『護国寺
当山は山号を了光山。寺号を護国寺といい、1643(寛永20)年3月に法性院日勇上人によって開創された日蓮宗のお寺である。また明治5年までの230年間、僧侶の修行道場である山科檀林として栄え、関西六檀林のひとつであった。
歴代の住職は、化主と呼ばれ学德全てが備わっていないとなれず、京都東山にある本山 妙傳寺の猊座をはじめ、総本山である身延山久遠寺の法主の猊座に何人もすすんでいる。後水尾天皇の皇后、東福門院は開山上人に自ら縫ったと伝わる菊の御紋・金紋袈裟を寄進。この袈裟は日蓮宗初の金紋袈裟であり、以後、山科檀林の歴代化主は着衣が許される事となる。
当山にお祀りする妙見菩薩は泥棒の詫び証文が伝わっており、盗難除けの守護神として崇信され、弁財天女は開山上人の霊夢により、火伏せの誓いがあって火難除けの地主神、また七面大明神は法華経信仰者の守護龍神として信仰をあつめた。
現存する総門は伏見宮家、紀州徳川家の寄進。
『栴檀林』の額は深草元政上人の墨蹟である。
京都市』 (駒札より)
護国寺はJR東海道線山科駅の前にある三条通りに面している。赤いのぼり旗が多数たなびいているのですぐにわかる。日蓮宗のお寺。
元はこの地に真言宗の護国院というお寺があったが、江戸時代初期に廃寺となり、跡地は竹やぶとなっていた。その土地を切り開き護国寺が創建された。江戸時代中期には日蓮宗の僧侶を育成する修行道場である「山科檀林」が開かれたこれは「だんじょ」とも呼ばれる。以降、明治初期まで存続することになる。
寺の山門の横に車も入れる入り口があり、境内に駐める。山門は比較的小さなものだが、境内になかなか立派な鐘楼がある。そして正面には本堂が控えているが、これは1962年に再建されたもので、鉄筋コンクリート製のものだ。そういった意味では歴史のあるお寺だという雰囲気は感じられない。境内全体も決して広くはない。緑もやや少なめだが、社務所など、またかつて檀林として使われたらしき建物は本堂のようだ。日蓮宗のお寺とあって、特に観光寺院というわけではないが、赤いのぼり旗が嫌が応にも目立つので、ついつい惹かれて入ってしまうといった感じもある。撮影している間、誰も入ってくる人はいなかった。