切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

梅撮りのシーズンは終わったが 9、10 智積院と長岡天満宮・・・急いで紹介だ

2018-03-31 23:02:21 | 撮影

 今回の梅撮り写真は以前に紹介した、智積院と長岡天満宮。ともに撮りに行くのが早すぎて、不十分なままだった。その後を改めて満開に近い状態になったのを見計らって再訪問した。



 智積院は広大な境内に、入り口から参道を経て本堂までの間に、様々な色の梅が点在する。なかなか見事な咲っぷりで、多くの人はこれでかなり満足感を得られるだろう。しかし本堂の裏手には広大な墓地が広がり、そこにも多くの梅があって、これも様々な色の梅が咲き誇っている。
 智積院の各建物はかなり新しく再建されたものばかりで、そういった意味では歴史的な重みは感じさせないが、鉄筋コンクリート造りの圧倒的な大きさもあって、それをバックに写真を撮るとなかなか見栄えがする。さすがにそこそこの人が写真を撮りに来ていた。

                

 智積院の本領が最大限に発揮されるのが、やはり秋の紅葉。こちらの方はもう本当に見事というほかない。まぁこうして撮り直しに来たことによって、そこそこ満足感を得ることができた。




 長岡天満宮は今シーズンの梅取り第1号として訪れたが、本殿前の境内はさっぱり。本殿裏側の 梅園も少しだけ咲いている状態で、これでは満足も何もない、ということで、これも新聞情報などをもとにして、ほぼ満開になったのを確認して改めて撮りに来た。
 さすがに多くの人が来ていて綺麗な梅を満喫している様子だ。本殿前の梅もしっかりと花を咲かせ、本殿が一層引き立つ。この天満宮の第一鳥居のところには大きな池が広がっており、その中央に参道がつけられている。その一帯にも白や赤の梅が咲き誇っている。写真撮りには絶好な風景と言える。
 そして梅園の方も ほとんど全部の木が満開に近い状態だった。梅の美しさだけを求めるならば、密集して咲いている梅園がいいとは思うが、自分などはそれよりも、歴史的な建造物を背景に咲いている梅の方が感覚的にぴったりと合う。そういった意味では梅園というのはやや単調な感じがする。

                  

 鳥居を背景に、また本殿と並んで等々、このような風景が江戸の昔から続いてきたんだろう。花見といえば桜だが、昔は梅だったと言う。桜の花見が中心になるのは江戸の中期以降だ。確かに梅の花見というのは、時期的にはまだちょっと寒いかなと思う。この長岡天満宮も秋の黄葉シーズンはまさに絶景と言うほどの見事な赤に染まる。

 ともに以前、簡単に紹介しているので、お寺や神社そのものの由緒等については、今回は全て省略とした。
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森友疑惑国会証人喚問は、素人でも予想できた茶番劇

2018-03-30 22:32:56 | 社会






森友学園による国有地払い下げ問題については、1年以上前から多数の報道がなされ、国民の大半が知っていることなので、その経過は省略。

やりたい放題やってきた自民党・公明党による安倍政権はいつものように全国民ではなく、一部の仲良し友達に美味い汁を吸わせることをやったわけだ。この件を追求された安倍総理が、もし総理自身や妻が関わっていれば総理大臣どころか、国会議員も辞める、なんて発言をした。その後国会での極端に低価格な国有地払い下げ問題の追求過程で、交渉記録がないと何度も何度も否定し続けてきた佐川とか言う官僚が辞めると同時に、国税庁長官に栄転すると言う、極めて恣意的な人事がなされた。
後日、ないと答弁した交渉記録などが現れてきて、その開示を求めた結果、記録は大幅な改ざんがなされていたことが判明し、大騒ぎとなった。記録の改ざんを指示され、実際の作成に関わっていたとみられる近畿財務局の中間官僚が自殺する。そして先日の佐川元国税庁長官が証人喚問される有様となった。


