2008年5月15日、30週2日、1008gで生まれた寛太朗の成長記録

生後535日目、寛ちゃんは突然お空へと還っていきました。寛ちゃんと過ごした日々は、ママの心の宝物♪幸せをありがとう。

10月31日

2009年11月18日 09時04分38秒 | 天使ママ日記 2009.11~
パパの喪主挨拶でもお話したように、

10月31日は、寛ちゃんの命日でもあり、

NICUを退院した記念日でもあります。

2008年10月31日、我が家で初めて3人で川の字で寝た、私の夢の叶った最高に幸せな一日でした。

あの日から1年。
ぴったり1年。。。

なんだか始めから、

神様に1年だけ頑張るように言われていたのか…

1年だけガンバルと決めていたのか…


30日の夕方の突然の発熱、それまでは普段と何一つ変わらず元気だったのに…
いつも通り血液内科の外来に行って、元気だね!と診察を受けて帰ってきて…

本当に突然…

寛ちゃんは31日に日付が変わった瞬間くらいに心臓を止めました。

まるで31日になるのを待っていたかのように。。。

偶然なのかもしれないけど、偶然じゃないと思う。

寛ちゃんが、命日は淋しい日ではなく、最高に幸せな記念日と一緒にする事で、この先の、淋しさを減らしてくれたんだと思う。


今から考えると、亡くなる週の

月曜日、外来の後にAちゃん家に行って、Aちゃんママにもニッコリ笑顔炸裂で、Aちゃんと手を握ったりしてた。

火曜日、リハビリで初めて一度も泣かずにリハビリを受けれて、先生もすごく喜んでいて、ママもすごく嬉しかった。
先生からいつもお手帳に出席シールを一つ貼ってもらうんだけど、この日は頑張ったから!って先生がピカピカ&キラキラのシールを特別に貼ってくれた。

水曜日、育児外来&内分泌科臨時外来&心理相談で、
内分泌の先生とママが話していると、先生の方へ自分から腕を伸ばし、先生の服をギュっと掴んで、先生もママもそんな行動を見たのが初めてでビックリして笑顔になった。
心理相談では、いつもは部屋に入ったら場所見知りで泣いていたのに、この日は全然泣かずに、先生におもちゃで遊んで貰っていた。
育児外来でも、ご機嫌で、いい調子ですね!と褒められた。
先生にもニコニコとご機嫌で、季節性のインフルワクチン接種した後もすぐに泣き止んでいた。

木曜日、訪問看護師さんが来てすぐは眠っていたのに、大好きなお風呂を察してか、ハッと起きて、大好きなお風呂を看護師Hさんに入れてもらっていた。
お風呂上りはいつも泣くのに、この日は全然泣かなくって、お得意の寝返りを披露したりしていた。

金曜日、血液内科外来。
いつもは泣くのに、先生にもニコニコご機嫌で、体調もバッチリだと褒められた。
寛ちゃんなりに、笑顔でお別れの挨拶をしていたように思う。

たくさんの天使ママが頑張っています!

パパの告別式での喪主挨拶の一部

2009年11月18日 08時48分51秒 | 天使ママ日記 2009.11~
2009年10月30日金曜日、寛太朗の笑顔に見送られ私はいつも通りに会社へ出勤致しました。

その時今日のような日がやってくるとは夢にも思っておりませんでした。

その日の夕方4:00頃、妻から「寛太朗が高熱を出しているので病院に行く」との連絡を受けた時も同じ気持ちでした。

その後妻から寛太朗の容態がどんどん悪化しているとの連絡を受け私も急いで病院へと向かいました。

私が病院へ到着した時、寛太朗は既に鎮静剤を打たれ意識はなかったと思います。
それから数時間、寛太朗は私と妻の元へ帰ってくるために必死で正体不明の病いと闘いました。

しかし寛太朗は一度も意識を取り戻すことなく2009年10月31日0:29天国へと召されました。


10月31日は私達家族にとって特別な、大切な日でした。

2008年5月15日、体重1008グラムで寛太朗は生まれました。

2ヶ月半の早い出産となり、その日から寛太朗は長い入院生活を送りました。

一時は体重が820グラムまで減り、随分と心配もしましたが生まれてから5ヵ月半が経過した去年の10月31日、ようやく退院し家族3人の生活をスタートすることができました。

そしてそのちょうど一年後に寛太朗は天国に旅立ちました。

最期の日まで寛太朗は私達夫婦、家族、寛太朗の導きにより出会う事の出来た皆様にたくさんのかけがえのない思い出を残してくれました。

本当に短い命でした。

無念でなりません。

しかし寛太朗が残してくれた思い出や優しい気持ちを持ち続け、夫婦二人力を合わせて寛太朗の分も生きていかなければと決意した次第です。


最後に一つ、皆様へお願いがございます。

最期まで精一杯生きた寛太朗を褒めてやってください。そして大きな拍手を送ってやってください。

特別な子同士。。。

2009年11月18日 08時23分00秒 | 天使ママ日記 2009.11~
寛ちゃんのガールフレンドAちゃんのママからも、不思議なお話を聞きました。

Aちゃんは、寛ちゃんより1ヶ月早く生まれたお姉さん

主治医も病気も全然違うのに、偶然にも同じ日にNICU・GCUを退院しました。

その後、ママとはずっと仲良くしてもらっていて、
春に寛ちゃんが、数年以内に白血病になる、と告知された日、正気ではいられなくて…このまま寛ちゃんと二人家に帰ったら、母子心中でも考えてしまいそうなくらい、頭がパニックでした。

