切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

久御山町の雙栗神社

2017-05-31 23:21:44 | 撮影
 今日も蒸し暑い一日。連日気温は30度越え。
 午前中はウォーキングの後、スマホのデータをクラウドにアップロードしつつ、パソコンなど他の端末と共有できるように設定をしていたが、結構苦戦した。アカウントの設定が複数あって、本来これを整理して単純化すべきだったところ、以前になぜか複数設定していた。いざという場合、こういうことが結構面倒なことを引き起こす。

 久御山町の雙栗神社へ行く。 

 久御山町は、人口約1万5000人余り。鉄道はないが道路網はよく整備されていて、国道1号、24号、京滋バイパス、第二京阪などが通り、昔から地の利を活かして工場がたくさん進出し、その税収から地方交付税を受け取っておらず、黒字の優良自治体。商業施設もイオンモールができて、大きな集客力を持っている。
 名所としてはおそらく「流れ橋」が一番有名かもしれない。木津川の流れが激しくなると、橋の板がすぐに外れるようになっていて、橋全体の倒壊を防ぐようになっている。ここでは時々、時代劇の撮影なんかも行われている。

 さて雙栗神社だが、久御山町のホームページには以下のように紹介されている。

 『雙栗神社は佐山双栗に鎮座し、『延喜式神名帳』に記載されている神社で、『三代実録』貞観元年(859)正月27日の条に見える雙栗神と考えられています。
 中世以降は石清水八幡宮の分霊を祀ったことから、椏本(あてもと)一品八幡宮と呼ばれました。雙栗神社の本殿の規模と形式は、石清水八幡宮の分霊を祀ることから三間社(正面の柱間が三間の本殿)流造
 に造られています。屋根は檜皮葺(ひわだぶき)で、正面に向拝を付けています。
 本殿の斗供間には向かって左に「花と鳥」右に「紅葉と鹿」を彫刻した蟇股(かえるまた)があります。また脇障子の上部には「りすとぶどう」をあしらった精巧な彫刻をほどこしてします。
 本殿の建立年次については、室町時代末、社伝にいう明応3年(1494)頃のものと考えられています。本殿は、昭和55年~56年にかけて彩色の塗替えと屋根の葺替がおこなわれました。』

 由緒については、立て札の写真の通り。
            

 本殿が国重要文化財に指定されていて、実際に見てみるとかなり堂々として、何か格式の高さのようなものを感じさせる。本殿の向かい側にはかなり広い森林が広がり、この場所だけ清寂と涼しさが感じられる。神社の周囲は大きな団地と幹線道路。そういった意味では町民の憩いの場になっていると思う。
 名前の由来を色々調べてみたけど、雙栗の意味はわからなかった。しかし、平安時代にはすでにこの名前があったらしく、語源としてはこの地の古代豪族の名前から来てるのではないかという説があるらしい。上記の町のホームページの紹介にあるように、その辺のところが少し紹介されている。この周囲にもここに関わりのあるような地名はない。
 元々久御山町自体が、かつては大きな巨椋池を干拓した後にできた町なので、この神社の辺りは巨椋池の沿岸近くだったのかもしれない。まあこれも町史などを見てみないとなかなかわからないと思う。
 1000年以上の歴史を持つ神社として、とても貴重なものだと改めて思えた。

   

 
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宇治市笠取の称名寺・・・・残念・・・東笠取清瀧宮

2017-05-30 23:31:17 | 撮影
 朝からとても暑い。午前中は新聞、ネットニュースなどを読んでいると、強烈な眠気が襲ってくる。むしむしする暑さのなか、笠取にある称名寺に行くことにした。

 笠取とは宇治市の北東山間部の地域で、すぐ隣が大津市の山間部になっている。笠取にはそこそこの集落があり、アクトパル宇治という宿泊を兼ねた総合研修施設がある。よく学校などが利用している。


 宇治川沿いに沿って行とそこそこ時間がかかるので、京滋バイパスを利用する。笠取の集落を北上し、一気に山の中に入っていく。途中は森林ばかりで、カーブの連続を上がりさらに降りて行き、小さな集落が見えてくると東笠取の地域。その一角に目指す称名寺がある。
 