生中継は部分的にしか見てないが、 ニュースや新聞記事等でいろいろ見てると、自民党・公明党の政権及び官僚たちの余りもの卑劣さに、予想していたこととは言え、強烈な怒りしか覚えなかった。
安倍首相や阿部昭恵氏の関わりはきっぱりと強く否定し、改ざん内容の追求に対しては、訴追される可能性があるので答えられないと言う逃げ口上で押し通すと言う欺瞞。証人喚問では一応認められているらしいが、約50回このような言い方で答えることを拒否した。何のための証人喚問なのか。

大体こいつらは、つまり自民党・公明党よる安倍政権と今や政権に逆らえない官僚たちは、一体どこを見て政治と言うものをやっているのか。
少し前、確か財務官僚だったかと思うが、野党からの追及に対して、われわれはその時々の政権に対して仕事をしているのであり、政権が変わったからといって我々の態度が変わる事は無い、などと言っていた。この答弁自体が根本的におかしい。
国会議員も官僚たちも国家公務員となる。彼らはあくまで公僕であって、特定の人々や組織の方に目を向けて政治や政策を実行することがあってはならない。あくまでも全国民に対して政治を進める立場のはずが、国民の方を全く見ていないと言う実態が、いやがおうにも見えてしまう。政治や政策を実行していくのに、代議制で選出されたこいつら国会議員と、東大法学部等を出て事務次官出世レースに血道をあげている利己主義的なキャリア官僚の奴らにとって、一般国民などは虫けら同然なんだろう。
こういう奴らに我々国民の税金から、給料とか莫大な退職金が払われている。いったい国の主人公は誰なのか。自分も社会科の授業で、嫌と言うほど教え、主張してきた。
つまり国民が主権者であり、納税の義務を果たしている者が国の主人公である。これは紛れもない事実であり、一国の首相から市井の人々まで、しっかり認識しておかなければならないことだ。そういったことを無視して、国の上層部にいる連中は権力を手に入れると、自分たちの個人的な思いに基づいて、やりたい放題をやる。


森友問題については、やりたい放題のほんの1つの問題に過ぎない。今まで安保法制を始め、自民党・公明党による安倍政権になってから強権政治がまかり通ってきた。こいつらが目指すものは一体何なのか。森友問題と言う1つの表面的な事件だけを見てるのでは理解は難しいと思う。
ネットの記事なんかを読まずとも、もうずいぶん以前から、何冊も出版されていた書物には、安倍政権のずっと以前から脈々と続く、日本の保守王国復活の取り組みがいろんな形で紹介されてきている。

日本国内でも、あるいは外国においても、日本の保守本流の組織は、「日本会議」と言うことで認識が一致している。この日本会議と言う組織の存在が、国内で認知されるようになってきたのはつい最近のことだ。それまでは全国で様々な活動してきたにもかかわらず、マスコミを始めとして一部を除き、ほとんど注目されてこなかった。この辺はマスコミに大きな過失があったと思う。
日本会議の経緯は置いといて、その構成メンバーなどを見ていると、ある意味あっと驚く。中枢メンバーの多くは宗教法人か何か知らんけど、「成長の家」のメンバーが多く、さらに一時大問題になっていた、「世界キリスト教神霊統一教会」などのメンバーも関わっているし、同じく上層部にはなんと、元最高裁判所長官を務めた人、東大の名誉教授、一部の有力寺院や神社などのメンバー。あちこちの国立大学の教授などといった様々なメンバーが名前を連ねる。そしてもちろん、自民党中心とする国会議員の中にも大勢いて、安倍首相や閣僚にも日本会議メンバーがずらっと名前を連ねている。
先程の成長の家とともに、神社本庁も大きな勢力を持っている。この日本会議を基盤にして、安倍首相がよく口にしている「美しい日本をつくる会」とか「美しい日本の憲法を作る国民会議」等と言う組織も活動している。

