あの日から5年。。
2009年10月31日0:29、最愛の息子寛太朗が突然天使になった。
その日の夕方まで、いつもと変わりなく過ごしていて、死ぬなんて考えてもみなかった。
その日は血液内科の外来診察に行って、体調もいい!と太鼓判を押されて帰宅したのに…帰宅してすぐに発熱。
救急外来に駆け込んだ時点で体温計は42度までしか検温出来ないけど、それ以上の高熱で…アルコールで体を拭き体温を下げる方法が取られたが、全く下がらず…
発熱の原因を探るべく、ありとあらゆる検査に回されたが、高熱の原因がわからず…
寛太朗の体を思って鎮静剤で眠らされ、体の負担を極限にする為に挿管することになった。
処置を受けてる寛太朗には会わせてもらえず、ただただ、早くよくなるように祈って待った。
病院なのだから、死ぬなんて思ってなかった。
助けてくれるものだと思っていた。
なのに…病院に着いてから、たった6時間で…寛太朗は目覚めることなく、お空にいってしまった。
何が自分に起きているのかもわからず、もう助けられない…と医師から告げられた時は、絶対嘘だ!そんなん絶対嘘!寛ちゃんを返して!と夜中の病院で泣き叫んだ。
でも、返してもらえなかった。
あらゆる科のお医者さんが集まったのに、誰も助けてくれなかった。
寛ちゃんは、何もわからず眠っているみたいな顔してて…ママだよ!寛ちゃん起きて!と言っても、起きてくれなかった。
お風呂が大好きだったのに、お風呂に入れてあげても、起きてくれなかった。
寛ちゃんは死んだ…。
私の人生の全てをかけて、たくさんの愛情を捧げ、在宅看護をしながら大切に大切に育てていた寛ちゃんが、いなくなった。
その日から、私にはそれまでの人生で普通に見ていた景色すら、全て違って見えるようになった。
真っ暗闇…ほんとその言葉がぴったり。
綺麗な空を見れば涙が流れ、カーテンを開けることすら出来なくなり、電気をつける気力もなく、ご飯も食べず、口を開けば寛ちゃんの所に行きたい…みんな私が後を追うかもとヒヤヒヤしていただろうし、寛ちゃんのいない人生を送るくらいなら死んだほうがマシだと大袈裟ではなく本当にそう思っていた。
私を生かしてくれたのは、寛ちゃんだった。
私は全身全霊をかけて寛ちゃんを愛し育ててきてたし、私が育てた寛ちゃんは、いつもニコニコの笑顔だった。
寛ちゃんの笑顔の写真を見ていると、寛ちゃんの人生は幸せだったと思えた。
そして、寛ちゃんは1年5ヶ月15日15時間を生き抜いてくれたんだ、と思えた。
今、人から見れば、普通に生きることが出来ていると思う。
毎日ご飯を食べられて、ぐっすり眠れて、仕事もして、綺麗な景色を見ることも大好き。。
でも、心には、常に寂しさがある。
どこに行っても、何をしてても、常に心に寛ちゃんがいて、会いたいな…、生きてたらな…、と一日に何度もそう思う。
ま、寂しさだけでなく、心の寛ちゃんがいてくれるから、頑張るぞ!と思えるし、前向きに生きていられてる。
これからも、心の寛ちゃんと、笑顔でキラキラ輝いて生きていくゾ!!
命日を前に、一足早く、寛ちゃんを大切に想ってくれてる人から、素敵なお花をいただきました。
妹カップルからは、素敵なケーキと、お花♪
寛ちゃんベアケーキ、ハロウィンのカボチャの上に乗ってます(笑)
優しさに心が救われます。
心穏やかに、31日を迎えたいと思います。
亡くしたその後のこと、また少しずつ綴っていこうと思います。
2009年10月31日0:29、最愛の息子寛太朗が突然天使になった。
その日の夕方まで、いつもと変わりなく過ごしていて、死ぬなんて考えてもみなかった。
その日は血液内科の外来診察に行って、体調もいい!と太鼓判を押されて帰宅したのに…帰宅してすぐに発熱。
救急外来に駆け込んだ時点で体温計は42度までしか検温出来ないけど、それ以上の高熱で…アルコールで体を拭き体温を下げる方法が取られたが、全く下がらず…
発熱の原因を探るべく、ありとあらゆる検査に回されたが、高熱の原因がわからず…
寛太朗の体を思って鎮静剤で眠らされ、体の負担を極限にする為に挿管することになった。
処置を受けてる寛太朗には会わせてもらえず、ただただ、早くよくなるように祈って待った。
病院なのだから、死ぬなんて思ってなかった。
助けてくれるものだと思っていた。
なのに…病院に着いてから、たった6時間で…寛太朗は目覚めることなく、お空にいってしまった。
何が自分に起きているのかもわからず、もう助けられない…と医師から告げられた時は、絶対嘘だ!そんなん絶対嘘!寛ちゃんを返して!と夜中の病院で泣き叫んだ。
でも、返してもらえなかった。
あらゆる科のお医者さんが集まったのに、誰も助けてくれなかった。
寛ちゃんは、何もわからず眠っているみたいな顔してて…ママだよ!寛ちゃん起きて!と言っても、起きてくれなかった。
お風呂が大好きだったのに、お風呂に入れてあげても、起きてくれなかった。
寛ちゃんは死んだ…。
私の人生の全てをかけて、たくさんの愛情を捧げ、在宅看護をしながら大切に大切に育てていた寛ちゃんが、いなくなった。
その日から、私にはそれまでの人生で普通に見ていた景色すら、全て違って見えるようになった。
真っ暗闇…ほんとその言葉がぴったり。
綺麗な空を見れば涙が流れ、カーテンを開けることすら出来なくなり、電気をつける気力もなく、ご飯も食べず、口を開けば寛ちゃんの所に行きたい…みんな私が後を追うかもとヒヤヒヤしていただろうし、寛ちゃんのいない人生を送るくらいなら死んだほうがマシだと大袈裟ではなく本当にそう思っていた。
私を生かしてくれたのは、寛ちゃんだった。
私は全身全霊をかけて寛ちゃんを愛し育ててきてたし、私が育てた寛ちゃんは、いつもニコニコの笑顔だった。
寛ちゃんの笑顔の写真を見ていると、寛ちゃんの人生は幸せだったと思えた。
そして、寛ちゃんは1年5ヶ月15日15時間を生き抜いてくれたんだ、と思えた。
今、人から見れば、普通に生きることが出来ていると思う。
毎日ご飯を食べられて、ぐっすり眠れて、仕事もして、綺麗な景色を見ることも大好き。。
でも、心には、常に寂しさがある。
どこに行っても、何をしてても、常に心に寛ちゃんがいて、会いたいな…、生きてたらな…、と一日に何度もそう思う。
ま、寂しさだけでなく、心の寛ちゃんがいてくれるから、頑張るぞ!と思えるし、前向きに生きていられてる。
これからも、心の寛ちゃんと、笑顔でキラキラ輝いて生きていくゾ!!
命日を前に、一足早く、寛ちゃんを大切に想ってくれてる人から、素敵なお花をいただきました。
妹カップルからは、素敵なケーキと、お花♪
寛ちゃんベアケーキ、ハロウィンのカボチャの上に乗ってます(笑)
優しさに心が救われます。
心穏やかに、31日を迎えたいと思います。
亡くしたその後のこと、また少しずつ綴っていこうと思います。