『旧優生保護法
このまま、公文書や関係資料の廃棄が続くなら、国の施策の誤りをただし、検証する作業すら 不可能になってしまうのではないか。 遺伝性の病気や遺伝性でない精神疾患、知的障害者などの卵管や精管をしばって生殖能力を 奪うこと(断種)を認めていた旧優生保護法に基づいて強制不妊手術を受けさせられた京滋の個 人は、最大で9人しか特定できない状態になっていることが、京都新聞の調査で分かった。 厚生労働省の統計によると、1949~75年に不妊手術されたのは、京都府と滋賀県で少なくと も377人いた。正確な数字は不明だが、被害が裏付けられるのは氷山の一角にすぎない。 旧優生保護法は「優生上の見地 から不良な子孫の出生防止」を目的に戦後、施行された。本人 に知らせないまま不妊手術を容認し、子どもを産み育てるという基本的人権を奪う点が問題視され た。 憲法が定める自己決定権を否定し、障害者差別を生むことから、障害者団体の批判が高まり、96 年に優生思想を表す部分や同意のない不妊手術の条文を削除して母体保護法に改定した。 国は「当時は適法だった」として、謝罪や補償に一切、応じていない。自ら都道府県や公文書館 に保管された資料を把握する予定はなく、今も当事者が名乗り出れば個別に話を聞くという消極的 な姿勢を崩していない。 日本弁護士連合会は昨年2月、国に謝罪や資料の保全を求める意見書を出している。宮城県の60 代女性が全国で初めて国に損害賠償 訴訟を起こす動きがあり、司法救済の前提となる手術に関す る記録の有無が焦点になっている。 京都新聞は、情報公開請求した滋賀県の優生保護審査会の68~76年度の優生手術適否決定書 や医師の申請書、健康診断書、京都府立京都学・歴彩館が保存する行政文書を分析した。 県の公文書で裏付けられた7人はいずれも女性で、病名は統合失調症や知的障害などとされ ていた。発病後の経過や症状、申請に至る経過は「個人情報の保護」のために黒塗りされてお り、詳細は分かっていない。 誤った法律をつくり、結果的に多くの障害者への差別と偏見を広げた責任から政府や自治体 は逃れられない。断種された人は高齢化している。司法救済の道を閉ざすことはあってはなら ない。国による詳しい実態調査も同時に急いでもらいたい。』 (京都新聞 2018年1月29日 社説より)
上の文章は一昨日、京都新聞の社説として掲載されたものをそのまま全文載せた。
前回、旧優生保護法の問題についてブログに記したが、その翌日ネットニュースでこの優生保護法に基づいて、女性に処置を施した医師が、86歳の高齢になってこのままでは闇に葬られてしまうだけだと言うことで、自分の名前と顔写真を出して告白をしている記事を読んだ。
やはりこういう人が出てきたのか、と遅まきながらも大事なことだとして感心した。そして昨日、宮城県の60代の女性が強制処置を施されたと言うことに対して、国家賠償請求訴訟を起こした。この件に関して政府の担当者は、まだ訴状が届いていないのでコメントできない、と言ういつもの紋切り型のくだらない返答をしていた。
これは誰がどう考えても、日本と言う国の政府が中心になって、政府の責任で1948年から1996年までの約50年間にわたって、何の罪もない障害者たちを強制的に断種手術をしたものだ。男性については生殖機能を取り除き、女性については卵巣摘出の手術が行われ、全国で2万数千人、そのうち拒否し抵抗した人が16,500人。もちろんこの人たちも大半が強制的に身体拘束されて、手術台へ送られていた。中には9歳などと言う小学校低学年中学年の女児もいたと言う。
強い立ち場と思い込んでいる男を中心とする、優生思想に基づいた勝手な思い込みと、健常者が優秀な人間であると言う根強い歪んだプライドに基づいて、こうゆう悪逆非道な非人間的行為がつい20年前まで行われていたと言うことだ。
似たようなケースとして前回、ハンセン氏病患者の件を紹介したが、それ以外にも障害者とは状況が異なるものの、熊本の水俣病の件なんかについても似たようなことが言える。
