西大路七条の交差点から南西の方向にある。周囲は住宅密集地で、その中にあるお寺は 比較的分かりやすい。大雲寺の創建や由緒等のことについては情報がなく不明だ。やや小さめの山門をくぐり境内に入ると、かなり細長くまた思いのほか広い境内となっている。植物があちこち植えられており、季節によっては綺麗な花なども咲く状態になるだろう。
少し進むと祠があり中には数体の石地蔵が並んでいる。さらに進むと本堂と結ぶ渡り廊下があった。このような建物は仏教寺院にはたまに見られるが、大半は中規模から大規模なお寺となる。比較的小さなお寺では非常に珍しいと言える。渡り廊下の反対側には巨木がたち、そこにはひょっとしてかつて池があったのかもしれない。普段は訪れる人が少ないであろうが、池なども見られるとすれば一つの名所になった可能性がある。
大雲寺という名前のお寺は京都市内に3箇所ほどあるが、他の 2箇所は比較的有名なお寺であり、また重要文化財を有するお寺もある。こちらの方はその点、全く不明だ。浄土宗のお寺であり本尊は阿弥陀如来となる。
ところでこのお寺のように「雲」という文字がつくお寺は比較的多い。仏教において雲というのは、やはりそれ相応の意味があるものだ。仏像でもあるいは絵画に描かれた阿弥陀如来でも、雲に乗って空を飛んでいるような場面が比較的よく見られる。本来は人が臨終でなくなる時に西方極楽浄土 から、阿弥陀仏が多くの菩薩などを引き連れて雲に乗ってお迎えに来るものだとされている。これは平安時代あたりから見られる信仰の形態の一つだ。そういった意味では雲というのは、人々の最後の場面で優しくお迎えに来られて、安らかに極楽へ旅立つ。心も穏やかで安心感のある姿として人々の信仰を集めた。直接菩薩などに雲の名前がつけられたものもあり、特に有名なものが宇治市の平等院にある「運中供養菩薩」であり、一体一体が全て雲に乗りお迎えに来る様子を表している。50体以上あるが全て一つ一つが国宝に指定されている。
従って大雲寺という名前は、どんな人でも臨終を迎えた時に大きな雲に乗って安心して 西方極楽へ旅立って行けるように願う思いが込められた名前となっているんだろうと思う。