一条きらら 近況

【 近況&身辺雑記 】

母の日記

2012年07月14日 | 最近のできごと
 実家へ行くと、母と居間で食べたり飲んだりしながらお喋りするが、廊下を隔てた母の部屋にも入る習慣がある。高齢の母は洗濯物を畳んでタンスにしまうのが苦手になったため、義姉がいつもしているので、私と姉が行った時は代わりにしてあげる。昨年、暮れに行った時、部屋の隅に母の日記帳が積み重ねてあるのを見て、
「どうして、ここに出してあるの?」
 と聞くと、
「燃やしちゃうの」
 母がそう言うので、
「もったいない! どうして!」
 驚いて聞き返したら、
「もう読み返さないから。みんな燃やしちゃった。残ってるそれも燃やしちゃうの」
 淡々とした口調で、母がそう答えた。
「どうして?! もったいない!」
 私は繰り返し、言った。
「読みたいわ! お母さんの日記、全部読みたかったのに! 読んじゃ駄目?」
 そう聞くと、
「いいよ」
 と母が言うので、10数冊の日記帳を大きな紙袋に入れて貰って来た。母が60代から70代にかけての日記帳で、それ以前のも、それより後の日記帳も見かけて知っている。燃やさないうちに全部貰ってくれば良かったと激しく悔やまれた。まさか燃やしてしまうとは思わなかったのである。
 その日記帳には、私が知らなかった母の生活や、日々の想いが綴られていて、とても一気には読めなかった。毎年、1日も欠かさず、就寝前に書いてある。私が実家で暮らしていたころも、テレビをつけた居間で、母が日記を書く姿を毎晩見ていた。母がペンを置くと、時々、どんなことを書いたのか、その日記を見せて貰ったりした。昔から母は達筆が自慢で、日記の内容や文章より、達筆の文字を私が見ることを喜んだ。
 久しぶりに母の日記を読んでみると、初めて知ったことが多くあった。こんなに母は頻繁に温泉旅行へ行き、歌舞伎や芝居を観に行き、カラオケを歌っていた──と、驚かされた。月に2度も温泉旅行に出かけている時もある。歌舞伎や芝居のチケットを、兄が買ったり貰ったりすると父と一緒に行き、母の妹である叔母の息子たちが買ったり貰ったりすると叔母と一緒に行っていた。歌舞伎や芝居を母が好きだということは知っていたが、こんなによく出かけていたというのも驚きだった。
 カラオケは、近所の親しい人がホーム・カラオケを持っていて、それを車で運んではあちらの家こちらの家で、手料理の御馳走を作り、皆で食事をしながらホーム・パーティのような感じで楽しんだり、地域の歌の会があって、歌の練習やカラオケ・パーティのような会にも頻繁に参加している。歌うのは演歌で、母は、同じ曲目を歌う人に負けたくないとか、上手に歌えたとか、録音テープを聞いて自分の歌に満足していることが書いてあって微笑ましくなる。母は声がよく通る人だから上手かもしれないと思った。午後はカラオケの練習とか書道を習いに行くとか、いきいきと楽しそうな文章で書かれている。本家だから来客が多く、おみやげの品物まで書いてある。冠婚葬祭や入院見舞いに行くことも多い。
 健康に関しても、いろいろ書いてある。60代半ばから母は降圧剤を飲んでいたが、
 ──医者へ行き血圧を計ったら90-146で安心した。──
 という文章があり、昔と現在の血圧基準の相違に驚かされた。医療業界の都合で数値が厳しくなった現在では、安心できない高血圧の数値である。母の〈健康観〉が読み取れることも興味深い。風邪をひいたり頭痛がしたり食欲がなかったり疲れたりしても、常にプラス思考であることに感心する。眠れば治る、日が経てば治る、という考え方をいつもしている。翌日治ると、一晩ぐっすり眠ったからとか、日にちが経ったからと、ちゃんと書いてある。70歳前の時、自宅の廊下で転び大腿骨頸部骨折で、母は生まれて初めての入院。連日のように来る見舞い客の名前や見舞い品もすべて書いてある。私が見舞いに行ったことも書いてあった。
(そう言えば、あの時、お母さんたら……)
 兄からの電話に驚き、すぐ見舞いに行ったが、病室でお喋りしているうち、母は、
「死ぬわけじゃないんだから、もう帰りなさいよ」
