人してる女性に見えない。ベテラン妻の落ちつきというか、彼のことを話す時も淡々とした表情と口調である。
 彼の家庭には、小学生がいる。その男の子が中学校に入学したら、妻と離婚して、彼女と結婚することになっているらしい。
「中学生っていうと、多感な時期、思春期ね」
 つい、そんなことを言ったら、彼女は私をチラッと見て、黙ったままだった。子供が思春期の時に離婚するなんてと批難したつもりは全くなかったのに、不快にさせてしまったかしらと、ちょっぴり後悔。
 そこで、
「もちろん、彼は、愛のない奥さんとより、愛する◇◇さんと暮らしたいから離婚を決心したんでしょうね」
 と、彼女を喜ばせることを言ってあげた。
 けれど──。
 一時期、流行った言葉の〈掠奪婚〉。そんな道を選べる女性は、本当に勇気がある女性と、驚き、感心する。もちろん私だって、もし不倫したら、相手の男性に、「奥さんと別れて」と言いたくなるかもしれない。けれど、恋の情熱のために妻子に対する責任を放棄してしまう男性の人間性に、魅力を感じたままでいられるかどうかわからない。
 ただし、奥さんにも不倫相手がいて、協議離婚ということなら、話は別である。離婚は、決して結婚の失敗ではない。人生の1つの区切り、第1幕が終わった後、第2幕は必ず開くのだから。人生を新たにスタートするということであり、そうしたくてもできない人たちから羨望されることはあっても、批難や軽蔑や同情をされる人生の選択ではない。
「人生は1度きり」という言葉があるが、離婚を経験した人間は、「人生が2度ある」と言えるのである。世間には離婚したくても、世間体や自立の不安から、できない人たちのほうが圧倒的に多い。「人生が2度ある」道を選択できる人は、ラッキー、幸運だと言えるような気がする。
 彼女の愛人男性と妻の離婚は、思春期の息子のことを考えた上でも、人生の再スタートをするという決意の協議離婚であり、それはそれで夫婦の自由な選択であり生き方だと思う。
〈掠奪婚〉の予定の彼女の話によると、愛人男性は50歳という年齢で子供を作ったことを誇らしく思い、その子に責任を感じているらしかった。それもまた、無理もないこと。さらに、若さを失った男性にとって、子供の誕生は、男としての能力の証明に感じられるのかもしれない。
「それで毎日、うちに来るのよ」
 愛人というよりベテラン主婦のような落ちついた顔つきで、彼女は言った。
 な~んだ、と私は自分のカン違いがおかしくなり、
「トシ取ってできた子供の顔を毎日見に来る男より、毎晩、愛人を抱きに来る男のほうが魅力的だわあ」
 冗談混じりに、そう言ったら、
「○○さんらしいこと言うわね」
 彼女は呆れたような顔で、私をチラッと見た。
この記事についてブログを書く
« アノ最中の言葉 | トップ | 男性のお洒落感覚 »

女のホンネ」カテゴリの最新記事