引地台公園や大和市環境管理センターのすぐ近く大和市草柳3丁目の新和電装のすぐ近くに廃隧道跡を見ることが出来ます。
今回はこの廃隧道とこのすぐ横にある大下さくら橋を紹介します。
使い古した工事用フェンスの後ろ側に注目
殆ど埋められている廃隧道跡を見ることが出来ます。
この廃隧道跡のすぐ横を見ると2径間の大下さくら橋が架かっています。
すぐ右は引地川。
廃隧道跡の反対側の出口を探して回り込んでみると反対側は環境管理センターの敷地となり完全に埋められて駐車場のようになっていました。
ここで歴史資料から昭和36年の同所の様子を見てみましょう。
(写真下)
昭和36年時点の現在の大下さくら橋周辺の風景。「写真集大和写真館2」より。大下は(オオシモ)と記載されている
「草柳3丁目21」付近とあるので、現在の草柳3丁目交差点付近から南側を撮影したものと思われる。写真左から右奥に流れるのが引地川
この時代、大下さくら橋が確認できないものの、写真右奥に見える築堤が現在の大下さくら橋。橋は昔は築堤だったことがわかります
上の写真の約100m南側(草柳橋)から撮影した同付近。
ここでこの場所を地図で見てみましょう(googlemapより)
現在の引地台公園や引地台中学校の場所は厚木基地のイーストキャンプというエリア(遡れば旧海軍の厚木飛行場の施設)だった場所。大下さくら橋の道路はイーストキャンプと滑走路のある基地本体を結ぶ連絡路だったことがわかります。
大下さくら橋の橋上から
立派な橋がかかっているものの、現在では突き当りは厚木基地旧東門。写真右奥側にある大和あそびの森の駐車場アクセス程度にしか役立っていません。
突き当りの旧東門。非常口のような扱いになっているのかゲートはあるものの使われている気配はありません。
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元々、大下さくら橋になる前の築堤には3本のトンネルが通っていて、最初に紹介した廃隧道部分の人道?が1974年の区画整理で廃され(この時に環境管理センターが出来たと思われる)、その後1994年に鶴間駅~桜が丘駅のバスのバス通りになっている道路の拡幅のためにトンネルごと築堤が取り壊され代わりに大下さくら橋が架橋。
最後に残った引地川のトンネルは2006年、河川改修のためにトンネルごと築堤が取り壊され、大下さくら橋が引地台公園側に1径間延伸され現在の姿になった経緯があるようです。
この辺りの経緯や引地川のトンネルが壊される工事に関しては
引地川水とみどりの会事務局のブログ
こちらで詳しく紹介されています
このほとんど役立っていない道路に立派な橋がかけられたのは、将来の基地返還を待望してのものなのでしょうか??
なお、2006年の1径間延長した工事に関しては大和市「平成18年3月環境厚生常任委員会 」の議事録によれば
「水と緑課長:引地川の2級合流点、県道丸子中山茅ヶ崎線から上流、泉の森まで4.46キロのうち、県道横浜厚木線までの区間を防衛施設庁の障害防止対策事業で河川改修を行っている。平成17年度、18年度で大下隧道のところを進めている。防衛施設庁の3条補助で、基地に起因する影響により国より補助を支出している」
として国の補助金が出ていることが記録されている。なおこれは引地川の流域の一部が厚木飛行場の区域に入っていることが根拠とのこと。
また90年代の厚木基地の一般公開の際の大和駅からの臨時バスが旧東門経由で運転されたとの証言もあるようだ。
<追記 2024/9/14>
(この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。)
今昔マップにて昭和42年発行の地図を確認すると、今の大下さくら橋の下に3本のトンネルが確認できます。
廃隧道の道は本記事上の写真の草柳橋付近からバス通りの道から分岐して引地川の東岸を進みトンネルを抜けて現在の環境管理センターの敷地内を南下し柳橋ふれあいプラザの前を通りバス通りが引地川境橋を渡った先で合流します。
このルートの一部は柳橋ふれあいプラザや環境管理センター事務所へのアクセス路として境橋付近から一部区間は現在でも通行することが出来ます。
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2022/1/22 00:42(JST)