亀岡市にある亀山城跡をご紹介します。
京都から丹波への入り口にあたる亀岡は口丹波といわれ古くから山陰道の要所として栄えてきました。
天正3年(1575年)に織田信長より丹波攻略の命を受けた明智光秀がこの地に城を築いたのが始まりです。
本能寺の変で光秀が兵をあげたのもこの地からです。
1610年に藤堂高虎により五層の層塔型天守が建てられました。しかし、明治に入りこのお城は取り壊しになり、建物の一部は寺院の山門などになり、石垣は京都鉄道(現在のトロッコ列車)の石材として使われました。
大正11年(1919年)に荒れ果てたこの土地を大本教が購入し石垣を積みなおし整備しました。
大正と昭和の大本弾圧事件で、敷地没収となり再び荒廃しますが、返還され整備され現在に至っています。
現在は、大本教の天恩郷としてその形を残しています。
5月2,3日には「光秀まつり」が開催されます。
2日は宵祭として「亀岡楽座」が3日の本祭は「武者行列」が市内を練り歩きます。
京都駅からJR嵯峨野線で30分足らず、亀岡駅下車で駅前すぐのところに「南郷公園・亀山城跡」大本・天恩郷があります。
ぜひお越しくださいませ。
京都から丹波への入り口にあたる亀岡は口丹波といわれ古くから山陰道の要所として栄えてきました。
天正3年(1575年)に織田信長より丹波攻略の命を受けた明智光秀がこの地に城を築いたのが始まりです。
本能寺の変で光秀が兵をあげたのもこの地からです。
1610年に藤堂高虎により五層の層塔型天守が建てられました。しかし、明治に入りこのお城は取り壊しになり、建物の一部は寺院の山門などになり、石垣は京都鉄道(現在のトロッコ列車)の石材として使われました。
大正11年(1919年)に荒れ果てたこの土地を大本教が購入し石垣を積みなおし整備しました。
大正と昭和の大本弾圧事件で、敷地没収となり再び荒廃しますが、返還され整備され現在に至っています。
現在は、大本教の天恩郷としてその形を残しています。
5月2,3日には「光秀まつり」が開催されます。
2日は宵祭として「亀岡楽座」が3日の本祭は「武者行列」が市内を練り歩きます。
京都駅からJR嵯峨野線で30分足らず、亀岡駅下車で駅前すぐのところに「南郷公園・亀山城跡」大本・天恩郷があります。
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