 寺の前まで行くと老人が出てきて、拝観の旨伝えると少し考え込んで、今は片づけをしていて忙しくて駄目だ、と言う。どう見てもそんな感じには見えない。第一この人、住職さんではなさそう。もう一度頼むとぶっきらぼうに断られた。せっかくこの山の中まで来たのに、何とも素っ気ない扱い。放し飼いの飼い犬が近づいてきて、人懐っこい表情を見せた。それがせめてもの救い。仕方ないので、また日を置いて行くことにする。


 この称名寺には重要文化財の梵鐘がある。宇治の人でもこの事を知ってる人はほとんどいないだろう。たぶん集落の人でも、重要文化財であることは知らないかもしれない。

 来た道をそのまま引き返す。その途中にぽつんと神社がある。東笠取清瀧宮。

 以前に来たことがある。2回目ということで、誰もいないひっそりとした境内に入り、ゆっくりと写真を撮る。周りに集落もない。しかし舞殿や本殿ともによく整備されている。きっと笠取地域の人たちが、定期的に手入れをしているんだろう。こんな山間部にあれば、寂れていてもおかしくはないだろうが、非常に綺麗な状態だ。名前の清瀧宮は、西笠取にもあり、何か一対の形で建てられたものだろうか。元々は上醍醐寺の青龍宮から来たらしい。由緒等はいろいろ調べたが、全く分からず。図書館で地域史等を見る必要があるだろう。
 
 
 
 


 やはり山間部とあって、市街地とは気温が全然違ってとても涼しかった。
 ということで本日の目的は次回への持ち越しとなった。
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複雑な社会で生きる、単純自己中な爺

2017-05-29 23:52:08 | 社会
1 日々の暮らしは、卑近な問題ばかり 


♫ テレビでは我が国の将来の問題を
 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
 だけども問題は今日の雨 傘がない
 行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
 君の家に行かなくちゃ 雨にぬれ・・・ ♪

 シニアの世代なら多くの人が知っている、ある曲の歌詞の一部。井上陽水がシングルカットで「傘がない」を出したのが1972年。 この歌詞を改めて読んでみると、当時の世相どころか、今の大きく状況が変わった社会にあっても、人々の生活の根本にある気持ちの在り方は、あまり変わっていないということに気がつく。
 個人レベルでの生活は、厚労省が言うところの高齢者となった自分にとってみれば、年金生活の独居老人という基本的な現実があり、今患っている様々な体調不良に対し、果たしていつ頃、死んでしまうのかという、漠然とした不安というか、諦観というか、そんなものを持ちながらの毎日だ。そんな悲観的な気持ちを反らせるためにも、自分で良かれと思った趣味を持って、それに打ち込んでいる姿がある。
 そういった意味では自分にとって今、目の前にある大事なものは、晴天の日はカメラを持って、お寺や神社を回り多くの写真を撮って、パソコンでそれを整理し、親戚たちにメールで送ったり、ブログの記事の挿入写真として使うことに満足感を得ていること。あるいは時々、数少ない友人とカラオケに行って、脳活といいながら思い切り声を出して歌う、という爽快感を味わうこと。その一方、やがてやってくる死に備えて、遠くに住む親族が困らないように、不要なものを処分し、あるいは次々にオークションに出して、売りさばき、少しずつ身の回りを軽くする。他方ひょっとして、どこかで新しい人間関係などができて、そこに新たな生きがいができるかもしれない、という僅かな願望を妄想したりしている。そのような小さい小さい範囲での、個人的な生活の実態というのがある。

2 自分の生活は社会の中で

 でも新聞を読むと、あるいはテレビをつけると、自分の個人的なレベルから一気に広い、社会的な様々な情報が、これでもかというほど強引な形で迫ってくる。
 大半はテレビでは同じ顔ぶれの芸人達が、同じような内容のお笑い番組やエンターテインメント番組ばかりで、ただただ覗き見趣味的な、自分たち自身や同業者たちの、プライベートな話題を、笑いながら喋って嘲笑して馬鹿にして、喜んでるだけのくだらない内容のオンパレード。
 その体たらくな番組群の一部に、ニュースや情報番組が、国内国外の重大ニュースから身近な話題などなどを、次から次へと繰り返し出してくる。
 一個人であっても、社会的な存在である限り、国内や国外の諸問題とは無関係ではあり得ない。したがって、少なくとも小さな小さな関心だけでも持っておくことは大事だと言える。

