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2016年11月放送大学面接授業「海事産業と神奈川」中編


前回に引き続き放送大学神奈川学習センターで11月19日~26日にかけて開かれた面接授業「海事産業と神奈川」を講義ノートのような形でまとめていきます。

11月20日第2時限「折損事故解析と国際的対応」
ここでは折損事故の具体的事例として1997年島根県沖日本海で発生した重油タンカー「ナホトカ号」の折損事故。及び2013年のMOLコンフォート号折損事故に関して詳述。
ナホトカ号事故については、事故により流出した油が沿岸に漂着。海岸部の生態系や漁業に多大な影響が出て漂着した油回収にボランティアが活躍。のような話をTVニュースなどで見た覚えがあります。今回の講義では折損にいたる背景やその後の原因解析が解説されました。
事故当時の冬の日本海ではたまにある小嵐。そこに船歴26年の老朽船のナホトカ号が遭遇。2500mの深海調査で海底に沈んだ船体を調査。この種の事故では2500mの深海探査機による調査は初めてだったそう。
環境への影響として揮発成分が少なく粘度が高い重油の為回収は困難を極めたことなど。
2002年スペインのプレステージ号事故では水深4000mに沈没した船体からの油回収が試みられた。現代の時代ではかってのように沈没船をそのまま海底に放置することは許されない時代であることや深海技術の重要性など。
ナホトカ号事故ではソ連崩壊で必要な補修事故が疎かになっていた可能性。特に必要な補修が行なわれていない老朽船問題では特定の船籍国の船に問題が多いこと。

船体折損事故ではやはり2013年に起きたMOLコンフォート号折損事故が印象的です。現代では船体の構造など基本的技術は既に確立しているものだと思っていましたが、大型化するコンテナ船などの進化にあわせて、現代の時代でも船体折損事故と戦いであることは印象的でした。
船の事故と聞くと乗員や乗客の被害が気になって、全員救助され生存と聞くと一安心。で終わり。という感じになってしまいがちですが、船が失われることでの船体や積荷の損失。また積荷が沈むことで引き起こされる海洋汚染とその防止など、素人発想ではない専門的な課題も認識することが出来ました。

質疑応答では「積荷を揚貨する際の重量計算・荷揚げ手順ミスでの折損事故」に関して。現代のコンテナ船でも荷主が提出する書類に記載されている重量と実際重量が大きく違うことが結構ある。(荷主側の意図的な誤記載など)こういったものも、積み付け、揚貨の際の折損事故の要因になるのでは?という指摘も。



11月26日第1時限「神奈川の造船産業」
この項では、日本の近代造船業発展の歴史とも重なる、神奈川における幕末から現在に至る造船の歴史をまず紹介。


1853年のペリー来航以降の日本の近代化の中で、徳川幕府は1853年に浦賀造船所を開設。横須賀に引き継がれ一時閉鎖。フランスの援助を受け1865年に横須賀製鉄所の建設に着手。フランスからは技術者ヴェルニー以下130名の派遣を受ける。後に明治政府に引き継がれる。製鉄所を名乗っているのは「まず鉄を作りその鉄で船を作る」ため。
浦賀造船所はその後民間造船所として浦賀ドックとなり艦船・商船の建造を行なうが2003年に工場集約で追浜に統合。閉鎖される
横浜市の雇用と所得の4割は横浜港、川崎市の所得の4割、雇用の2割が川崎港によるもの。一般に思われている以上に海事産業が重要な位置にある。神奈川県の造船業では艦艇の建造・改造・修理における出荷額は全国1位。
ジャパンマリンユナイテッドでは掃海艇のFRP製の大型船体製造技術は特筆的。
住友重機マリンエンジニアリングではアフラマックスタンカー(全長230m)の連続建造による極めて高い生産性が特徴。
三菱重工横浜製作所。みなとみらいの再開発で本牧に移転。新造船からは撤退し修繕専業に。クリスタルハーモニーの飛鳥2への改装。「ちきゅう」の定期点検・補修など
更に舶用工業(ディーゼルエンジンなど船に必要な機器類の製造など)でも神奈川県は全国16位。