特に日本会議については名前通り、日本各地に都道府県単位の組織があり、さらに各市町村の議会に一定の影響力を持っている。つまりそういうメンバーが地方議員として入り込んでいる。このようなところから「日の丸」や「君が代」を取り上げ、さらに学校教育に介入して授業内容の問題を議会でやり玉に上げ追求したりして、それが教科書問題にも繋げられていく。
日本全国でこのような活動を通して、最終的にはリベラルな考え方、左派的な考え方、進歩的な考え方を一つ一つ潰していくというやり方を進めている。このような保守勢力の組織が、最終的には国政の権力を左右する力をを獲得すると言う大きな目標を持って活動している。
そしてその中で、憲法の全面的な改訂、つまり大日本帝国憲法の復活、並びに天皇元首化、国体制度の実現というのが、こういう保守層の大きな目的となっている。まぁちょっと言い過ぎかもしれないが、いずれにしろこのような目標持って活動していること自体は事実だ。

今のように安倍に対して与党内でも誰も何も言えないような状態では、さらにやりたい放題が助長されていくことになるだろう。
内閣支持率がこの間急激に下がっていることに対して、安倍首相は森友問題を徹底的に明らかにして解決する、と言っているが、それは自分たちとは関係なく、すべては財務省の責任であるというところに持っていくのが、ミエミエの状態だ。今回の証人喚問が終わって早速、自民党の有力議員たちは、これで安倍政権が潔白だということが証明された、との賜り、へらへら笑いながらインタビューに答えとった。その馬鹿丸出しの表情に、この日本の無様な事態が透けて見える。
このようなことをもう終わったこととして済ますと、本当に取り返しのつかないことになってしまうだろう。証人喚問後、テレビの街頭インタビューに答える大人たちの言い方は、今の日本の腑抜けにされた腰抜け大人たちの姿を見事に表していた。
サラリーマンたちは、「こんなんでは困りますね」「まぁもうしょうがないですね」「こんなことよりも、もっと大事な問題があるので、そちらの方を早く進めてほしいですね」などとやんわり答えていた。もはや国民の中に、怒りを示すような力はほとんどなくなってしまった。一部の人たちはプラカードなどを作って、国会議事堂前などで抗議活動しているが、残念ながら極めてマイナーな存在で、テレビニュースでもごく短時間映されるだけで終わる。マスメディアも全体的に追求が甘いとしか言いようがない。これで1週間経ち1ヵ月経ち、そのうちにうやむやになって終わるんだろう。そしてそのうちに内閣支持率も回復して、安倍政権万々歳で、すべては過去の幻に消え去ってしまうんだろう。
少し話がそれてしまったような気もしないでもないが、今回のこの問題はれっきとした日本の民主主義の根幹を揺るがす、極めて重大な見過ごせない問題と言える。これがなんとなく時間の経過とともに忘れ去られるならば、それは政権の責任のみならず、国民自身の責任放棄とも言えるだろう。絶対に許してはならない追求し続けるべき問題だ。

まぁこんな言い方をしてると諦めにしかならないが、孤独な1人の独居爺としては、こんなブログでグダグダ言う位が関の山。新聞の読者投稿欄に、割と鋭い指摘をして政権を批判している投稿者を見ると、多くが自分と同じ位か、上の年齢の老人たちだ。率直に偉いと思う。
ブログだとせいぜい数百人くらいしか訪問者がいないが、新聞だと地方紙でも、数十万部発行されているので、そういう方が社会への発信と言う意味では大きいのかもしれない。
まぁ自分もちょっと考えてみよう。言いたい事はまだまだいっぱいあるが、あまりにもの乱文なので、読む人も嫌になるだろうし、ここら辺に留めておく。

最後に1つだけ。いや2つか。
1つは自民党にくっついている公明党と言うわけのわからない存在。創価学会をバックに持つ公明党と言うのは、政権でどれだけの値打ちがあるのか、いつも疑問に思う。
もちろん自民党にとってみれば、ほとんど何も言わず、自民党の言うことを何でもかんでもよく聞いてくれる単なる舎弟に過ぎない。大臣ポスト1つだけ、ご褒美として与えておけば、よく言うことを聞くまぁ家来として扱える。
しかし公明党自身は、自分らをどのように評価しているのか。それが疑問だ。存在感まるでなし。自民党にひょこひょこくっついて何がやりたいのかさっぱりわからない。創価学会がなかったらとっくに廃業しているはずだ。とにかく鬱陶しい存在だし、さっさと消えてもらいたい。