3 国内の腹立つ問題

 国内であれば、安倍独裁政治はますます強まり、加計学園問題でも、文科省の前事務次官が生々しい発言をしていても、文科省はもちろん、安倍自身もそんなものはない、知らない、適切にやっている、などと答弁し、誰の目にも明らかな嘘が平然とまかり通るという危機的な政治の状況がある。しかもそんな大事な問題が取り上げられる国会の審議をNHKは生放送していなかった。まさに不都合を隠すために、政権との裏のつながりが疑われるような実態もある。
 安倍が首相になって以後、少しづつ世間の支持率を計算しながら、加速度的に大胆な強権政治になってきている。安保法案にしても共謀罪にしても、民進党等のだらしない無様な実態からやりたい放題の、もうこれはあのヒトラー、いや北朝鮮の金正恩とどこが違うというのか、というレベル。
 


 
 
 

4 自分は世界の一員 ?!

 ついでに外側に目をやると、北朝鮮のミサイル発射問題はマスコミが盛んに驚異を煽り、ますます政権にとってみれば、アメリカ様と御一緒になってというか、しっぽを振って是非是非お助けくださいませ、とのお願いをするには絶好の機会ともなっている。これは単に北朝鮮への対応だけではなく、中国の世界進出への防御も期待している。
 確かに北朝鮮のミサイルは大幅に性能が向上し、おそらく命中精度もかなり高まっているものと思われる。もしものことがあった場合、アメリカ本土と同時に、日本と韓国の米軍基地と主要都市が、同時に核攻撃の標的になるだろうと思う。
 人格異常としか言いようがない金正恩は、親類縁者であっても邪魔な取り巻きを粛清しており、人々を殺すことなど何とも思わない 異常独裁者とも言うべき人物。
 アメリカの国防省関係者も、もし戦争になった場合には、壊滅的な事態になるだろうと発言している。日本はアメリカと共に、ミサイル防衛システムを多額のお金をかけて整備しているが、そして大気圏での迎撃に成功したと謳っているが、実戦ではそんな簡単にはいかないのは目に見えている。同時に何十発ものミサイルが飛んできた場合には、対応不可能なことは、アメリカも日本も中国も北朝鮮も、みんなわかってる。当然そこにはお互いの壊滅しかないだろう。少しでも有利に立つには、どの時点で先制核攻撃をするのか、どれだけのアウトレーンジの有利さを持ち続けられるのか、そういったことが裏で着々と準備されているはずだ。
 

5 ダイナミズムに埋没しそうな「わたし」

 本気で考えたら、そんなにのほほんとしてるような状況ではないのかもしれない。今GDP世界2位の中国は、一帯一路とかいう、新しいシルクロード計画を大々的に押し出している。
 アジアから中東、アフリカ、ヨーロッパの各地域に、お互いに富をもたらすと宣伝している中国の長期的な戦略として、もう何年も何年も前から、アジアやアフリカに大量の資金を投じて、経済援助を建前とした開発行為をどんどん進めている。その部分だけを聞かされるとは、中国は大したもんだと思うかもしれないが、本当の狙いは違う。現地に開発援助と称して進出しているのは、中国の企業であり、中国人の労働者であり、無償援助ではなく、長期債務による借金援助で、国によっては、早くも矛盾が現れて、中国は嘘つきだと公言する国も出てきている。
 援助の名のもとに中国は各地に、いわば租借地のような性格の施設や場所を造り、当然そこには軍隊が駐留することにもなるだろう。経済発展の名を借りた中国による世界支配の策略の始まりと言える。気が付いた時には、かなり多くの被援助国が、中国には逆らえないという実態になる。国際連合の場でも、中国の動向に従わざるを得ない国々が、過半数になっていくことになるだろう。
そこからさらに中国が何を奪い取ろうとしているのか。必ず裏の思惑というものがある。
 一帯一路。究極的には、中国が、「世界No.1」になるということ。政治的に、経済的に、軍事的に、アメリカやロシアを抑えて、世界一の大国になることこそが、真の狙いであることは間違いないだろう。
 日本の貧弱な外交戦略は、そういったものに当然、対応できないだろう。今の世界が経済的なレベルでは、多数の国々が複雑な関係で結び付き合っている。さらにそこに宗教の問題も入り込み、事態はまさにカオスな状態。
 かつての日本は、世界への進出に資源的な土台がない中、大陸を侵略するという方法で、八紘一宇の大東亜圏を構築しようと、当然の如く多大な犠牲を出すことになった戦争へと突き進んで行った。 今の世界の多くの国々の思惑も、大して変わっていないと思う。 そういった意味では今の世界は、極めて微妙な危ういバランスの上にナントカカントカ保たれている。いつどこで崩壊してもおかしくないんだろう。
 