海運造船のマーケットは世界単一市場であり常に世界との競合がある。1970年代には船は日本と欧州で建造されていたが、現在は東アジアの中国・韓国・日本に集中。海上輸送量の増加とともに造船需要も増加しているが、ブームとその反動の不況も大きい。海上運賃も変動幅は大きく例えばリーマンショック前後で10倍近くの変動がある。
中国では経済成長の減速により新興海運会社や造船会社の破綻なども起きている。
日本では元々設備投資を抑制してきたことやエコシップ開発などで影響は少ない。
船の解体はバングラディッシュなどに「船の墓場」があるが、労働環境・環境保全に問題があるヤードも多く、IMOの香港条約採択や具体的な対策を行なっている途中。

造船所(ドック)というと、その名の通り船を作る場所のイメージが強いですが、修理・改造が一大マーケットになっていること。また造船だけでなく、舶用工業。という切り口があることは勉強になりました。
新興国に負けない技術開発・環境や省エネ技術の発展が将来を握る鍵であることが述べられていました。よく「日本の技術は世界有数で・・」みたいな言説を耳にしますが、例えば最近の話題で、豪華客船の建造を手がけるものの火災事故などを起こし、巨額損出を出した三菱重工長崎造船所の問題などもあり、安閑としていられない状況であることも感じました。


11月26日第2時限「歴史的産業遺産としての保存船、海事博物館の役割」
この項は午後の桜木町の博物館見学のための移動時間も考慮して所定の85分を60分程度に短縮して実施。主に桜木町に保存されている初代の帆船日本丸の保存の現状についてを中心に解説。


同じ図面で建造された姉妹船で現在は富山県で保存されている初代海王丸は日本丸よりも現役だった期間が長く、後年に改修工事を行なっているため、日本丸の方がより竣工当初の姿を保っているとのこと。
日本丸は平水区域を航行する「生き船」として船舶安全法に則り国の承認を受けるための検査と修理が行なわれていること。生き船として維持しているのは、建築物(建物)として保存すると建物としての基準での防火基準や避難経路の整備などが必要となり、現在のように建造当時のままの姿で見学客を受け入れることが難しくなるとのこと。
1930年の竣工から今年で86年。最低でも100年、可能ならばそれ以上の保存を目指していることなど。

90年と99年に係留されているドッグの水を抜いて補修などを実施。また現役時代から腐食した外板は補修で交換しているものの、交換された部分は少なく建造当初そのままの部分が多いこと。建造の当時のリベット接合の姿を保つ為に交換の際は溶接でも飾り鋲などで外観を維持する必要がある。(現在の日本ではリベット接合技術がない)
なお船体に使用された鋼材はイギリスからの輸入によっていること(要求水準を満たす国産鋼の登場はもう少し後の時代)

2013年に水密隔壁の板厚を計測したところ設計上の板厚よりも厚い箇所もある。これは建造当初正確な板厚を計測することが難しく、設計よりも厚い板が使用されているため。一部に経年による腐食で板厚が不足している箇所があった。

生き船として維持していることから、横浜港内・東京湾内など外に出すこと(動態保存)は可能か?(支障している橋の撤去の実現性などは考えず船体強度等の面から)→現在は動かさない展示船前提での保守・検査となっているので、動かすとなればそれなりの補修工事は必要となる。日本丸動態化の要望は根強いとのこと。


他に神奈川県内の保存船として日本丸以外に、氷川丸・三笠・横浜新港埠頭の北朝鮮工作船があること。海事博物館としては、横浜みなと博物館と日本郵船歴史博物館があることが紹介されました。


よく物には寿命がある。といいますが、日本丸も例外ではなく1984年の現役引退から既に30年強。竣工からは85年強となり老朽化も進行する日本丸。「文化財としての価値」を残しながら保存することの難しさや、今後の課題がまとめられた講義でした。
この項はテキストの原稿が間に合わなかったようで、テキストには収録されていないのが残念です。


次回後編は3日目午後の日本丸・横浜みなと博物館見学に関して紹介します。


2016/12/3 22:06(JST)

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