もう一つはこのような民主主義破壊につながる実態がありながらも、日本各地で少ない人数で、コツコツ頑張っている良心的な人々がたくさんいる。ただただ仕事に明け暮れて、政治の深刻な問題など考える余裕もない人たちも大勢いるだろうし、あまり考えずに周りに言われるがままに自民党などに投票してる人たちが大半なんだろう。
それでも毎日真面目に生活していると、どこかで直接的な矛盾に出くわす。最近も大事な年金が実際より少なく支給されていたと言う、無様な深刻な事件が発覚した。こんなことをきっかけに今の権力一極集中による、歪んだ政治や官公庁の堕落した実態を見つめた直すようにしてもらえれば、また選挙などでも違った結果も出るだろう。
それを支える地道な活動をしている人たちもいるのも事実だし、その辺にわずかな期待を寄せつつ、エールだけは送っておきたいと思う。


追加の一言。
麻生財務相が新聞批判をした結果、取り消しと謝罪に追い込まれたが、その発言の中で、TPPよりも森友問題の方が大事なのか、なんて言い方をしとった。

なぜ森友問題がかくも大事な問題なのか。国のトップがこのことをわかっていないと言う実態が、そもそも危機的な状況だし、森友問題は政権及び官公庁自身が民主主義の根本的なあり方を、自らつぶしていると言うところに、深刻な実態の本質がある。
われわれはそのことをしっかりと認識しながら、やはり森本問題だけにかかわらず、今の政権のやり方を、民主主義つぶしなんだと言うことを理解して、徹底的に政権を批判し、この連中を辞めさせなければならないと思う。あくまでも民主主義の根幹が、今後どうなっていくかが問われる問題なんだということだ。
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梅撮りシーズンは終わったが 8 金戒光明寺・・・圧倒的な存在感

2018-03-29 23:06:22 | 撮影

 
(WEBより)

 今、梅の写真をアップしているが、既に季節は春の桜のシーズンに入っており、日々晴れてる日には各地の桜の名所を撮影して回っている。梅の名所もそこそこ何箇所も撮ったので、それをアップするのに時間がかかってしまい、時期が合わなくなってしまっている。ということで、とりあえず梅撮り写真を簡単に済ませて、早く桜の名所の写真を紹介するべく、ブログの記述内容を大幅に縮小して、とりあえず梅及び桜の写真については、簡易版でアップしていくことにした。
 従ってお寺などの紹介はごくごく簡単に済ませて、写真をずらりと並べる方法とするので、ご了解をお願いいたします。

         

 金戒光明寺は京都市左京区にあって、以前にも紹介したように、この近辺には東山区にかけて多くの有力寺院が並び、観光名所となっていて、年中大勢の人々で賑わっている。
 このお寺は承安5年(西暦で1775年)、法然によって開かれ、浄土宗のお寺である。京都市街地にあってここも広大な境内を有し、全部見て回るのにかなり時間がかかる。もはや寺院というよりは巨大な伽藍を眺めていると、まるでお城のようにさえ感じる。
 東側の一番奥には重要文化財に指定されている三重塔がある。行った時にはちょうど基礎の部分が修復工事中で少し残念だったが、やはり歴史的な価値のある遺物であるだけに、修復工事も大事なことだ。
 そこそこを観光客も来ていた。境内が広すぎてしかも全体がちょっとした丘陵になっていて、上がり下がりがあり、人が来ていてもほとんど目立たない。また境内には大規模なな墓地があって、古そうなお墓の刻銘を見てみると、大概が江戸時代のものだった。

      

 梅を撮りに行ったが、ここは梅そのものは本数も少なく、巨大な境内の中に隠れてしまうような感じだ。金戒光明寺はあくまでも桜と紅葉がメインだと思う。

 ○重要文化財
  ・三重塔 ・木造千手観音立像 ・絹本著色山越阿弥陀図 ・地獄極楽図
 ○登録有形文化財
  ・御影堂 ・大方丈 ・玄関 ・唐門 ・築地塀
 ○京都府指定文化財
  ・阿弥陀堂山門 ・経堂