 


6 俺は、自己中な社会的集団の構成員
 
 このようなことを考えてみると、個人レベルの小さな問題でグダグダするのは情けないと思う・・・ものの反面、やはりどの国に住んでいる人達も、個人個人の思いは、極めて身近な卑近な所にあるのであって、常日頃から、日本情勢、世界情勢のことを真剣に思い詰めることなど、正直脳みそが持たないし、そんな気もない。
 ただ、時には様々な出来事を知った時に、思いを馳せて自分なりに考え、その思いや意見を少しだけ周りに広げることも、大事なことだと思いたい。

 俺の様な爺は明日にでも死ぬかもしれない。あるいは長生きしてもせいぜいあと、10年から20年くらいなもん。できることはたかが知れているが、こんなブログでもちょっとは役に立てればと思う。
 井上陽水のあの歌は当初ほとんどヒットしなかったらしい。翌年彼は、「心もよう」、「夢の中へ」の大ヒットで一躍スターダムに躍り出る。しかし賛否の意見はあるけれども、「傘がない」の歌詞は、街の片隅に生活する個々人の気持ちの、本質的な部分を表しているように思える。

(画像は全て他HPからの引用です)
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滋賀県大津市 園城寺(三井寺)

2017-05-28 23:37:57 | 撮影
 昼前カメラを持って出発。以前から予定していた、大津市の園城寺へ走る。そんな寺の名前、聞いたことないと言われそうだが通称、三井寺の事。一般にはこちらの方が通用している。
 大昔、行ったことがあるみたい。と言うのも、モノクロ写真が残っていて、とにかく行ったことがあるようだ。但し、自分にはその記憶がない。誰と何のために行ったのか、どうにも思い出せない。

 車で1号線まで出て、浜大津から少し北に上がって全行程約21㎞。1時間かかった。渋滞がなければもうちょっと早いと思うけど、逢坂山を越える1号線は、山間の非常に狭い所で、京阪電車の京津線も走っていて、国道は片側1車線で、どうしても渋滞してしまう。途中コンビニでおにぎりを買って、三井寺の駐車場で昼食。

 炎天下、カメラ2台を持って回る。境内はずいぶん広い。しかも山麓にあって石段を上ったり降りたり、ほんましんどい。
 大津市にあるということで、応仁の乱の影響を受けておらず、昔からの伽藍がほとんど残っており、国宝や重要文化財の建物ばかり。なかなか壮観。画像の建物は、金堂が国宝で、後は一部を除き、大半が重要文化財指定。





 園城寺はもともと、その前身のお寺が飛鳥時代に建てられたらしい。天智天皇の関わりがある。その後、歴史上の有名人物たちが様々な形で関わり、寺も荒廃したり盛り返したり、幾多の隆盛を経て、不死の寺とも言われる。

 仏像などの国宝、重文も多く、その多くは秘仏として滅多に公開されない。公開されている多くの仏像は、すぐ間近で見られたが、鎌倉や平安時代のものも多く、なぜか文化財指定がされてない。寺の人に聞いてみると、文化財の申請をしてないらしい。もし申請すれば、かなり多くのものが重要文化財に多分なるだろうし、それはそれでいいかもしれないけど、そのかわり管理が大変なことになって、多額の経費もかかるということで、申請していないという。
 以前も同じような話を、京都のお寺で聞いたことがある。こう見てくると、多分全国には、そういう事情で、貴重な仏像等が何の文化財指定も受けずに、眠っているものも多いんだと思う。

