こんにちは
前回は「願い事」というのは、「〇〇がほしい」「〇〇になったら」のようにやってしまうと、「〇〇が足りない」「〇〇がない」という感情や思考が湧いてくるというお話をしました。
引き寄せの法則に沿って考えた場合、後者の「現状の悪い状態」が叶ってしまうということになりますので、こういった願いではなく、今現状に感謝をするというのが正しい「願い」方かと思います。
「今」「ここ」で幸福だ、裕福だと思うことで、幸福で裕福な状態を叶えるという考え方です。
これに関連して、神社での参拝の際の「願い」についても考えてみたいと思います。
神社ではお願いしてはいけない!?
初詣や観光などで神社へ行き、お賽銭を入れ、鐘を鳴らす。ニ礼ニ拍手一礼の後、お願いをする、というのが通例として世に浸透していると思います。
ところが、小林正観さんによると、これは大きな間違いで、神社は願い事をする所ではなく、これまで無事に生きてこられたことを感謝する場なのだそうです。
従って
神様、どうか大金が手に入りますように
ではなく
私には生きていくのに必要なお金があり、大変感謝しています。
神様、今の会社から離れて、いい仕事に就けますように
ではなく
私は今の会社で仕事を頂き、大変感謝しています。
あれ?どこかで聞いたような
そうですね。引き寄せの法則でやる時と同様です。
小林正観さんは更に
神様の仰せに従います。ありがとうございます。
と言うのが良いと仰っています。
願いは神様への文句になる?
小林正観さんが、著書や講演の中で繰り返しているのは、私たちの人生は神様がお決めになっていることであり、それが良いも悪いもあなたの成長のためにそうなっているということです。
従って、願い事「〇〇がほしい」という願い方ですと、神様がせっかくそのようにしているのに文句を言っているということになるということです。
こうなると神様から嫌われてしまい、「じゃあ、足りない方がいいのね」ということで、ある意味お望みが叶ってしまうのです。悪い方に
やはり感謝することが大事
しつこいようですが、やはり結論はこうなります。
神社でお願いしていいかどうか、これは一つの考え方に過ぎないと思いますが、引き寄せにしても神社だろうと、「足りない足りない、もっともっと」という気持ちで願っていてはそちらの方が採用されるので、やはり感謝するという方が良いのではないかと思います。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました
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