(WEBより)

(WEBより)
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梅撮りシーズン 7 勧修寺・・・点在する魅力

2018-03-27 22:36:44 | 撮影

 

『京都市山科 勧 修 寺

 勧修寺は昌泰三年(西暦900年)に醍醐天皇が創建され、千有余年の歴史があります。
 庭園は「勧修寺氷池園」と呼ばれ、「氷室の池」を中心に造園されていて、且つ周囲の山を借景し、即ち庭の中に前方の山を取込んで庭の風景が造られ、広大な自然美を楽しむ「池泉
庭園」です。古く平安時代には、毎年一月二日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さに依ってその歳の五穀豊凶を占ったと言われ、京都でも指折の古池になっています。
 書院の前庭にある灯篭は水戸光圀公の寄進で、「勧修寺型灯篭」と言い、『水戸黄門さま』らしいユーモラスなスタイルを以って有名なものです。又この灯篭を覆うように生えている
植樹「ハイビヤクシン」は、「ひの木科」の常緑潅木で樹令は750年と言われ、我が国無双の名木として名高いものです。
(パンフレットより)

[京都市指定・登録文化財]
『寝殿:真言宗の寺院。宸殿は延宝4年(1676)造営の明正院御所御対面所を元禄10年(1697)に移築したもので,上段の一の間は書院造の構成をる。本堂は寛文2年(1662)造営の仮皇居内侍所仮殿の旧材を用いて,同12年に潅頂道場として建築されたものである。』
『本堂:天台宗の門跡寺院。本堂(寛文6年・1666)は徳川家綱の援助による。全体に漆塗や彩色,彫刻が施されており,唐門・仁王門とともに日光東照宮の諸建築に通じる雰囲気をもつ。境内の東寄りには17世紀後期造営の宸殿や使者の間・玄関など門跡の住居施設が並ぶ。』
(京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課 公開資料より)

   

 今回は山科区にある勧修寺に行ってきた。もう既にここは数年にわたって何回も訪れている。春の梅と桜、秋の紅葉。歴史のあるお寺に広い池がある庭園が広がり、静かな環境でゆっくり落ち着いて過ごすことができる。目的の梅についてはさほど多くはないものの、境内のあちこちに点在しており彩りも豊かで、なかなか絵になる風景と言える。
 訪れた日は平日だったが、そこそこ人は来ていた。境内に入る門のところで梅を撮影していると、突然大勢のスーツを着た若い女性たちが集団でやってきた。ぱっと見たら就職活動のような服装だったが、引率者らしきおじさんがまとめて何か手続きをして、結局境内には少し入ってすぐ姿が消えてしまった。たぶん併設されている老人ホームか何かに、見学ないしは実習のようなことで来たんだろうと思う。女子大生なのか専門学生なのかはわからないが、皆さん少し声を抑えながら、それでもキャーキャー言っていた。歳を取ると若者の姿が 一層眩しく見えて、もう一度戻りたいような気持ちにも一瞬なるが、それは単なる幻に過ぎない。
 さて勧修寺は上の説明書き等にあるように、平安時代に醍醐天皇による勅願寺として創建された。門跡寺院として当時はかなり勢力を誇ったようだ。勧修寺という名前については結果的によくわからなかった。
 この地域は「勧修寺」と言うが、これはこのお寺から来た地名であって、お寺の名前の由緒がわからない。古文書には中世紀にこの名前が出てくるようだが、漢字二文字の意味をそのまま解釈すれば、まぁそれなりにお寺らしい名前になるような気がする。
 読み方については、お寺では「かじゅうじ」と読んでおり、地域の名前は「かんしゅうじ」となる。明治時代に小学校が建設される時に、お寺の名前をとって勧修寺小学校と名付けられたのだが、読み方は「かんしゅうじ・・・」となったのがはじまりで、この地域の読みは「かんしゅうじ」となり、「かじゅうじ」と読んでいるのはお寺だけである。
 入園料を支払っていつものように門をくぐると、すぐに寝殿があり、 本堂も見られる。何れも京都市の指定文化財であり、おそらくそう遠くない時期に、国の重要文化財に指定されることになるだろうと思われる。寝殿の奥にある書院が重要文化財となっている。何れも建てられ時期がほぼ同じで、状態も良く年数も経っているので、重要文化財として指定されてもおかしくないはずだ。