 国宝の金堂に入ると、この中に本尊の弥勒菩薩像が厨子の中に収められているという。しかし、この弥勒菩薩像はなんと、天智天皇の時代以来、一度も扉が開けられたことがないという。つまり飛鳥時代の頃から千数百年にわたって、誰も見たことがないし、もちろん写真もない。たまたまツアーガイドらしき人が、そのことをツアー客に説明をしていたけども、そういう事情なので、この厨子の中に本当に弥勒菩薩像があるのかどうかさえ、不明だという。大昔からの伝えによって、この中に収められていて、災禍があったときには、扉を開けずに厨子を持ち出して逃げたという。まぁなんともすごい話だと思う。












 境内の一番高いところに出ると、琵琶湖がよく展望できる。晴天もあってか、多くのヨットが見えた。遙か彼方に伊吹山も見える。








 日曜とあって、そこそこ観光客は来ていたが、京都や奈良に比して、賑わいはあまりない。外国人も一人だけ来ていた。修学旅行生は皆無。駐車場も広いし、駅からも近い。素晴らしい文化財を多数有するだけに、何か寂しい。やはり地味過ぎるのだろうか。もっと宣伝しても、と思うが。

 一通り境内を回るのに2時間かかった。またもや足がくたくた。心肺のほうは特にどうって事はないが、足だけはやっぱりしんどい。

 帰宅して改めてネットで調べてみると、なんとまぁ見過ごしてしまった国宝の建物がいくつかあった。なんちゅうこっちゃ。1時間で行けるとはいえども、まぁしばらくは遠慮しとく。ここは紅葉の名所でもあるので、秋に行った時にでも、改めて撮ろうと思う。
 
 三井寺、なかなか見所があってよかった。満足。

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京都市東山区 万寿寺 ~ 残念

2017-05-28 00:20:10 | 撮影
 以前から気になっていた東山区の万寿寺へ行く。東福寺の北側にある京都五山の一つ。
 東福寺駅近くのコインパークに駐めて歩いて行く。前を外国人一家が歩いていて、目的の万寿寺の門の方を眺めていた。彼らが去った後、まず写真を撮る。ちょうど総門を兼ねた鐘楼が、重要文化財に指定されている。
 

 そして門の所に来ると、なんとなんと拝観はしていないという。注意書きがぶら下がっていた。えっ!そんな、と思っていると、自分に続いてやってきた人も、それを見て諦めて行ってしまった。仕方ないので門から見える範囲の方丈らしき建物などを撮っておく。
 

 ちょうどその時、すごい爆音が上空で鳴って見上げると、消防局の救急ヘリコプターだ。大通りを挟んで第一日赤があり、その屋上に着陸するところだった。ヘリコプターというのはものすごい音がするもんだ。


  万寿寺の方は諦めざるを得ず、近くの寺院を回ろうかと思っても、もう既に行っているので、今日はそのまま帰ることにした。
 帰宅後色々調べてみると、非公開ということがネットにも載っていた。

 万寿寺の前身の寺は、平安時代に創建され、鎌倉時代になって今の名前になったようだ。その後いろんな変遷を経ながら、今は東福寺の塔頭の一つとなっている。本尊の阿弥陀如来坐像が重要文化財であり、また金剛力士像も阿形・吽形ともに重要文化財だが、今はここにはなく、東福寺の中に安置され、非公開の状態だという。
(他HPより転用)
(他HPより転用)

 京都五山に数えられる、本来格式高いお寺だったのに、今は何かひっそりとしてしまって、なんというか虚しさみたいなものを感じた。
 境内では住職さんなのかどうか、トレーニングウェア姿のおじいさんが、草木の手入れをしていた。非公開ということで誰も来ないというのは、経営的にどうなんだろう。塔頭寺院として、東福寺がバックにあるのでやっていけてるんだろうか。まーしかし考えてみれば、他の大寺院の塔頭寺院には 非公開のお寺も結構多いのも事実。
ということで今日は残念だった。

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