 勝ち気な口調で、そう言ったものである。その言葉には驚かされ、おかしくもなり、病室にいた義姉と一緒に思わず笑ってしまった。
 けれど、日記には、
 ──○子(私の名前)が見舞に来た。嬉しかった。──
 と書いてある。「死ぬわけじゃないんだから、もう帰りなさいよ」と素っ気ない言葉を口にした母は、内心、うれしかったのだ──と、しみじみとした気持ちになった。
 入院中、お盆の日を迎え、嫁いでから毎年、お盆棚を設けお盆飾りをして来たことが、今年はできないと無念そうに書いてある。また、1年の終わりには必ず、その年を振り返る文章があるが、入院経験のことも、
 ──今年は私にとって忘れられない年。初めての入院。でも、病気でなくて、怪我で良かった。──
 というプラス思考ぶり。
 外出が大好きな母は、どこかへ出かけて、自宅の最寄り駅に戻ると、たいてい連れの人とデパートに寄ってお寿司を食べてから帰る。それは昔から変わらない。
 感心するのは、嫌なことや否定的なことや後悔や他人の批判などが、一言も書かれていないのである。
 昨年、暮れに、「もう読み返さないから」日記を処分すると言っていたように、時々、
 ──昨年のこの日は──
 という記述がある。読み返す楽しさがあったのだと思った。
 今年の3月、母は珍しく風邪をひいた。義姉から電話で、母がデイ・サービスへ行くのを休み、寝込んでいて、私と姉が来ないと毎日言っている、ということと、母をかかりつけの医院と、病院へ検査に連れて行ったと言うので、私と姉は心配になり早く行きたかったが、姉も風邪をひいていた。数日後に、母と義姉に電話し、
「今日、1人で行くわ。お姉さん、咳が止まらないらしいから」
 と、義姉に言うと、
「1人でいいのよ、あなたのことばかり言ってるから。○子(姉の名前)さんのことは一言も言わない!」
 と、以前にも言っていた極端な言葉を口にするので、ちょっぴりおかしかった。母が私にだけ会いたいというわけではなく、姉は毎月、実家へ行っているが、私はそうでもないせいである。
 行ってみると、思ったより母は元気で、咳は出ないし熱は下がったと聞いていたが、おみやげのお菓子もよく食べるくらい食欲もあり、何より、いつもと同じようによく喋るので、ああ良かったと私は心から安堵した。母の弱々しい声を想像し、不安だったのだ。
「心配してソンしたわ」
 冗談を言うと、
「もう、私も駄目かと思った」
 オーバーなほど深刻な口調で母は言った後、
「風邪は日柄なの。日にちが経てば治るの」
 と、日記と同じプラス思考ぶりに、私は笑ってしまった。
 かかりつけの医院に義姉が連れて行ったのは、3年前、近くに開院した病院は紹介状がないと診察を受け付けないので、その紹介状を書いて貰うためだった。病院で母はレントゲンと血液検査を受けたが、異常はなかったということで安心した。
 私は、持って行った母の日記を読んで聞かせた。温泉旅行に行った話や、歌舞伎や芝居、カラオケと書道のことなど、母は思い出して楽しそうに語った。その後、ふたたび週に4日デイ・サービスへ通って、休みの日には時々、電話をかけてくる。
 先日は父の命日のお墓参りに行き、その後、実家に寄った。母は少しずつ、記憶が、まだらになってくる。何度も同じことを聞く。思い出せない言葉もある。私の質問に、「そんなこと忘れちゃったわよ!」と、声を高くする。帰る私と姉を、玄関で見送ってくれて、「今度は、いつ来るの?」と、いつも同じことを言う。寂しそうな言葉を、誇張して言うので、帰るに帰れない気分になる。
 加齢と共に記憶が、まだらになってくることを母は自覚している、その気持ちを想像すると、せつなくて涙がこみあげそうになる。
(でも、お母さんはプラス思考の人だもの)
 高齢になったら、記憶がまだらになってくるのは自然なことと考えているはず──と、そう思いたかった。




                              


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