      
(重要文化財 書院)

 残念ながら内部については公開期間しか見られないので、庭園を中心に巡る。梅の写真を撮りながら少し進んで、重要文化財の書院の前にくると、地を這うように老木が植えられており、これはなんと樹齢750年と言う「ハイビャクシン」と言うヒノキ科の常緑樹で、「我が国無双の名木」と呼ばれ、かなり知られた有名な樹木と言うことだ。
 庭園では人々が芝の上に座ったりベンチに腰掛けて、ゆったりと梅や池を眺めていた。周辺は住宅地だが、幹線道路から少し外れているので非常に静かな雰囲気がある。ただしよく耳を澄ますと、近くを走る名神高速道路の車の音が聞こえてくる。一応防音壁が築かれているので、騒音は意外なほど少ないと言える。

     

 いつも通りの美しい梅をゆっくり撮影することができて、非常に満足だった。

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梅撮りシーズン 6 梅宮大社・・・あまりの美しさにただただ感嘆

2018-03-26 23:07:00 | 撮影

 

『梅宮大社由緒略記

御祭神
 本殿四座 酒解神ーー酒解子神
           大若子神 小若子神
 相殿四座 橘清友公ーー橘嘉智子皇后
            嵯峨天皇 仁明天皇

◇御由緒
 当社は今から凡そ千三百年前、橘氏の祖諸兄公の母県犬養三千代が、山城国綴喜郡井出寺の中に橘氏一門の氏神として始めてお祀したのであります。其の後、聖武天皇の妃光明皇后が之を祀り度々所在を転じましたが、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(壇林皇后)によって今の神域に移し祀られ自ら御幸して、お祭りになったのが有名な梅宮祭の起源であります。其の後、延喜式の名神大社二十二社の中に列せられ、明治四年官弊中社に列せられました。昭和二十八年宗教法人梅宮大社となる。

◇酒造の祖神
 大山祗神は、木花咲耶姫命が彦火々出見尊を御安産になったのを非常に喜び給い、狭名田の茂穂を以て「天甜酒」を造ってお祝いなされたと日本書記に載って居りますが、是が殼物を以て酒を醸した始まりであります。大山祇神を洒解神、木花咲耶姫命を酒解子神と称へ奉る所以であります。

◇授子の神(血脈相続の守護神)
 木花咲耶姫命は天孫瓊々杵尊に召され給うや忽ち、一夜で御懐妊遊ばされたと云い伝えられて居ります。これが授子の神、即ち血脈相続の守護神としての由来であります。皇子の坐さぬを非常に憂い給うた嵯峨天皇の妃壇林皇后も、此の故事によって当社に祈願せられ、間もなく仁明天皇が御誕生になったのであります。

◇またげ石
 当社境内に「またげ石」と唱える神秘な石がありまして、子宝の幸薄き者・夫婦打揃って参拝し祈禱の上、この石をまたげば子を授かることが出来ると言われ、其の霊験が遠近に聞え、多くの参拝者があります。

◇安産の守護神
 木花咲耶姫命が一夜にして御懐妊の砌瓊々杵尊の御疑いを恥じ、海岸の砂の上に戸の無い室屋を作って其の内に入り御身の貞節を天神地神に誓って火を放たれましたが、火焰の中で何の御障りも無く彦火々出見尊を御安産になりました。此の故事によって、壇林皇后も御懐妊の時は当社に御祈願の上、社殿の下の御砂を御産床の下にお敷きにになって御安産になりましたが、これ即ち安産の守護神たる由来であります。以来当社では、産砂を安産の御守として、梅宮安産岩田帯と共に授与して居ります。

