まんじろう日記

まんじろう(ボストンテリア、2009年8月1日生まれ)とのんびり更新しています。

Hooked Rugの歴史 5

2010年04月08日 | 歴史
アメリカのHooked Rug(フックドラッグ)産業は第一次世界大戦(1914~1918)の後、産業製品として発達し、アメリカ東部、南部の各州やプエルトリコ、カナダ等で生産されました。
 一方、日本にフックドラッグの技術が伝わってきたのは、大正10年頃(1920年頃)、赤尾善次郎氏がアメリカからパンチングマシン(シャトルフックマシン)を持ち帰り、高知県と兵庫県で作り始めたのが、日本におけるフックドラッグの始まりであると言われています。

改良された手動フックマシン

 機械の改良がなされ、原料も吟味され、綿糸や麻糸を使ったフックドラッグが生産されるようになり、昭和7年頃(1932年頃)には、アメリカ向けに年間300万円以上(現在の20億相当)の輸出実績をあげるまでになりました。
しかし、昭和12年(1937年)の支那事変勃発と共に生産が減少し、昭和15年(1941年)第二次世界大戦とともにアメリカ向け輸出に100%依存していた日本のフックドラッグ業界は壊滅的な打撃を受け、ほとんどの業者は軍事用毛布の生産へと転業していきました。
 
 アメリカのフックドラッグは高品位のカスタムオーダー品も多く生産されるようになっていきます。1939年の「Christian Science Monitor」に"catering to New York Decorators who order hooked rugs to be used in palatial home"(豪華なお家で使われているオーダーフックドラッグのご用命はニューヨーク デレクターズへ)と紹介されています。
 しかし、第二次世界大戦のあと、日本製敷物や香港製敷物の猛烈な輸入攻勢を受けて、アメリカのフックドラッグ生産は昭和35年頃(1960年頃)には壊滅的な打撃を受け、専業メーカーは少なくなってしまいました。しかし、伝統的な主婦たちによるホームメイキングは、現在でも健在で、壁掛け(タピストリー)や工芸的な敷物の製作活動がさかんになされています。

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