今日も蒸し暑い一日。連日気温は30度越え。
午前中はウォーキングの後、スマホのデータをクラウドにアップロードしつつ、パソコンなど他の端末と共有できるように設定をしていたが、結構苦戦した。アカウントの設定が複数あって、本来これを整理して単純化すべきだったところ、以前になぜか複数設定していた。いざという場合、こういうことが結構面倒なことを引き起こす。
久御山町の雙栗神社へ行く。
久御山町は、人口約1万5000人余り。鉄道はないが道路網はよく整備されていて、国道1号、24号、京滋バイパス、第二京阪などが通り、昔から地の利を活かして工場がたくさん進出し、その税収から地方交付税を受け取っておらず、黒字の優良自治体。商業施設もイオンモールができて、大きな集客力を持っている。
名所としてはおそらく「流れ橋」が一番有名かもしれない。木津川の流れが激しくなると、橋の板がすぐに外れるようになっていて、橋全体の倒壊を防ぐようになっている。ここでは時々、時代劇の撮影なんかも行われている。
さて雙栗神社だが、久御山町のホームページには以下のように紹介されている。
『雙栗神社は佐山双栗に鎮座し、『延喜式神名帳』に記載されている神社で、『三代実録』貞観元年(859)正月27日の条に見える雙栗神と考えられています。
中世以降は石清水八幡宮の分霊を祀ったことから、椏本(あてもと)一品八幡宮と呼ばれました。雙栗神社の本殿の規模と形式は、石清水八幡宮の分霊を祀ることから三間社(正面の柱間が三間の本殿)流造
に造られています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面に向拝を付けています。
本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股(かえるまた)があります。また脇障子の上部には「りすとぶどう」をあしらった精巧な彫刻をほどこしてします。
本殿の建立年次については、室町時代末、社伝にいう明応3年(1494)頃のものと考えられています。本殿は、昭和55年~56年にかけて彩色の塗替えと屋根の葺替がおこなわれました。』
由緒については、立て札の写真の通り。
本殿が国重要文化財に指定されていて、実際に見てみるとかなり堂々として、何か格式の高さのようなものを感じさせる。本殿の向かい側にはかなり広い森林が広がり、この場所だけ清寂と涼しさが感じられる。神社の周囲は大きな団地と幹線道路。そういった意味では町民の憩いの場になっていると思う。
名前の由来を色々調べてみたけど、雙栗の意味はわからなかった。しかし、平安時代にはすでにこの名前があったらしく、語源としてはこの地の古代豪族の名前から来てるのではないかという説があるらしい。上記の町のホームページの紹介にあるように、その辺のところが少し紹介されている。この周囲にもここに関わりのあるような地名はない。
元々久御山町自体が、かつては大きな巨椋池を干拓した後にできた町なので、この神社の辺りは巨椋池の沿岸近くだったのかもしれない。まあこれも町史などを見てみないとなかなかわからないと思う。
1000年以上の歴史を持つ神社として、とても貴重なものだと改めて思えた。
午前中はウォーキングの後、スマホのデータをクラウドにアップロードしつつ、パソコンなど他の端末と共有できるように設定をしていたが、結構苦戦した。アカウントの設定が複数あって、本来これを整理して単純化すべきだったところ、以前になぜか複数設定していた。いざという場合、こういうことが結構面倒なことを引き起こす。
久御山町の雙栗神社へ行く。
久御山町は、人口約1万5000人余り。鉄道はないが道路網はよく整備されていて、国道1号、24号、京滋バイパス、第二京阪などが通り、昔から地の利を活かして工場がたくさん進出し、その税収から地方交付税を受け取っておらず、黒字の優良自治体。商業施設もイオンモールができて、大きな集客力を持っている。
名所としてはおそらく「流れ橋」が一番有名かもしれない。木津川の流れが激しくなると、橋の板がすぐに外れるようになっていて、橋全体の倒壊を防ぐようになっている。ここでは時々、時代劇の撮影なんかも行われている。
さて雙栗神社だが、久御山町のホームページには以下のように紹介されている。
『雙栗神社は佐山双栗に鎮座し、『延喜式神名帳』に記載されている神社で、『三代実録』貞観元年(859)正月27日の条に見える雙栗神と考えられています。
中世以降は石清水八幡宮の分霊を祀ったことから、椏本(あてもと)一品八幡宮と呼ばれました。雙栗神社の本殿の規模と形式は、石清水八幡宮の分霊を祀ることから三間社(正面の柱間が三間の本殿)流造
に造られています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面に向拝を付けています。
本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股(かえるまた)があります。また脇障子の上部には「りすとぶどう」をあしらった精巧な彫刻をほどこしてします。
本殿の建立年次については、室町時代末、社伝にいう明応3年(1494)頃のものと考えられています。本殿は、昭和55年~56年にかけて彩色の塗替えと屋根の葺替がおこなわれました。』
由緒については、立て札の写真の通り。
本殿が国重要文化財に指定されていて、実際に見てみるとかなり堂々として、何か格式の高さのようなものを感じさせる。本殿の向かい側にはかなり広い森林が広がり、この場所だけ清寂と涼しさが感じられる。神社の周囲は大きな団地と幹線道路。そういった意味では町民の憩いの場になっていると思う。
名前の由来を色々調べてみたけど、雙栗の意味はわからなかった。しかし、平安時代にはすでにこの名前があったらしく、語源としてはこの地の古代豪族の名前から来てるのではないかという説があるらしい。上記の町のホームページの紹介にあるように、その辺のところが少し紹介されている。この周囲にもここに関わりのあるような地名はない。
元々久御山町自体が、かつては大きな巨椋池を干拓した後にできた町なので、この神社の辺りは巨椋池の沿岸近くだったのかもしれない。まあこれも町史などを見てみないとなかなかわからないと思う。
1000年以上の歴史を持つ神社として、とても貴重なものだと改めて思えた。