◇縁結びの神
 大山祇神は其の娘の木花咲耶姫命を天孫瓊々杵尊の御后として、縁結びされました神様であります。

◇学業(文教)之神
 嵯峨天皇・壇林皇后は、平安初期に学問興隆に力を盡され、特に嵯峨天皇は三筆のお一人であります。護王社の橘氏公公は、右大臣として壇林皇后と共に日本最初の学校「橘学館院」(現二条城の辺)を創設され、又橘逸勢公は当時の三筆のお人でもあり、遣唐使として唐に渡り専ら書の道を極められた書道の先達、創設者であり、皆揃って学業の神々であります。

◇音楽芸能の神
 仁明天皇は雅楽演奏の名手で特に横笛の名手であられ、雅楽の作曲を我が国で最初にされた方であって、其の曲名は西王楽・長生楽・夏引楽・夏草葦の四曲で、西王楽が現在迄伝わって居ると日本音楽の歴史に明記されてあります。

◇神花「梅」と「招福梅」
 梅は古来中国より伝来し、花の美しさと香が賞され、実は薬用として珍重されました。当社の祭神木花咲耶姫命の木花は梅花の雅称であり、子宝を授かる産と梅が合わせられ梅宮の神花は創設以来、梅となって居ります。神域に古来より梅が植えられて居り、現在は約四〇種五五〇本が植えられ、その実をつけ込んだのが招福梅であります。
 (パンフレットより)』

          

 梅宮大社へ行ってきた。梅の名所としてあまりにも有名で、境内の他に庭園には色とりどりの梅が随所に密集して見られる。その美しさは、十分以上に訪れる価値があり、嵐山方面などに行った際に少し足を伸ばして訪れるのがいいと思う。
 全国にある梅宮神社の総本社であり、神社本庁には所属しないで、独立している単立神社である。
 住所は京都市右京区梅津・・・であり、この地域一帯が梅津地域となる。梅津の地名と梅宮大社の名前から、この地域が梅の名所であったと思われがちだが、そうではない。
 元々地名が梅宮に基づいて付けられたもので、かつて平安京造営の際に、桂川の船着き場である「津」が一緒になって「梅津」となった。もちろんこの船着き場は、平安京を建設するにあたって、大量の木材や様々な資材が必要となり、ここから荷上げされたものだ。
 では「梅宮」というのは何かと言うと、上記の由緒書きの説明の中の「安産の守護神」というのがあるが、これは安産の神としての信仰が、やがて「産みの宮」と呼ばれ、それが変遷して「梅宮」になったと考えられているようだ。
 このことから更に、かつて梅宮神社と呼ばれていたここでは、梅を神の花として境内庭園に植生し、今では梅の名所となっている。
 梅宮大社には何度も来ているが、周囲は普通の住宅街で、ある意味いいところにある。いつ行っても春の梅や秋の紅葉シーズンはすごい人で賑わう。今回訪れた日は平日だったが、やはり多くの人で賑わっていた。境内の梅の花にカメラのレンズを接近させて写している人も多く、有料になるが、庭園内に入ると池と中島の緑を基盤に、白・桃・赤の色彩豊かな梅が眼前に広がる。ゆっくり撮影しながら素晴らしい風景と趣を楽しむことができる。

                

 池を離れ庭園の後半になると、梅の木が密集している。ベンチに座って仲良くしているカップルやおばさん達が感嘆の声を上げながら、梅そのものを楽しんでいた。
 自分はいつものことながら、ゆっくり座って眺めると言う習慣がないと言うか、いつも時間に追われて次々にシャッターを切りながら、比較的早く境内を回る有様になっている。家から京都市内の様々な、こうした場所に行くだけで1時間前後かかる。早めに帰らないとブログを書く時間もなくなってしまうということで、本来ならカメラは軽い小さなものにして、自分の目でゆっくりと佇みながら、感慨にふけるといった過ごし方が望ましいとは思っている。まぁしかし自分のこの性格上、どうにもこうにも関西人特有の「いらち」と言うか、ついつい急ぎ足になってしまって、感動というものをなかなか味わえないというのも考えものだ。

  

 尚、門や本殿、摂社などなど、大半の建物が京都府の登録有形文化財に指定されている

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