この事件では、窒素水俣工場の水銀中毒によって重度の障害を負わせられることになった人々が、地元の窒素株式会社、熊本県、政府からもほったらかしにされ、ついには裁判に訴えることになったところが、上記の奴等は一切責任を認めようとせず、裁判は厳しい状態になったものの、以前からこの件を追求していた熊本大学の研究者たちの努力によって、有機水銀中毒の影響が立証されたにもかかわらず、県や政府側は捏造したでたらめな偽物資料を裁判に提出して、まともな研究を否定しようとあがいていた。
最終的な結果は水俣病患者たちの勝利に終わるものの、今度はどの人までを水俣病患者と認めるかどうかでまた裁判になり、非常に困難な状況がこの後も続くことになってしまっている。
こういう面で国と言うのは、ほとんど主導的な役割を果たさない。できるだけ国には責任がなかった、と言うことばかりを主張しようとし、肝心の患者たちは二の次三の次の扱いだった。
ちょっと余計な話になるが、裁判が終わってからしばらくして、夏の休みを利用して同僚数人と一緒に車で九州に行き、水俣市の汚水排水貯蔵池を見てあまりもの凄い状態に驚くとともに、近くにある工場の事務所に車を乗り入れて話を聞こうと思ったが、敷地に入った途端10人以上の事務員か警備員なんかわからんけど、走って出てきて、これは話どころではないと、慌てて工場の敷地から出て行ったことを思い出す。奴らもかなり神経過敏になっていたんだろう。
こういう先例を考えると、これからの旧優生保護法に関する損害賠償請求訴訟についても、相当な困難が考えられる。国はもともと当時としては適法に行われたことで問題はなかったとの立場をとっている。
要するに過去の誤りに対して、何の責任も感じていないと言うことだし、間違いを認めず、従って被害者たちを救おうなどと言う気持ちなど、これっぽっちもないと言う、名前だけの先進国の実態がしっかり見てとれる。
何度も言うが優生思想と言うのはいろんな形で人々の心の奥底に染み付いており、何かちょっとしたきっかけで、その優生思想に基づく考えや行動が表に現れ、時としてそれが、激しい差別や冒涜、暴力そして、相模原のような大量殺人事件にもつながっていく。ある意味理性的が部分が弱い人間にとってみれば、同じような事件がどこかで誰かが起こしても不思議ではない。
こういう問題については国、政府、国会議員共、各地方自治体が、ただ単に軽々しい啓発ではなくて、本気になってこういった問題を世間に知らしめ、健常者、障害者の精神的な垣根を取り払っていく具体的な行動をしなければならないが、残念ながらそんな動きは極一部を除いてほとんど見られない。
自分もいろんな場所で障害者が近くにいるときに、その周囲の人々が露骨な嫌な表情をしている場面を何度も見ている。あるいは障害者の通所作業所から、指導員の方たちが、何人かの障害者を連れて社会勉強のためにスーパーを訪れたりしているが、やはり周りの人間たちは露骨に避けて通る。あるいは横目でチラチラと興味本位の表情で見ている。こういうものを見てると、戦後50年にもわたって優生保護法と言う名前を法律として制定し、具体的に強制手術と言う形で実施してきたことが、どれだけ日本全国民に対して、極めて大きな影響を与えたことか。
国側は当然優生保護法は当時は適法として、損害賠償請求を拒否するだろう。請求するならばその根拠となる証拠を出してこい、と言うだろう。ところが行政と言うのは、国でも地方自治体でも、自分たちに都合が悪いと思われるものは、さっさと廃棄処分するのが常だ。今現在国会などで審議されている森本問題。加計問題についても全く同じ。
国に期待できるものなど何もない。したがって実名を名乗り出て旧優生保護法の手術に携わった医師のように、個人的に資料を保有してる人もおそらくいるだろうし、そこから新たな資料が出てくることに期待したいと思う。
この問題を考えれば考えるほど、この日本という国の無様さに嫌気がさしてしまう。報道メディアももっともっと深く追求してほしいと思うが、多分一部の地方紙と毎日新聞あたりが追求していて、後はどうなのかは知らないが、多分政府御用達の読売新聞や産経新聞なんかは、今回の損害賠償請求訴訟を正面から非難するんだろう。こーゆーブログを書いてるのも正直、気が滅入ってしまう。しかし、裁判の原告本人と支援者たちには本当にがんばってほしいと思っている。