店の看板を見た時、
「深夜プラスワン、何てユニークで素敵な名前」
そう呟いた記憶がある。『深夜+1(プラスワン)』は新宿ゴールデン街にある小さなバー。新宿ゴールデン街は、新宿歌舞伎町にある飲食店街で、20数年前、先輩作家やベテラン編集者に連れられて5、6度行ったことがある。近くに花園神社があり、狭い路地の両側にズラリと並ぶ看板や照明など独特の雰囲気の新宿ゴールデン街は、作家や編集者や評論家やジャーナリストが集まる街として知られていた。
私が初めて新宿ゴールデン街に行ったのは、『まえだ』という店だった。文壇バーとして有名な店ということで先輩作家に連れて行かれたのだが、何て小さな店舗と驚いた。『まえだ』のママは名物ママと評判らしく、常連客だった作家が著書に書いているのを読んだことがある。私はあまり言葉を交わした記憶はないが、店に行ったのだから、何か話したと思う。けれど、どんな言葉を交わしたか覚えていない。ちょっと男まさりの厳しそうな感じのママという印象だった。カウンターの内側のママが、著名な作家の名前を何人かあげて、
「◇◇は新人のころから、うちに来てたから。今ではあんな有名になったけど、私が一人前の作家に育てたのよ」
というような言葉が決して自慢話に聞こえなかった。
数年後、親しい編集者○○さんに新宿ゴールデン街へ連れられて行った。酒好き名物編集者の1人である○○さんのハシゴ酒ぶりはハンパではないという感じで、1軒の店でウィスキーのオン・ザ・ロックを1杯飲みほすと、「じゃ、そろそろ」と私を見て立ち上がる。そろそろと言うほど長時間いたわけではないのにと、おかしかった。他の場所で飲んだ時と同様、新宿ゴールデン街もハシゴ酒を延々と。どの店へ行っても、ママから○○ちゃん○○ちゃんと呼ばれて人気があった。店を出てから、○○さんが、
「あのママはね……」
と、私が驚くようなことを、さり気ない口調で言ったりするのも面白かった。
「そんなプライベートなこと、よく知ってるのね。あのママと親密な関係?」
冗談半分に聞くと、
「とんでもないっ、知ってるのはぼくだけじゃないっ、みんな知ってる、有名っ」
アハハハハと楽しそうに笑った。その独特な笑い方を思い出すと、今でもクスッと笑ってしまう。
店のママの名前がつくバーが多い中で、『深夜+1(プラスワン)』というユニークな名前の店に連れて行ってくれたのは志茂田景樹氏だった。新宿ゴールデン街の他の店で何軒か飲んだ後である。
実は私は、狭所恐怖症というわけではないが、小さな空間の店に長時間いるのが苦手。店のママや常連客など初めて会って、どんな人かしらと興味が湧くものの、1時間もたつと飽きてしまい、その狭い空間にいることが何となく落ち着かなくなる。志茂田景樹氏はフェミニストだから、そんな私が少しでも退屈している雰囲気を感じ取ると、さっと店を出る。
けれど、『深夜+1(プラスワン)』では話が弾んで面白かったせいか、他の店のようにすぐ飽きなかった。店のオーナーや従業員や他の客と志茂田景樹氏のやり取りを聞くのも楽しかった。オーナーは昨年暮れに亡くなったコメディアンで書評家の内藤陳さんで、その日は偶々(たまたま)、来ていたらしかった。ジョークも巧みで、相手を飽きさせない話をする面白くて個性的な人だった。店を出る時、コートを着せかけてくれながら印象に残る言葉もかけてくれたことを思い出す。
『深夜+1(プラスワン)』で飲んだのは、その時1度だけ。新宿ゴールデン街へ行ったのも、記憶違いでなければ、その夜が最後だった。
「深夜プラスワン、何てユニークで素敵な名前」
そう呟いた記憶がある。『深夜+1(プラスワン)』は新宿ゴールデン街にある小さなバー。新宿ゴールデン街は、新宿歌舞伎町にある飲食店街で、20数年前、先輩作家やベテラン編集者に連れられて5、6度行ったことがある。近くに花園神社があり、狭い路地の両側にズラリと並ぶ看板や照明など独特の雰囲気の新宿ゴールデン街は、作家や編集者や評論家やジャーナリストが集まる街として知られていた。
私が初めて新宿ゴールデン街に行ったのは、『まえだ』という店だった。文壇バーとして有名な店ということで先輩作家に連れて行かれたのだが、何て小さな店舗と驚いた。『まえだ』のママは名物ママと評判らしく、常連客だった作家が著書に書いているのを読んだことがある。私はあまり言葉を交わした記憶はないが、店に行ったのだから、何か話したと思う。けれど、どんな言葉を交わしたか覚えていない。ちょっと男まさりの厳しそうな感じのママという印象だった。カウンターの内側のママが、著名な作家の名前を何人かあげて、
「◇◇は新人のころから、うちに来てたから。今ではあんな有名になったけど、私が一人前の作家に育てたのよ」
というような言葉が決して自慢話に聞こえなかった。
数年後、親しい編集者○○さんに新宿ゴールデン街へ連れられて行った。酒好き名物編集者の1人である○○さんのハシゴ酒ぶりはハンパではないという感じで、1軒の店でウィスキーのオン・ザ・ロックを1杯飲みほすと、「じゃ、そろそろ」と私を見て立ち上がる。そろそろと言うほど長時間いたわけではないのにと、おかしかった。他の場所で飲んだ時と同様、新宿ゴールデン街もハシゴ酒を延々と。どの店へ行っても、ママから○○ちゃん○○ちゃんと呼ばれて人気があった。店を出てから、○○さんが、
「あのママはね……」
と、私が驚くようなことを、さり気ない口調で言ったりするのも面白かった。
「そんなプライベートなこと、よく知ってるのね。あのママと親密な関係?」
冗談半分に聞くと、
「とんでもないっ、知ってるのはぼくだけじゃないっ、みんな知ってる、有名っ」
アハハハハと楽しそうに笑った。その独特な笑い方を思い出すと、今でもクスッと笑ってしまう。
店のママの名前がつくバーが多い中で、『深夜+1(プラスワン)』というユニークな名前の店に連れて行ってくれたのは志茂田景樹氏だった。新宿ゴールデン街の他の店で何軒か飲んだ後である。
実は私は、狭所恐怖症というわけではないが、小さな空間の店に長時間いるのが苦手。店のママや常連客など初めて会って、どんな人かしらと興味が湧くものの、1時間もたつと飽きてしまい、その狭い空間にいることが何となく落ち着かなくなる。志茂田景樹氏はフェミニストだから、そんな私が少しでも退屈している雰囲気を感じ取ると、さっと店を出る。
けれど、『深夜+1(プラスワン)』では話が弾んで面白かったせいか、他の店のようにすぐ飽きなかった。店のオーナーや従業員や他の客と志茂田景樹氏のやり取りを聞くのも楽しかった。オーナーは昨年暮れに亡くなったコメディアンで書評家の内藤陳さんで、その日は偶々(たまたま)、来ていたらしかった。ジョークも巧みで、相手を飽きさせない話をする面白くて個性的な人だった。店を出る時、コートを着せかけてくれながら印象に残る言葉もかけてくれたことを思い出す。
『深夜+1(プラスワン)』で飲んだのは、その時1度だけ。新宿ゴールデン街へ行ったのも、記憶違いでなければ、その夜が最後だった。