Aちゃんママが、うちにおいで!と言ってくれたので、パパ帰宅までの時間をAちゃん家にいさせてもらいました。
Aちゃんママに、泣いて不安をぶちまけ、気持ちが落ち着きました

その後も、何かある度に、一番に報告したり、相談したり、
家もそう遠くないので、お互いの通院のない日は、遊んだり、
寛ちゃんの成長を私達両親の次に、身近に知ってくれていて、少し体重が増えた変化や、成長にも気付いてくれて、寛ちゃんをたくさん褒めてくれました

寛ちゃんも、人見知り&場所見知りがすご~くひどかった時期でも、Aちゃん家&Aちゃんママだけは大丈夫で、Aちゃんママには笑顔をたくさん見せていました

Aちゃんママが寛ちゃんを思ってくれているように、
私にとってもAちゃんは特別な存在で、我が子同様に愛しい存在です

不思議な出来事は。。。

Aちゃんは普段夕方から寝て、朝までグッスリ眠るいい子なんだけど、
寛ちゃんが心臓を止めた時間と同じくらいに、珍しく夜泣きをしたそうです。

他の人が聞いたら、ただの偶然に思うかもしれないけど、
私は、Aちゃんと寛ちゃんの心は繋がっていたんだと思います

寛ちゃんはちゃんと自分でAちゃんに報告しに行ったのかもしれません。

Aちゃんの事を寛ちゃんは守護の天使として、ずっと応援してると思う!
Aちゃん、寛ちゃんの分も生きて、寛ちゃんママに成長を見せてね!!

特別な子同士。。。

2009年11月18日 07時58分16秒 | 天使ママ日記 2009.11~
兄嫁もっぴからのメール(11月4日)

さっき、寛ちゃんの写真を子ども達に見せていたら、誰もやっていないのに、りんちゃんが寛ちゃんに向かって手を合わせて一礼したの!
思わずOOさん(私の兄)と声を合わせて『え~っ!?』て叫んだよ。
偶然かもしれないけど…でもすごいタイミング!
イトコ同士、ちょっと特別に産まれた子同士、なにか通じてるんだろうか…?
りんちゃんには何かがわかってるんだろうか?なんて思っちゃったよ。


私の甥っ子りんちゃん(凜太朗)は、心疾患持ちのダウンちゃんです。

私が、寛ちゃんを産んですぐに、病気を知らされた時に前向き考えられたのも、その後も、明るく前向きに笑顔で育児出来たのも、兄夫婦・りんちゃんの存在があったから。

『オランダへようこそ』という詩を前に載せたけど、
オランダの良さを後に知っていくのではなく、私は前からオランダが素敵なところだと、兄夫婦から教えてもらっていた、そんな感じでした。

もちろん、病気の告知など、その度に不安も感じたし、涙も流したけど、常に前向きに考える事が出来ました。

寛ちゃんを産んでからも、そして寛ちゃんが旅立ってからも、兄夫婦は私の一番の理解者です。

りんちゃんの不思議な出来事、きっと寛ちゃんと心が通じてたのだと思う。
病院通い・入院・幾度もチックンされた…etc、
もしかしたら、寛ちゃんがりんちゃんに自分でお空に旅立つ事を伝えに行って、ママの事をヨロシクね!と兄夫婦&りんちゃんに言ってくれたのかな?


りんちゃんはまだお話が上手に出来ないおチビちゃんだけど、これでスラスラお話出来たら、スピリチュアルな江原さんのようだな…なんて兄嫁とその後メールしてました。



春に西宮に帰省した時、寛ちゃんにおしゃぶりを渡してくれるりんちゃん♪
数分後、寛ちゃんがあまりに美味しそうにしゃぶりをチュッチュしてるもんだから、りんちゃんが、こっそり味見をしてたな(笑)
すぐに寛ちゃんに返却してたから、なんでコイツこんなのがうまいんだ???って疑問だっただろうね(笑)

戒名:寛明嬰児

2009年11月18日 07時46分36秒 | 天使ママ日記 2009.11~
寛ちゃんの戒名は『寛明嬰児(かんめいえいじ)』と決まりました。

お寺さんに『寛』の字を入れて欲しい旨を伝えていました。

お通夜の前に、お坊さんから、寛太朗の戒名を伝えられたのですが、
見せて頂いた瞬間にビックリ。。。

『寛』は寛ちゃんの名前と、パパの名前から、お願いしていた通りに入っていて、

実は『明』は、パパのお母さんの名前に使われている漢字。
漢字なんて、山のようにあるのに、その中から、義母の漢字と一緒になるなんて!
すごい偶然にビックリやら、感動やら、なんでママの漢字じゃなかった…?と嫉妬やら(笑)

義母も、泣いて喜んでいました。

お寺さんが付けてくださった名前だけど、なんだか寛ちゃんからのプレゼントのように感じ、温かい気持ちになりました。