2009年のちょうど今頃、寛ちゃんは『骨髄異形成症候群』『7モノソミー(先天性ではない染色体異常・骨髄内のみの異常)』を告げられ、近い将来『急性骨髄性白血病』になると告知されました。
急性骨髄性白血病は近年、治る病気と言われていますが、寛ちゃんのように骨髄異形成症候群・7モノソミーの場合、抗がん剤のみでの治療は出来ず、発症したら、骨髄移植(臍帯血)をしなくてはならないと説明を受けました。(後に寛ちゃんのような場合、治癒は難しいとネットで調べて知りました。)
病院の待合で寛ちゃんを抱きながら、号泣してしまいました…絶望のどん底でした。
会社にいるパパに電話で泣きながら報告しました。
パパ帰宅までは何時間もあるし、一人でいられる状態じゃなくって、誰かに聞いてもらいたくって、あみちゃんママに電話しました。
すると、パパが帰ってくるまでうちにおいで、と言ってくれました。
でも、その日、すぐに受診を終えて帰って注入だったので、注入道具などを一切持って行ってなかったので、帰宅しなきゃ…と言うと、あみちゃんの注入道具を貸してあげるから、って言ってくれました。
あみちゃんのお家へ行かせてもらって、話を聞いてもらって、パニックだった心が落ち着き、前を向いて歩もう!そう思えました。
あの時、1人で寛ちゃんを連れて家に帰っていたら、前を向いて歩もうという気持ちには絶対になれなかったと思います。
ちょうどその日の夜から、関西に初帰省する予定でした。
GW・初節句・寛ちゃんのお誕生日を関西で過ごす予定でした。
帰省するにあたって、関西で何かあった場合の紹介状と、寛ちゃんの詳しい診断書を持参して、万全の体制を整えていました。その日受診したのは、帰省する前に血液の数値など大丈夫か、見てもらう為でした。
パパの帰宅に合わせて、あみちゃんのお家を出て、帰宅したパパと、話し合いました。
病気の事、今後の事…で、帰省の事。。。
ま、普通なら帰省は中止にするのが当たり前なんだろうけど…
いろいろな思いが駆け巡りました。
今はまだ発症していない…発症したら数年は絶対に帰省出来ない…
そう考えると、今、体調のいい状態で、パパとママの故郷に寛ちゃんを連れて行ってあげたいね、とパパと話し、予定通りその日の夜、出発することを決めました。
寛ちゃんは感染にはすごく気をつけなければならなかったので、新幹線や飛行機に乗る許可は貰えず、車での帰省でした。
途中、SAで注入をしたり、体温がすごく上がりやすかったので常にアイスノンをしていたので、長時間の大人用のアイス枕をクーラーボックスにいくつか用意していたり。。。
パパと運転を交代しながら、いろいろな事を話していました。自分達親がくじけている場合じゃないから、頑張って全力で支えよう!そう誓い合いました。
注入なども順調に出来て、明け方まで寛ちゃんは結構寝てくれて、予定通り朝に関西に到着しました。
初節句なのに、こいのぼりも兜も用意していなかったんだけど、寛ちゃんのおじいちゃん・おばあちゃん(両家)から初節句のお祝いを頂いて、兜を買ってあげて、と言われたので、急遽兜を買う事に決めました。。。
寛ちゃんの注入と注入の合間は3時間、もちろん寛ちゃんを連れて買いには行けないので、寛ちゃんとパパはお留守番、私が一人で急いで買いに行きました。(パパはチューブ挿管が出来なかったので万が一チューブを抜いてしまったときの為に、次の注入には間に合うように帰宅しなくてはいけませんでした。)
寛ちゃんとパパのお留守番は、私がスーパーへ行くくらいしかこの当時はした事がなかったので、私もパパ大緊張でした。
大阪で兜を物色し、購入し、妹に宝塚まで車で送ってもらって、そこからは電車で大きなダンボールに入った兜を必死に担いで帰りました。。。
一目ぼれして気に入った兜。。。健やかに成長することを願って購入した兜。。。いろいろな思いがいっぱいつまった兜。。。
この先、毎年飾ってお祝いしようね!と言っていたのに、結局、主役の寛ちゃんがいたのはこの年だけでした。。。
でも、この年、帰省でパパの実家と私の実家を行き来してたんだけど、兜も一緒に移動して、どちらの実家でも寛ちゃんの兜を寛ちゃんと一緒にお披露目出来ました♪
その思い出いっぱいの兜がこちら。
(ガラスケースに入っているのと、背景が絵画ではなく鏡になっているので、写真は上手く撮れませんでした)
去年も、今年も、この先も、主役の寛ちゃんをこの目で見る事は出来ないけれど、寛ちゃんの為に、毎年飾ります♪
きっと寛ちゃんは立派な兜をお空のみんなに披露して、ウキウキしてると思いますww
いろいろな思い出がいっぱいつまった兜。。。毎年これを飾る度に切なくもなるし、楽しい思い出も蘇ってきます。。。